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日長神社(愛知県岡崎市中島町)延喜式内社

2021年12月27日

神社情報

神社名日長神社
鎮座地愛知県岡崎市中島町新町十八番地
御祭神吾田鹿葦津姫尊
大日貴尊
天津日高子番能邇々藝尊
創 建不詳
社格等村社
神名帳延喜式神名帳 三河国碧海郡 日長神社
三河国神名帳 碧海郡従四位下 日長明神
文化財
例大祭十月第二日曜日
境内社秋葉社(御祭神:火之加具土命)
稲荷社(御祭神:保食神)
琴平社・竈神社・導神社相殿(御祭神:金山彦神、澳津彦神、澳津姫神、猿田彦神)
URL
御朱印
参拝日:2021年1月18日

御由緒

 創建時期は不詳となりますが、寛文三年(1663年)九月の社殿造営の棟札に「天武天皇の御代である白鳳二年(673年)三月に再建」と記されている事から、それ以前の創建であると考えられます。

碧海郡六ッ美村誌によると

 日長神社は第二十七代継体天皇の御代に勧請され創建されたとしています。
 継体天皇の勅言により日向国笠狭崎に鎮座し神を三河国芦嶋に移し、皇祖神である二柱を祀鎮めた葦の嶋地の大神である。この地は海中の島嶼にして葦茂り一体を芦嶋と称し、芦嶋がようやく開かれてくると「日久良志の里」と称するようになった。そしてこの地は日久良志の中の比奈加島と呼んだ。

 大中臣内大臣藤原鎌足公、この日久良志里の海中にある日奈加社に勅を乞い、海を検分された。勅使藤原匡房卿が初めて海中の日奈加嶋に坐す日奈加大明神を参拝、海中の深浅を確認し、碧海を開発する人々の繁栄を占い奏上した。

 日久良志能 里照月爾 佐夜婦計弓 朝気和須幾沼 日長支能美彌

 これにより天平勝宝年中より開発が始まり、嘉祥元年占部の日良麿(※)を下し郷民田畑を開墾せしと伝える。その後、藤原基経公、藤原長頼公の参拝あり。

 正中二年(1325年)九月、伊勢内宮の神を合祀する。

※嘉祥元年この地にやってきたとされる占(卜)部日良麿は大同二年(807年)生まれ、亀卜と呼ばれる獣骨卜占に長けていた事から承和五年(838年)に遣唐使として唐に渡った人物で、貞観八年(866年)に三河権介に任ぜられた平安時代の貴族。岡崎市鎮座の占部川神社の由緒でもその名を見る事ができます。

 日長神社が鎮座している中島は、海に浮かぶの島嶼で周囲は葦が生い茂っていた場所だったと伝えられています。そしてこの辺りは神宮が治めていた場所(荘園)であり、ここから船で神功まで供米が運ばれていたと伝えられています。

  • 仁寿元年(851年)十月、文徳実録に「従五位下」
  • 延喜元年(905年)、延喜式神名帳に「三河国碧海郡 日長神社」と記載。
  • 時期不詳、三河国神名帳に「碧海郡従四位下 日長明神」と記載。
  • 正中二年(1325年)、内宮御祭神「天照大御神」を合祀
  • 慶長八年(1603年)、徳川家康より社領十石の朱印地の寄進
  • 寛文三年(1663年)、社殿造営。
  • 明治九年一月十七日、村社に列格。
  • 同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定を受ける。

日長神社の御祭神は?

 日長神社の御祭神は

  • 吾田鹿葦津姫尊かむあたかあしつひめ
  • 大日孁貴尊
  • 天津日高日子番能邇々藝尊

の三柱であると境内に設置している由緒書きでは紹介しています。ただ、愛知県神社庁が発刊している「愛知県神社名鑑」では、御祭神は「吾田鹿葦津姫尊、大日霊貴尊」の二柱となっていて、邇邇芸命は記載されていません。

吾田鹿葦津姫尊

 吾田鹿葦津姫尊は日本書記で登場する神名(正式?には「神吾田鹿葦津姫かむあたかあしつひめ」)で、古事記では「神阿多都比売かむあたつひめ」、又の名を「木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ」であるとしています。「木花咲耶姫命」と表記される事もあります。

 一般的には古事記の「木花之佐久夜毘売」の神名で広く知られている神であり、富士山を御神体とする「富士山本宮浅間大社」と全国約千三百社あるという浅間神社の御祭神として祀られています。

邇邇芸命とは笠沙の岬で出会い求婚される。父の大山津見神はとても喜び姉の「石長比売」と共に邇邇芸命に嫁がせようとするが、木花之佐久夜毘売とだけ結婚し、石長比売は送り返した。

 大山津見神は「石長比売を娶れば邇邇芸命は永遠の命を手に入れ、木花之佐久夜毘売を娶れば木の花(桜)が一気に咲き誇る様に繫栄するという誓約をしていたのに、邇邇芸命が木花之佐久夜毘売のみを娶ったので、邇邇芸命の御子の命は木の花(桜)が一気に舞い散る様にはかなくなるだろう。」と告げた。これが天皇は神々の子孫でありながら、神々に比べると非常に短命なのはこのためである。

邇邇芸命と木花之佐久夜毘売の間には火照命(海幸彦)、火須勢理命、火遠理命(山幸彦)を生んでいます。

大日孁貴尊

 大日貴尊おおひるめのむちは日本書記で登場する「天照大神」の別称で、古事記では「天照大御神」と表記され、日本の八百万の神々の最高神とされている神になります。

 天照大御神の別称「大日貴尊」のそれぞれの文字の意味は、「大」は”尊称”、「日」は”日の女神(巫女)”「貴」は”高貴な者”となり、”高貴な日の女神”また”高貴な日の神に仕える巫女”という意味を持つ神名になります。実は、現在では天照大御神といえば「女神」であるという認識を持つ方が多いかと思いますが、古代日本では男女の性別を陰陽で表していて、陽は男性、陰は女性をそれぞれ示しています。天照大御神は太陽神、月読神は月の神という関係で生まれた着た事から、太陽=陽=男性、月=陰=女性という事から天照大御神は男神であるという説も根強く残っているそうです。

天津日高日子番能邇々藝尊

 天津日高日子番能邇々藝尊あまつひこひこほのににぎのみことは古事記で登場する神名で、日本書紀では天津彦彦火瓊瓊杵尊あまつひこひこほのににぎのみことと表記され、「天孫」とも呼ばれる天照大御神の孫となる神になります。

 古事記では天照大御神からの命により高天原から豊葦原瑞穂の国に天下り、筑紫日向の高千穂に降り立ちそこに宮殿を築き、中つ国の統治を始めていきます。そして、笠沙の岬において「木花之佐久夜毘売」と出会い求婚していく事になります。

天照大御神
  ┣━━━━天忍穗耳尊
須佐之男命    ┣━━━━日子番能邇々藝尊 
高御産巣日神━栲幡千千姫命     ┣━━━━┳火照命(海幸彦)
         大山祇神━木花之佐久夜毘売 ┣火須勢理命
                       ┗火遠理命(山幸彦)

日長神社の御祭神の関係図(系図)になります。この系図をみると、天孫邇邇芸命とその祖母と妻を祀っている神社ということになりそうですが、神社名鑑のように邇邇芸命が御祭神から外れているとしたら、妻と義理祖母が相殿・・・現代では中々な修羅場を想像させる組み合わせですね・・・。

寛文三年(1663年)九月、造殿の棟札に白鳳二年(673年)三月再建と記される古社なり。「延喜式神名帳」に日長神社「国内神名帳」に日長明神と記す。「文禄実録」に仁寿元年(851年)冬十月従五位下、「国内神名帳」に従四位下とあり、旧昔は社地広大で社南一町余の所に的場、宮前等の字名あり。社北には宮後の字名あり。慶長八年(1603年)八月二十二日、徳川内府より朱印高十石の社領の寄進あり明治に及んだ。明治九年一月十七日、村社に列格し、同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定社となる。昭和三十四年九月、伊勢湾台風により神楽殿倒壊する。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

参拝記

 中島町の旧県道43号線沿い(現在はバイパスが開通した為市道に付け替え)に鎮座しています。境内には駐車場が用意されていないみたいですので、注意して下さい。

境内入口

 境内のすぐ前を市道が横切っている日長神社の境内入口になります。古地図をみていると、この日長神社の場所で元々の街道はクランクの様に曲がって中島の街を抜けていた様です。
 境内入口には昭和八年建立の石造神明鳥居が一基、石灯篭が一対据えられています。

 日長神社の境内の南東側に常夜燈が据えられているのですが、その場所が丁度西尾方面からの街道に繋がる曲がり角部分にあたるようです。

社号標

 「式内 日長神社」と彫られた社号標です。境内にはこの社号標の先代が据えられていました。

 「日長神社 式内社廿六坐内」と彫られている社号標です。

手水舎

 木造銅板葺き四本柱タイプの手水舎になります。柱の間隔に対して屋根が少し大きめな造りになっています。

狛犬

 昭和八年生まれの狛犬一対になります。
 鳥居、社号標、狛犬が昭和八年に一斉に建立されている事からこの年に日長神社の造営工事が行われたことが想像できます。

社殿

 切妻造瓦葺平入の拝殿を有する社殿になります。

 本殿部分には非常に特徴的な造りの鞘堂が設けられています。愛知県神社名鑑によれば神明造の本殿が鎮座しているそうです。

 社殿の瓦をみていると三つ葉葵が彫られていました。由緒を見る限り朱印地を拝領していますが、それ以外徳川家や松平家と特に関係がありそうな事は書いていなかったのですが、三つ葉葵が使われている(使用を許可された)理由は何なんですかね。

境内社

 

稲荷社と琴平社・竈神社・導神社相殿の相殿になります。この建物は鞘堂でそれぞれの社二基が鎮座しているかとおもいます。

 境内正面入口脇に鎮座する秋葉社になります。想像ですが、先に紹介した常夜燈と共に祀られていた秋葉社なんじゃないのかなと思います。

地図で鎮座地を確認

神社名日長神社
鎮座地愛知県岡崎市中島町新町十八番地
最寄駅名鉄バス「中島本町バス停」徒歩2分

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