神社を巡る

胸形社(愛知県豊田市平戸橋町)延喜式内社論社

2021年11月17日

神社情報

神社名胸形社
鎮座地愛知県豊田市平戸橋町波岩一番地
御祭神市杵島比咩命
創 建不詳
社格等無格社
神名帳延喜式神名帳 三河国加茂郡 灰寶神社
三河国神名帳 加茂郡正五位下 灰寶天神
文化財
例大祭七月第二日曜日
境内社不詳社 二棟あり
URL
御朱印
参拝日:2021年11月2日

御由緒

 創建年、由緒については不詳となっています。

 江戸時代に書かれた「三河志」には、「越戸村東ノ川端ニ波岩社と云フアリ、南向ノ小社ナリ、此ノ社古クハ河ノ中ノ洲ニアリケルヲ、後二西ノ岸二迂座セリ、コレ灰宝ノ社ナリト其ノ村ノ或人ノ説ナリト云リ、今按二今弁天ヲ祀テハイハノ弁天ト称ス」とある。現代語訳すると、「越戸村の東の川端(矢作川沿)に南向きの小社である浪岩社が鎮座していた。この社は古くは矢作川の中州にあったが後に西岸に遷座した。村人らの伝承ではこの社は灰宝社であるという。今は弁財天を祭神として弁天と称している。」と感じになるかと思います。

 この三河志の内容から、胸形社は延喜式神名帳に記載されている「賀茂郡 灰寶神社」の論社とされています。

延喜式内社である灰寶神社の論社は三社あって、

  • 越戸町鎮座の灰寶神社
  • 平戸橋町鎮座の胸形社
  • 平戸橋町鎮座の馬場瀬神社

 この中で、神名帳と同じ「灰寶神社」の社名である越戸町鎮座の灰寶神社が一番可能性が高そうに思えますが、この灰寶神社は、明治元年になって挙母藩によって式内社であるとして改称され延喜式神名帳に記載されている社名と同じ「灰寶神社」に改称した神社であり、江戸時代まではどうやら「八王子」と呼ばれていた様なのです。ということは、明治元年に社名と共に御祭神も八王子から埴安神に変えてしまった可能性が出てきてしまいます。

 ただ、延喜式神名帳の記載されている「灰寶神社」は伝承から現在の平戸橋が架けられている周辺に鎮座していた神社であると考えられているみたいで、論社でる三社も平戸橋から近い場所に鎮座していたりします。

 平戸橋の東側にある高台には「馬場瀬古墳群」が築かれている事から、古代から尾張から信濃に向かう街道が越戸周辺を通って矢作川を渡河していたと考えられ、この越戸周辺は非常に重要かつ栄えていた場所であり、この地を納めていた豪族は非常に力を持っていたと考えられます。この豪族や街道を行き交う人々が崇敬していたのが「灰寶神社」になるんじゃないのかなと考えています。

 そうすると、水の神とも言われる「市杵島比咩命」を祀っている胸形社が可能性が高そうに思えるのですが、問題は「弁財天」を祀っていたという所で、仏教の弁財天と神道の市杵島比咩命が何時頃同一視されるようになったのでしょうか。

胸形社の御祭神は?

 先に既に述べてしまっていますが、胸形社の御祭神は「市杵島比咩命」になります。

 天照大御神と建速須佐之男命の間で行われた誓約の中で、天照大御神が建速須佐之男命の剣をかみ砕いで吐き出した中から生まれた三女神の三女になります。特に、この三女は宗像三女神と呼ばれ、宗像大社の御祭神として祀られており、海や水の神であると考えられています。

ポイント

 天照大御神と建速須佐之男命の誓約において五男三女の合計八柱の神が産まれています。

天照大御神が建速須佐之男命の剣をかみ砕いて生まれた神

  • 多紀理毘売命
  • 多岐都比売命
  • 市寸島比売命

建速須佐之男命が天照大御神の勾玉をかみ砕いて生まれた神

  • 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
  • 天之菩卑能命
  • 天津日子根命
  • 活津日子根命
  • 熊野久須毘命

 この八柱の神は八柱神社や八王子神社の御祭神として祀られている事が多いかと思います。

 また、天照大御神が正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命に葦原の中つ国を統治させようと考えた事から記紀においては「中つ国のことむけ」が始まり、大国主の国譲りに繋がっていく事になります。明確な物証がある訳ではないのですが、この中つ国のことむけとは、ヤマト朝廷による出雲侵攻を描いていると考えられています。

 いつの時代からか不明ながら弁財天と同一視されるようになり、神仏分離後の七福神霊場では弁財天ではなく市杵島比咩命が祀られている神社がその札所になっている霊場があったりしますね。

延喜式内社巡りin三河国

 新型コロナウィルスパンデミックの早期沈静化を祈願する為に、まずは三河国内にある式内社を参拝して廻ろうかとおもっています。自分の神社巡りは、基本バイクを使って一人で巡って行くので、密にならず、ソーシャルディスタンスも確保し、さらに喋らないという感染防止策は万全の状態を維持しやすいかなと思っています。そこで、感染状況が改善しつつある時期を見極めながら参拝していき、その模様を紹介できたらと思います。

参拝記

 平戸橋に向かう県道58号線沿いに胸形社が鎮座しています。
 現在は、令和になってから東海観道場の豊田勘八インターチェンジから豊田北バイパスとも呼ばれる国道153号線のバイパスが順次開通しており、胸形社周辺の道路もいつの間にやらだいぶ変わっていました。自分の記憶では平戸橋は国道153号線だったとおもったのですが県道に付け替えられているんですね。

境内入口

 昭和八年建立の扁額が掲げられた明神鳥居と石灯篭一対が据えられている胸形社の境内入口になります。

社号標

 胸形神社とほられた社号標になります。社号標では胸形神社ですが登記上では胸形社となっているので、当サイトでは登記にあわせて胸形社と紹介しています。

太鼓橋

 参道からはずれていますが、朱塗りの太鼓橋が設置されています。この太鼓橋は封鎖されておらず渡る事が可能っぽいですが、正直かなり急坂となっていてとても登る気がおきなかったですね。

水盤

 手水舎はなく、露天の水盤が設置されていました。

社殿

 非常にかわった造りのコンクリート造りの開放型の拝殿を有する社殿になります。拝殿の奥に基壇が設けられていてその上に本殿と境内社の社が二棟が鎮座しています。

 中央に流造の本殿が鎮座しています。

忠魂碑?

 明治維新烈士忠魂の碑、満州上海事変忠魂の碑、日露戦役忠魂の碑など記載されている非常に特徴的な六面体ブロンズ造の忠魂碑になります。こんな造りの忠魂碑は初めて見ましたが、非常に印象に残る忠魂碑ですね。

地図で鎮座地を確認

神社名胸形社
鎮座地 愛知県豊田市平戸橋町波岩一番地
最寄駅名古屋鉄道三河線「平戸橋駅」徒歩7分

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