神社を巡る

比蘇天神社(岡崎市宮地町北浦)延喜式内社「比蘇神社」論社

2021年6月15日

比蘇天神社概要

 古事記で登場する別天津神である「高御産巣日神」を主祭神とする比蘇神社の紹介です。ここ比蘇神社は延喜式内社に比定されている古社になります。室町時代中期以降は比蘇神社が鎮座する和田荘周辺は松平家・徳川家の家臣であった大久保一族が治めていた場所であり、大久保忠世や大久保彦左衛門など歴史の中で名前を聞く武将達も参拝していたのかも?

神社詳細

神社名 比蘇天神社
鎮座地 愛知県岡崎市宮地町北浦四十二番地
御祭神 高御産巣日神、豊受大神、猿田彦命
旧社格 無格社
創 建 伝:仁寿二壬申年(852年)
神名帳 延喜式神名帳 碧海郡 比蘇神社(論社)
三河国神名帳 従五位上 比蘓天神 坐 碧海郡(論社)
境内社
例祭日 十月第四日曜日
御朱印
H P

参拝日:2021年1月9日

由緒・縁起

三代格式」の中で唯一完全な状態で現存している「延喜式」の巻九・巻十は全国に鎮座する当時繁栄していたとされる神社を記載したという「神名帳」になっています。通称「延喜式神名帳」に記載されている神社を「式内社」と呼ぶのですが、今回紹介する比蘇天神社」は延喜式内社の論社となっています。

延喜式内社とは?

平安時代中期頃まで日本は「律令制度」によって国家運営が行われていました。

そもそも、この律令制度とはなんぞや?

飛鳥時代から平安時代中期頃まで日本の統治体制になります。「律(現在の刑法)」と「令(現在の民法)」によって国家運営を行う制度なので「律令制度」と呼ぶわけです。こういった規則というのは時代によって変わっていくのが一般的ですが、どうやら「律」と「令」は頻繁に改正するものではないらしく、その辺から考えると現在でいう所の「日本国憲法」に相当するのかなと思います。このため、時代に即した統治をおこなう為に作らるのが、「(現在の法令)」「(施行規則)」によって構成された「格式」になる訳です。こちらは何度か改正されている様なので、現在の「法律」に相当する物だと思います。

天平宝字元年(757年)に施行された「養老律令」の改訂版施工規則として作られたのが康保四年(967年)に施行された「延喜式」になります。延喜式は全五十巻からなっていて、一巻~十巻が神祇官について、十一巻~四十巻が太政官八省関係、四十一巻~四十九巻が宮司関係、五十巻が雑則となっています。このうち、九巻と十巻が冒頭にも述べている全国の神社が記載されている「神名帳」になります。

この事から、式内社とは、「日本の政府に認められた神社」であるという事ができるかと思います。

ちなみに、太政官八省の記述よりも朝廷の祭式を司る神祇官についての記述が先に来ている所を見ると、神祇官は太政官より上位であったことが分かります。

こちらを参照
延喜式神名帳ー尾張国・三河国ー

延喜式神名帳に記載されている愛知県(尾張国・三河国)の通称「式内社」と呼ばれる神社の一覧になります。尾張国121社、三河国26社、合計147社の神社が記載されています。同じ愛知県を構成する尾張国と三河 ...

続きを見る

さて、そんな延喜式内社であるとする比蘇天神社ですが、社伝によると仁寿二壬申年(852年)の創建とし、御祭神は「造化三神」に名前を連ねている「高御産巣日神たかみむすびのかみ」であるとしています。

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

高御産巣日神とは? 古事記では、天と地が分かれた時に、天之御中主神あまのみなかぬしのかみについで出現したか神であり、次に出現した神産巣日神かみむすひのかみの三柱の神の総称「造化三神」の一柱になります。 ...

続きを見る

比蘇天神社が鎮座する「ヒソ」の地は平安時代には海に面した「比蘇の浜」と称していたと伝えられ、宣化天皇、欽明天皇の御代には塩五百俵を貢と「ひその浜辺に塩汲む海人の・・・」と歌に詠われており、塩田の神として祀ったとする伝承が残っているようです。

社伝に、仁寿二壬申年(852年)九月二十六日、創建の古社で神威従五位上という。明治五年十月、据置公許となる。明治三十一年、社殿を改築する。

引用元:愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

鎮座地 岡崎市宮地町字北浦四二番地

祭神 高御産巣日神…比蘇天神

豊受姫命…稲荷社

猿田彦命…社口社

由緒

上古この辺りをヒソと言い比蘇の浜に塩田の神を祀ったのが創始で、平安時代の仁寿二年(八五二)の創建と伝えられる。延喜式の比蘇神社、三河国神明帳の比蘇天神は当社で、天喜三年(一〇五五)の水穂抄に干蘇神と記される古社。

昭和八年に町内の稲荷社・社口社を合併する。

神徳

高御産巣日神は天地創造の造化の神、生成化育、修理固成の産霊の神。

豊受姫命は稲荷大神と同神で衣食住の神、商売繁盛・招福繁栄・家内安全の守護神。

猿田彦命は「上は高天原を光し、下は葦原中国を光す神」除災開運・交通安全の守護神。

古来より当社は和田郷の氏神と仰ぎ、心の拠り所と敬い、産土神と崇められています。

「敬神崇祖」は惟神の大道なり

引用元:比蘇天神社境内設置由緒書

参拝記

岡崎市美合町にある国道1号線の「ほたる橋南交差点」から刈谷市に通じる県道48号線(通称、岡刈線)が比蘇天神社の200m程北側を東西に走っています。主要県道ということでトラックを含めて非常に交通量が多い道路なんですが、さすがにこれだけ離れていると比蘇天神社の境内に建っていても殆ど騒音は聞こえず、静かな境内となっています。

昭和六年生まれの狛犬一対。思った以上に白飛びしてしまっています。

入母屋造瓦葺平入の屋根に三間幅の拝殿と流造の本殿を有する比蘇天神社の社殿になります。

所在地を確認

まとめ

古事記の造化三神の一柱である「高御産巣日神」を祭神としている神社の紹介になります。
高御産巣日神については専用記事をアップしていますので、是非こちらを見てみて下さい。

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

高御産巣日神とは? 古事記では、天と地が分かれた時に、天之御中主神あまのみなかぬしのかみについで出現したか神であり、次に出現した神産巣日神かみむすひのかみの三柱の神の総称「造化三神」の一柱になります。 ...

続きを見る

さらに造化三神について詳しく知りたい方は

こちらもCHECK

造化三神|天地初めて発りし時に、高天の原に成りませる神々

古事記において天と地が分かれた時に初めて出現した三柱の神の総称を「造化三神」と呼んでいます。天地の根本に関係する神なのではないでしょうか。

続きを見る

是非読んでみて下さい。

-神社を巡る