神社を巡る

野神社(愛知県豊田市野口町)延喜式内社

2021年10月10日

神社情報

神社名野神社
鎮座地愛知県豊田市野口町水別日面226
御祭神豊斟渟命
創 建不詳
社格等村社
神名帳延喜式神名帳 三河国加茂郡 野神社
三河国神名帳 加茂郡正四位下 野社明神
文化財
例大祭十月九日
境内社秋葉神社・八幡神社・兒玉神社
URL
御朱印
参拝日:2021年9月24日

御由緒

 国道153号線沿いに鎮座する「野神社」は延喜式神名帳に記載されている「三河国加茂郡 野神社」に比定されている古社になります。さらに、日本文徳天皇実録(文徳実録)では仁寿元年(852年)十月に従五位下を、三河国神名帳では正五位下の神位が与えられたと記されている様ですが、これは野神社ではなく野見神社を指すのではないかという説もあるんだとか。
 三河国官社私考という書物では、延喜式加茂郡野神社は「足助庄野口村に在り。今称天神」と記されています。

国道153号線は愛知県名古屋市と長野県塩尻市を結ぶ総延長229.4kmの国道で、江戸時代までは伊那街道・飯田街道と呼ばれており、この街道は五街道の一つ「中山道」の脇往還として非常に人の往来が盛んな街道であったようです。そんな伊那街道・飯田街道に沿う様に敷設されたのが国道153線で往時の伊那街道をほぼトレースしているそうです。この国道153線で愛知県から長野県に向かうと江戸時代の人達の気持ちがわかるかも?

 宝永二年(1705年)に火災により一切の記録を焼失してしまった為、創建・由緒などすべてが不詳となっています。しかし、野神社の別当を務めた「増應寺」の創建が推古七年(599年)の創建と伝承されている事から、少なくともこの時期までには創建されていたのではないかと考えられている様です。

野神社の御祭神は?

 御祭神は「豊斟渟命とよくむぬのみこと」であるとしています。

「愛知の式内社とその周辺」(小林春夫著、式内社顕彰会)によると、

祭神は、文化13年頃はご神体の鏡をそのまま御祭神としており、特定の神名はつけられていませんでした。明治初年頃人格神豊斟渟尊にあてられ、 以降そのまま現在に至ってます。

と記されていて、江戸時代まではハッキリとした御祭神は分からなかった(不明)だったようですね。

 豊斟渟命は日本書記の天地開闢の中で出現する神になります。古事記で登場する「豊雲野神とよくものみこと」と同一神であるとしています。

  • 日本書紀の本伝では天地開闢の中、三番目に男神として出現。
  • 古事記では神世七代の第二代で最後の独神として出現。

 神名から「豊かな実りと雨をもたらす雲のある野原」から神格化したとされた神であると考えられ、人々が「稲作には不可欠な雨が欠くことが無い大地」を強く求めていた事を示す神でもあるかと思います。

こちらも参照

延喜式内社巡りin三河国

 新型コロナウィルスパンデミックの早期沈静化を祈願する為に、まずは三河国内にある式内社を参拝して廻ろうかとおもっています。自分の神社巡りは、基本バイクを使って一人で巡って行くので、密にならず、ソーシャルディスタンスも確保し、さらに喋らないという感染防止策は万全の状態を維持しやすいかなと思っています。そこで、感染状況が改善しつつある時期を見極めながら参拝していき、その模様を紹介できたらと思います。

参拝記

 国道153号線と420号線の供用区間である国道沿いに建つ豊田市野口町の公民館の脇に野神社の参道が設けられています。鳥居や社号標が奥まった場所にあって非常に気付きにくいです。(正直、自分は思いっきり通り過ぎてしまい、通り過ぎた事に気付いた時にはかなり距離を走った後でした。)野神社のすぐ隣にたつ「増慶寺」を目印にしておくと通り過ぎる確率は減るかと思います。

境内入口

 公民館の脇からの神社の境内に向かう参道が伸びています。この参道入口には、社号標が二柱設けられています。一つは、上記の写真に写っている「村社 式内 野神社」と彫られた社号標になります。

 もう一つは、「延喜式所載官社 二十六座之内 野神社」と彫られた社号標になります。延喜式内社を参拝していると同じような書式で彫られた社号標を見かける事があるので、明治時代とかに延喜式内社に比定された神社に設置された社号標なんでしょうかね。

鳥居

 扁額が掲げられた明神鳥居が据えられています。何年に建立されたのか鳥居に彫られていたはずなのですが、記録するのを忘れてしまった為建立年月は不明ですが、質感からそんなに古い鳥居じゃなかった記憶があります。

 そして扁額には「埜神社」と彫られています。正式な社名は「野神社」なのか、「埜神社」なのか・・・。

野口雨情先祖ゆかりの地の碑

 シャボン玉・七つの子の作詞で名を知れていている「野口雨情」の先祖ゆかりの地の碑が境内に建てられています。実は野神社近くの国道沿いにも野口雨情ゆかりとなる碑が建てられたりしてます。

 ただよく読めばわかる様に、野口雨情がここ豊田市野口町出身という訳ではなく、野口雨情の先祖がこの地に住んでいた為、野口姓を称し、その後茨木県の方に移住していったそうです。その移住先で生まれたのが野口雨情な訳です。

 正直な所、先祖がここ出身だからってわざわざ「先祖ゆかりの地」をアピールするのは地域振興としてはアリなのかなとも思うのですが、ただ、聞けば・・・・野口雨情関係なくない?と思わなくもない訳で、こうした振興は難しいですね。

手水舎

 木造銅葺二本柱タイプの手水舎になります。手水舎のすぐ後ろには立派な杉の木があり、非常に印象的な手水舎です。

社殿

 境内を進んでいくと、森の中に妻入りの拝殿が見えてきます。このアングルは非常に神秘的なんじゃないかと思います。

 入母屋造瓦葺妻入りの開放型の拝殿(神楽殿?・絵馬殿?)が設けられており、その後方には石段が続き、石段を登った先に神門のある瑞垣に囲まれた本殿が鎮座している社殿になります。

 愛知県豊田市にある神社を巡っていると「開放型の拝殿(神楽殿/絵馬殿)を有し、本殿は神門のある瑞垣で囲まれている」という社殿配置となっていて、参拝は拝殿の所ではなく神門の前で行う事になっている神社が非常に多くある事に気が付くかと思います。こうした社殿配置は豊田市というか加茂郡で見られる配置の様で、愛知県でも他の地域では見かける事がほぼないです。このため、こうした社殿配置を「加茂式(豊田式)」と勝手に読んでいます。

 拝殿の後方にかなり急な石段が設けられていて、登った先に神門があります。この石段がきつい場合は拝殿から参拝するんでしょうか。

 本殿を囲む瑞垣というか塀と神門になります。

 本殿は切妻造トタン板葺の鞘堂の中に鎮座しています。流造の本殿で見る限り中々の古さの本殿の様に見受けられます。更に特徴的なのは、鞘堂から向拝の様に造られた屋根部分がある処ですかね。はっきりとは断言できませんが、この部分で祭式が行われ宮司が祝詞を奏上する場として使われているのではないかと思います。

境内社

 本殿に並び立つ様に境内社も鞘堂の中に据えられていて、向かって左手より秋葉神社・八幡神社・兒玉神社の三社が鎮座しています。

地図で鎮座地を確認

神社名野神社
鎮座地愛知県豊田市野口町水別日面226
最寄駅おいでんバス「野口バス停」徒歩4分

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