神社を巡る

砥鹿神社(愛知県豊川市)延喜式内社

神社情報

神社名砥鹿神社
鎮座地愛知県豊川市一宮町西垣内二番地
御祭神大己貴命
創 建不詳
社格等国幣小社
三河国一宮
神名帳延喜式神名帳:三河国宝飯郡 砥鹿神社
三河国神名帳:正一位 砥鹿「大菩薩」大明神
文化財県指定:田峯の銅鐸、ケヤキ
市指定:石鳥居、和鞍、田遊祭、粥占祭、火舞祭
例大祭五月四日
境内社護国神社
二宮社(御祭神:事代主命)
三宮社(御祭神:建御名方命)
守見殿神社(御祭神:大己貴命和魂、倉稻魂神、加久神)
八幡宮(御大臣:誉田別命、天兒屋根命)
八束穂神社(御祭神:天穗日命)
荒羽々神社(御祭神:大己貴命荒魂)
津守神社(御祭神:多裳見宿禰)
饌川水神社(御祭神:罔象女命)
URLhttps://www.togajinja.or.jp/
御朱印
参拝日:2021年

延喜式内社巡りin三河国

 新型コロナウィルスパンデミックの早期沈静化を祈願する為に、まずは三河国内にある式内社を参拝して廻ろうかとおもっています。自分の神社巡りは、基本バイクを使って一人で巡って行くので、密にならず、ソーシャルディスタンスも確保し、さらに喋らないという感染防止策は万全の状態を維持しやすいかなと思っています。そこで、感染状況が改善しつつある時期を見極めながら参拝していき、その模様を紹介できたらと思います。

御由緒

 大宝年間(701年〜704年)、文武天皇の病を治癒祈願の勅使・草鹿砥公宣くさかどのきんのぶが煙巌山 (鳳来寺)の勝岳仙人に祈願を依頼する為に遣わされた時、三河山中で道に迷ってしまうが、この時老翁に出会い、その導きによって無事仙人の元にたどり着くことができた。祈願が行われ、無事天皇の病も平癒されたという。

 文武天皇はこの老翁に礼を尽くす為、再び草鹿砥公宣が派遣された。老翁と再会した公宣は老翁の望みを聞き、老翁が清流に投げ込んだ衣の袖が流れ着いた場所を宮居と定め七重の棚を作り七重の注連縄を引廻らして斎き祀ったという。

 この事から、砥鹿神社は、草鹿砥公宣が創建した神社であるともいえるかと思いますが、この草鹿砥氏は江戸時代まで砥鹿神社の祭祀を司る社家であった事もあり、古くからこの地を治めていた豪族であったとも伝えられている一族になります。この地に草鹿砥氏がこの地を治めたのは、伝承の通り文武天皇の御代にこの地に社を築いた時にそのまま留まったからなのかどうか・・・。

御祭神は?

 由緒から考えると、元来砥鹿神社は、本宮山全体を御神体(当サイトでは砥神大神と呼ぶことにします。)とする神社であったと考える事が出来るかと思います。そして砥鹿大神を奉斎する為の磐座が本宮山の山中に存在しているそうです。元々この磐座で祭祀を磐座の場所で行っていたが、時代が進むにつれ、人々が集まりやすい里村に祭祀を行う社(里宮)が建立されたのではないでしょうか。こういった磐座と里宮の関係は全国的な神社の成り立ちと同様な流れで発生したと考えてもいいかと思います。

 一方、現在の砥鹿神社の御祭神は、

  • 大己貴命

であるとしています。

 長い歴史の中のどこかの時点で、この砥鹿の地に「大己貴命」を奉斎する一族(出雲族か?)がこの地を治める様になり、本宮山を御神体とする砥鹿大神と大己貴命が交わって現在の砥鹿神社の形が作られていったのではないでしょうか。

大己貴命に関する伝承は

 但馬続風土記によれば、「大己貴命は国土を開拓し、諸国を巡幸されて 但馬国朝来郡赤淵宮にお移りになって、更に東方三河国に向かわれた。」とあり、さらに砥鹿神社の社伝には「(三河国にむかった大己貴命は)「本茂山ほのしげやま」(本宮山)に留まって、この山を永く神霊を止め置く所「止所とがの地」とされた。」とある。

 この事から、大己貴命を奉斎する一族が但馬国を経由して三河国にやってきて、一族の守護神ともいえる「大己貴命」を祀る社を本宮山に築いたという事が読み取れます。

さらにほかの伝承では・・・

足助八幡宮縁起によると「天智天皇の時、宝飯郡大深山(現本宮山)に猿の形・鹿姿・鬼体をなす怪異者三体があった。猿形は石舟に乗って飛行し高橋庄猿投大明神となり猿投神社に座す、鹿姿はとどまって砥鹿大菩薩となり一之宮(現宝飯郡一宮町)の砥鹿神社に座す、鬼神は紀州牟呂郡熊野の本宮より国回りする者といい、足助郷飯盛山に住して善証鬼と称し、土地の神の女自足城姫と夫婦とな。」と記しています。

 この由緒では、猿投神社、砥鹿神社、足助八幡宮の御祭神は同じ一族によってこの地に持たされたという事を伝えているのではと思われます。

大国主命

 大国主命は古事記では「大国主神」、日本書紀では「大己貴命」で登場する神になります。また、日本書紀では「大物主神」は大国主の幸魂、奇魂であるとしており、同一神であるしており、別神として書かれている古事記とは異なる描写もされています。

 大国主神は豊葦原中つ国の国作りを成した「国津神」の最高神として描かれており、国譲りとして天照大御神率いる天津神が住む高天原に従属した後は、出雲大社の御祭神として鎮まったとされています。

創建は詳らかでないが、「延喜式神名帳」に三河国砥鹿神社と載り、新年の国幣に預かる古き大社である。社伝に大己貴命、三河第一の高峯、本宮山(本茂山)に止り、四方を経営する故に止所(とが)の名より転じて砥鹿の字を当て神号になった。この地方に五穀の播殖をはかられた往古「穂の国」と称し、その音便により宝飯になる。中古、国司巡拝の事より三河国一宮の仰る。神階は嘉祥三年(850年)七月、従五位下。以後神階を進められ、正一位。社領文武天皇元年(701年)圭田五十三束「総国風土記」とあり。徳川時代本社に百石、奥宮に二十石の朱印地寄進し、明治維新まで続いた。明治四年六月、国幣小社に列格した。昭和三十二年、社務所を改築。同三十四年九月、伊勢湾台風により莫大な被災あり。二百六十年から六百年の樹木、里宮五百本、奥宮八千本倒木。同三十七年、社殿を改築。同四十一年境内建物を改修し、同五十二年参集殿を新築した。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

参拝記

 東名高速道路豊川ICに接続する国道151号線を北に1kmちょっと進んでいくと、右手に森が見えてきます。この森が今回参拝する砥鹿神社の鎮守の森になります。砥鹿神社前交差点から豊川方面からだと右折すると直ぐに参拝者用の駐車場入口があります。

参道入口

 国道151号線沿いの西入りの社号標と鳥居が据えられた参道入口になります。ここから真っ直ぐ参道が伸びて、二の鳥居、神門があって境内入口となっていきます。
 こちらの鳥居は、戦争遺跡と言ってもいいだろう鳥居になります。元々は豊川市諏訪町におかれた本宮山遥拝所に設けられた鳥居になるのですが、昭和二十年の豊川海軍工廠への空襲で被災してしまった為、その後修理を受けこの場所に移設されたものになります。

 笠木の部分をよくみると、所々に窪みが見られます。これはアメリカ軍の機銃掃射による跡なんだとか。そしてよく見ると、貫、額束と笠木の部分の石材の色が違って見えませんか?

 現地に設置されている説明板に、被災した鳥居の写真が載せられていました。よく見ると、貫部分、額束部分は被災の際に破砕してしまったようですね。それで修理の際新しい石材を用いたから色が違う訳ですね。

正面側境内入口

 社殿から南側に位置する場所に扁額が掲げられた明神鳥居が据えられています。国造からかなり入った場所になる為中々この鳥居を気付かれない方も見えるかもしれませんが、鳥居の後に見える神門などからこちらが正面入り口になるかともいます。

神門

 透壁が設けられた八脚門の神門になります。

手水舎・水盤

 木造銅板葺き支柱柱が設けられた変則の四本柱タイプの手水舎にあります。柱に二本ずつ支柱が設けられるこの様式はかなり大規模となる手水舎で見られる様式ですね。この造りにすると柱間の間隔が広くなっても強度が保てるのでしょうね。

太鼓楼

 袴腰が設けられた太鼓楼になります。釣鐘をも用いる寺院に対し、神社では太鼓を鳴らすのですが、太鼓楼はそんなにみかけませんね。まぁ、神仏習合期は神社にも鐘楼が設けられていたりしたので、神仏分離で鐘楼は撤去されてしまいますが、代わり?となる太鼓楼はそこまで普及しなかったということでしょうか。

祓所

 基壇上に設けられた祓所になります。祭の際ここに祭壇を組み、修祓を行う場所になります。

さざれ石

 境内の一角にすえられている「さざれ石」になります。看板には「日本一大きいさざれ石」とあります。

本殿

 入母屋造銅板葺き平入の破風と向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。非常に重厚感を感じる拝殿ではないでしょうか。

境内社

 社殿と並び立つ形で、二宮であるえびす社と三宮となる諏訪社が鎮座しています。

境外社

砥鹿神社の境内から北東に道なりで1kmほど離れた場所に、境外社となる社が二社鎮座しています。

 現在は津守社の境内に鎮座する饌川水神社ですが、元々はもう少し砥鹿神社に近い小川脇に鎮座していたようです。

 津守社の御祭神である田裳見宿彌は住吉大社の社家である「津守氏」の祖神であると言われています。この地に田裳見宿彌が祀られているという事は、この地に津守氏一族が住み着いていたという事になるかと思います。そうなると、草鹿砥氏とのどんな関係だったのでしょうかね。

地図で鎮座地を確認

神社名砥鹿神社
鎮座地愛知県豊川市一宮町西垣内二番地
最寄駅電車:JR東海 飯田線「三河一宮駅」徒歩7分

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