神社を巡る

野見神社(愛知県豊田市榊野町)延喜式内社

2021年10月1日

神社情報

神社名野見神社
鎮座地愛知県豊田市榊野町見切53
御祭神天夷鳥命
創 建不詳
社格等村社
神名帳延喜式神名帳 三河国加茂郡 野見神社
三河国神名帳 加茂郡従五位下 野見天神
文化財
例大祭九月二十九日
境内社猿投神社
津島神社
水神社
龍神社
URL
御朱印
参拝日:2021年9月24日

御由緒

 野見神社の拝殿に掲げられている由緒書によると、弘治二年(1556年)の火災により社殿を焼失、この時社伝も失われてしまった様で、創建された年を初め由緒は不詳である様です。焼失してしまった野見神社の社殿は天正三年(1575年)に当地の名主である治郎右衛門、社守六太夫により再建されたとあります。

 さらに由緒では、日本文徳天皇実録(文徳実録)では仁寿元年(852年)十月に従五位下を、三河国神名帳では正五位下の神位が与えられたと記しています。そして、三河国官社私考という書物において、延喜式内社に記されている加茂郡野見神社の論社の一社であるとし「野見村にあり、現在白山社と称す」と書かれています。

野見神社の御祭神は?

 御祭神は「天夷鳥命あめのひなどりのみこと」としてます。
 実は、日本全国に野見神社が存在しているのですがその野見神社の多くは「野見宿禰」を御祭神としています。加茂郡の野見神社の論社である豊田市野見山町に鎮座している「野見神社」の御祭神も「能見宿禰」となっています。野見神社で能見宿禰を御祭神としていない神社のが少数派ですね。

 天夷鳥命、野見宿禰は共に天照大御神と須佐之男命の誓約で生まれた五男三女神の一柱「天之菩卑能命/天穂日命」を祖としています。

天穂日命あまのほひのみこと ー 天夷鳥命 ー(十一代略)ー 野見宿禰 

 出雲国造の始祖であると言われていて、野見宿禰は垂仁天皇によって都に呼び出されるまでは出雲国に居を構えていたことからも天夷鳥命の子孫であることを示していると思われます。

 元は白山社なのか?

 先に、三河国官社私考という書物では、「野見村にあり、現在白山社と称す」と書かれていると紹介しました。単純に読む限り、江戸時代の頃には、榊野町の野見神社は「白山社」だったとなる訳です。

 もし白山社を称していたのなら、白山権現(白山妙理権現)を祀っていたんだろうと思う訳です。それが何時の時代か不明ですが、社名を「野見神社」に改称、明治初期には御祭神を「野見大神」と称してしたそうです。

 境内社を見ても、白山社が鎮座している訳でもなく、神仏分離の中で「白山権現」は消えてしまったのでしょうか。

祭神 天夷鳥命
一 由緒 創立年代不明
一 弘治二年丙辰三月十五日社殿焼失直ニ仮遷宮
一 社殿再建天正三年乙亥八月當時名主治郎右衛門社守六太夫尓後数回再建ス
一 文徳實録巻之三文徳天皇仁壽元年冬十月乙巳参河國野見神授従五位下
一 参河國内神明帳正五位下野見天神式内座賀茂郡
一 参河國官社私考略賀茂郡七座野見神社野見村ニ在ス今称白山
一 大正九年十月會計法適用神社并ニ神饌幣帛料供進指定神社ニ編入セラル
一 大正十一年九月七日例祭日変更セリ
陰暦八月十八日変更陽暦九月十八日又変更九月二十六日

野見神社境内設置由緒書

延喜式内社巡りin三河国

 新型コロナウィルスパンデミックの早期沈静化を祈願する為に、まずは三河国内にある式内社を参拝して廻ろうかとおもっています。自分の神社巡りは、基本バイクを使って一人で巡って行くので、密にならず、ソーシャルディスタンスも確保し、さらに喋らないという感染防止策は万全の状態を維持しやすいかなと思っています。そこで、感染状況が改善しつつある時期を見極めながら参拝していき、その模様を紹介できたらと思います。

参拝記

 豊田市立御蔵小学校から矢作川から支流である阿摺川を遡上するように県道357号線を東に進んでいきます。途中、式内社である「川原宮謁磐神社/紹介記事」の参道入口を通り過ぎ、しばらく道なりに走ると左手に鳥居が見えてきます。この鳥居が今回紹介する「野見神社」の鳥居になります。
 野見神社の近くには、「榊野温泉」があるので温泉好きな方は近くまで来たことがあるのかも?

境内入口

 野見神社の境内入口は、非常に多くの石造物が据えられています。石柱門、社号標、石灯篭、幟立石、石灯篭が左右対称になる様に並んでいる姿は中々壮観です。

 何気なく石柱門と紹介していますが、神社で石柱門の形状をした石柱は注連縄を飾る為の柱として使われている神社が殆どなんじゃないでしょうか。ここ榊野町の野見神社の石柱門に注連縄を架ける金具が取り付けられているかどうかまでは確認してませんが、鳥居の手前という場所に設置している所から注連縄柱?なんじゃないかと思います。

社号標

 旧社格制度の「村社」と延喜式内社を示す「式内」が合わせて彫られている野見神社の社号標になります。式内社「野見神社」は現在は同じ豊田市内の野見山町に鎮座する野見神社と共に今回紹介している榊野町の野見神社が論社となっています。その為、両社の社号標に「式内」と彫られています。

 野見神社の様に論社が何社か存在する式内社は非常に多く、その多くは、長い歴史の中で火災などで資料が焼失してしまったり、衰退して廃社同然の様になってしまったりして、一社を式内社であると断定するだけの資料が発見されていなかったというのが大きな理由になっています。

参道

 鳥居を潜ると、両脇に狛犬が鎮座していてその間を石段の参道が続いています。この石段は結構急ですので、少し注意が必要ですね。

 石段を登っていく途中でふと振り返ってみると、こんな風景が広がっています。県道のすぐ向うには阿摺川が流れています。

手水舎

 石段を登り切ってすぐ右手にある木造瓦葺四本柱タイプの手水舎です。水盤が妻入りになる様に置かれていますね。さらにその奥にも水盤が置かれていているという中々特殊的な手水舎ですね。

農村舞台

 境内の一角に舞台が設けられていました。豊田市の山間部にある神社を巡っていると、こうして部隊が置かれている神社に出会う事があります。ほとんどの所でこうした舞台を「農村舞台」と紹介しているので、ここ野見神社の舞台も「農村舞台」とさせて頂きます。

社殿

 降雪対策の為だと思うのですが、拝殿の表面は波板(材質は不明)で覆われている様でした。切妻造平入の拝殿を有する社殿になります。近年の温暖化の為、降雪量が非常にすくなくなっていますが、この榊野町周辺は自分が幼少の頃は結構雪が積もっていた記憶があるので、拝殿の屋根勾配が結構急になっているのも降雪対策になるかと思います。

 本殿も結構厳重に作られた鞘堂で守られています。鞘堂の柱でみえにくいですが、本殿は神明造となっています。

 その脇にある鞘堂には境内社でる津島社と猿投神社の相殿となる境内社が鎮座しています。

おまけ

 参拝を終えて県道に戻る途中、ふと県道の反対側ある田圃を見ていたら、刈り取られた稲が"はざかけ"が行われていました。今ではコンバインを使って稲刈り、脱穀が一度に行われて、カントリーと呼ばれる場所で保管されていますが、コンバインが普及する迄はこうして稲刈りをした後、竹で物干し台と物干し座をの様なものを組んで縛った稲をかけて乾燥させてその後脱穀機を使って籾を取り出していたものです。

 自分も元々農家のせがれでしたので、小学校の頃は学校から帰ってきたら農作業の手伝いを当たり前の様にさせられていましたね。そんな中、小学4年の秋、鎌で稲刈りをしている時に、スパッと自分の人差し指の骨が見えるまで切り込んだのは”いい?”思い出です。(縫製手術となった為、縫った跡が、右手人差し指に今でもくっきり残っています。)やっぱり右利き用の鎌を左利きの自分が使うと危ないという事で翌年から左利き用に作られた"特注"鎌が自分の元に届けられたんです。今でこそ数は少ないながら左利き用に加工された物が店頭で売られる様になっていますが、今から35年以上前では左利き用といえば特注品って感じでしたね。 むしろ、今ではハサミなんかは右利き用で切る癖がついていて左利き用のハサミは逆に切りにくいというか細かい作業をする時は全く切れなかったりして慣れってすごいなと実感する事も多々でてきていますが・・・。

地図で鎮座地を確認

神社名野見神社
鎮座地愛知県豊田市榊野町見切53
最寄駅とよたおいでんバス「榊野バス停」徒歩5分

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