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久麻久神社(愛知県西尾市熊味町)延喜式内社

神社情報

神社名久麻久神社
鎮座地西尾市熊味町山畔五十二番地
御祭神倉稻魂神
久久能智神
天兒屋根命
豊宇氣毘賣命
多紀理毘賣命
狹依毘賣命
多紀都毘賣命
創 建不詳
社格等村社
神名帳延喜式神名帳 三河国幡豆郡 久麻久神社二坐
三河国神名帳 幡豆郡従四位下 熊來明神
文化財
例大祭十月二十一日
境内社神明社
八幡社
URL
御朱印
参拝日:2021年12月8日

御由緒

 創建については不詳ながら、伝承によると「丹後国与謝の里より久麻久ノ連がこの地に移住、荒地を切り開き、農桑を伝え、この地に社を築き、豊宇気比売命と久久能智神を祀ったのが久麻久神社の創建である。」と伝えています。
 実は、熊味町の隣町である八ツ面町にも同名である「久麻久神社」が鎮座してます。こちらの久麻久神社の伝承も「第十代崇神天皇の御代に丹後国与謝の里より久麻久ノ連がこの地に移住、開拓を行い、丘陵の山頂に一社建立した」と非常に似た内容の伝承が伝えられえています。何となく、両社の伝承が非常に似た内容な所から、西尾市に岩瀬文庫に所蔵されている「三河郡村生記」を参照していると思われます。

久麻久神社の創建は・・・

 「崇神天皇の御代に、丹後国与謝の里より「久麻久の連」と呼ばれる一族がこの地に移住し、この地に住んでいた民達に農業と養蚕の技術を伝え、切り開き築いた集落と農地の守護神として豊宇気比売命と久久能智神を祀った社を築き、雲母が発掘された八ツ面山の山頂には詳細は不詳ながら想像するに山の神又は鉱山・鉱物の神を祀った社を築いた。」というのが久麻久神社の創建になるのかなと思われます。

  • 延喜元年(905年)、延喜式神名帳に「三河国幡豆郡 久麻久神社二坐」と記載。
  • 時期不詳、三河国神名帳に「従四位下 熊來明神」と記載。
  • 江戸時代、社名を「稲荷明神」と称する。
  • 慶安元年(1648年)、徳川家光より社領二十石の朱印地を賜る。
  • 明治維新に際し、社名を久麻久神社に改称。
  • 明治五年九月、郷社に列格。
  • 明治六年三月、村社に変更。
  • 大正三年、字大道南鎮座の三姫社、神明社、字珠御堂鎮座の春日社を合祀。

久麻久神社二坐とは?

 延喜式神名帳には「幡豆郡 久麻久神社二坐」と記されています。この「二坐」とはどういう意味なのでしょうか。

  • 一社相殿
  • 二社鎮座

 上記の2パターンが考えられるかと思います。そこで延喜式神名帳を見ていくと、二坐や三座と記され神社が何社か見受けられるのですがそのほとんどが「一社相殿」となっています。
 この事考慮すると、「久麻久神社二坐」とは「延喜式神名帳に記載されるに足りる御祭神が「二柱」久麻久神社に祀られていた。」と考えられるのではと思います。

 現在、久麻久神社の社名とする神社は二社あります。一社は八ツ面鎮座の久麻久神社。もう一社は今回紹介している熊味町に鎮座する久麻久神社となります。大正時代に編纂された「西尾町史」を読むと、久麻久神社が二社に分社された可能性は否定できないとしつつも、牛頭天王(素盞嗚尊)と稲荷神(倉稻魂神)を主祭神とする組み合わせは少し考えづらいとしています。また江戸時代からの歴史書でも二坐をどう考えるか所説あったようですが、熊味町鎮座の久麻久神社の御祭神である「倉稻魂神、久久能智神」を二坐とする説のが主流だったようです。

熊味町鎮座の久麻久神社の御祭神は?

西尾市熊味町に鎮座する久麻久神社の主祭神は

  • 倉稻魂神
  • 久久能智神

昭和九年に発刊された「西尾町史」によると、久麻久神社の御祭神はであるとしています。

倉稻魂神と豊宇気比売命

 昭和九年に発刊された「西尾町史」では、熊味町鎮座の久麻久神社の主祭神は「豊宇気比売命」と「屋般久久廼遅命」の二柱であるとしています。これは、寛文七年に記された「神祇全書神名帳考證」によると「久麻久神社 屋船久久遅命、豊宇気姫命」と記されている内容が根拠になっているのかと思われます。

「久久能智神」と「屋根久久廼遅命」は同一神の別称だろうということは想像できますが、「倉稻魂神」と「豊宇気比売命」は同一神であるという事なのでしょうか。

 倉稻魂神は宇迦之御魂神の別称であり、京都府の伏見稲荷大社の主祭神としてよく知られています。これに対し、豊宇気比売命は神宮の外宮の主祭神であることはよく知られています。そして、宇気は食物の意であるとして、食物の神とも言われていています。この食物の神繋がりで、食物全般の神とされる「保食神」と同一視されるようになり、更には食物全般=稲の神と考えられる事から、稲荷神と同一視されるようになっていったようです。実際、保食神を御祭神とする稲荷神社も全国各地に鎮座しています。この流れで、豊宇気比売命と稲荷神( 宇迦之御魂神 )が同一神であるという説が生まれたとか。

 宮中祭祀である「大殿祭」で奏上される祝詞において、久麻久神社主祭神のもう一柱である「久久能智神」と共に記さています。大殿祭は皇御孫命の住居である宮殿の平安を祈願する祭であるとされ、豊宇気比売命は「屋船豊宇気姫命」と久久能智神は「屋般久久廼遅命」と記されて家屋の守護神と考えられているようです。そんな大殿祭祝詞の中に

屋船豐宇氣姫命登、是稲霊也、俗詞宇賀能美多麻、・・・

と記していて、宇賀能美多麻は「うかのみたま」と読み、「宇迦之御魂神」をさします。「豊宇気比売命は稲の神であり一般的に宇迦之御魂神と呼ぶ。」とはっきりと書いていて、豊宇気比売命と宇迦之御魂神は同一神であるとしています。

 豊宇気比売命と久久能智神の二柱を御祭神としている所から、大殿祭祝詞の内容の様に、家屋の守護神、そして集落の守護神として勧請奉斎されてきた神社になるのではないでしょうか。

大正三年に合祀された三姫社、神明社、春日社の御祭神である五柱も配神として本殿に合祀されています。

  • 多紀理毘賣命
  • 狹依毘賣命
  • 多紀都毘賣命
  • 豊宇氣毘賣命
  • 天兒屋根命

・三姫社:多紀理毘賣命、狹依毘賣命、多紀都毘賣命
・神明社:豊宇氣毘賣命
・春日社:天兒屋根命

延喜式内社巡りin三河国

 新型コロナウィルスパンデミックの早期沈静化を祈願する為に、まずは三河国内にある式内社を参拝して廻ろうかとおもっています。自分の神社巡りは、基本バイクを使って一人で巡って行くので、密にならず、ソーシャルディスタンスも確保し、さらに喋らないという感染防止策は万全の状態を維持しやすいかなと思っています。そこで、感染状況が改善しつつある時期を見極めながら参拝していき、その模様を紹介できたらと思います。

参拝記

 県道43号線「熊味町東」の歩行者用信号が設置されている変則交差点の所に、久麻久神社の鳥居と社号標が据えられているのが確認できると思います。今では一般共用されていますが、ここが久麻久神社の参道入口になります。

参道入口

 明神鳥居による一の鳥居になります。鳥居の下を車で通行できないようにしている神社も多いのですが、ここ久麻久神社の参道は一般共用化されているので、鳥居を車で潜る事ができますが、結構幅がギリギリなので通行には注意が必要ですね。

 参道入口に据えられている旧社格「村社 式内 久麻久神社 二座」そして側面に「三姫、春日、神名 相社」と彫られている社号標になります。

 熊味町に鎮座する久麻久神社の社号標にあえて「二座」を合わせて彫っている所から、二座は「一社相殿」として神名帳に記載されている「久麻久神社二坐」は当社であるという事を示しているのでしょうね。

 参道を進むと更に「村社式内久麻久神社二坐」と彫られた社号標が据えられています。

境内入口

 参道を進むと、石段の参道が設けられていて真っ直ぐ社殿に伸びています。

手水舎

 木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。

狛犬

全体の造形から明治時代生れの狛犬なんじゃないのかなと思うのですが、生年月を調べ忘れてしまった為詳細不明な狛犬一対になります。

社殿

 入母屋造瓦葺平入の入母屋破風の向拝が設けられた拝殿をゆうする社殿になります。本殿は神明造となっています。この屋根形状は大屋根よりも向拝部分が非常に協調される様式ですね。

境内社

 境内社は神明社と八幡社が鎮座すると神社名鑑などには書かれていたのですが、境内に設置された久麻久神社再建の碑によると神明社と八幡社と三姫社が鎮座していると記されています。社殿を再建する際、宗像三女を本殿から分祀し境内社「三姫社」を建立したのかもしれませんね。

地図で鎮座地を確認

神社名久麻久神社
鎮座地西尾市熊味町山畔五十二番地
最寄駅六万石くるりんバス「熊味バス停」徒歩3分

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