
寺院情報
寺院名 | 橘谷山大洞院 |
所在地 | 静岡県周智郡森町橘二四九番地 |
宗 派 | 曹洞宗 |
創 建 | 応永十八年(1411年) |
御本尊 | 麻蒔地蔵菩薩 |
開 山 | 如仲天誾 |
文化財 | 町指定:龍門橋擬宝珠 |
霊 場 | 遠州観音霊場 二番札所 |
URL | ー |
御朱印 | 〇 |
参拝日 | 2021年12月4日 |
御由緒・沿革
応永十八年(1411年)、曹洞宗の僧侶で可睡斎を開山した「恕仲禅師」が時の将軍「足利義持」の帰依を受け創建した。
大洞寺は曹洞宗の太源派の派頭として全国に三千四百以上の末寺を有していたとも伝えらえる古刹になります。
参拝記
「小國神社」「塩井神社」を参拝し、ザ・フォレストカントリークラブの敷地に沿う様な形で東に向かい、曹洞宗の古刹で小國神社に劣らず紅葉で有名な「大洞院」に向かいます。経路は下のコラムを参照して頂くとして、駐車場はかなり広く用意されているので、紅葉のシーズンなど参拝者や観光客が集中する時期を覗けば余裕で駐車することができるかと思います。
石松の墓

大洞院の門前に任侠で浪花節などでその名を知られている「森の石松」の墓があります。ここの森の石松の墓石は昭和十年に現在の場所から少し離れれた「御影井戸」周辺に建立され、昭和十八年に現在の場所に移されたという。森の石松は任侠出会った事から大洞院の境内ではなく門前のこの場所に墓が据えられたという伝承もある。
森の石松が登場する浪花節が全国的に知られるようになったが昭和十年頃とされています。この浪花節の中で森の石松の「森」とは森町出身という意味のようで浪花節の盛り上がりの中建立されたとも言われています。

なんだか賭け事の御利益があるという風評が広まったとこから墓石を削られる事が続いて、なんと今の墓石は三代目になるんだとか。削られない様にと外国産の非常に硬い石を使用しているみたいです。

石柱や石灯籠などが建立されていて、まさに「森の石松霊廟」って感じになっていますが・・・浪花節から広まって建立されたという墓所というのが何となく納得してしまうのではないでしょうか。
龍門橋

森町の指定文化財となっている擬宝珠が付けられている龍門橋になります。大洞院の境内に向かう参道に設けられた橋(太鼓橋)って感じですかね。
手水舎

木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。各柱は大きさに比べると少し細めかなと思います。根元部分の耐震補強がされている辺りからも見て取れそうです。
境内全景

龍門橋を渡って境内を望んでみます。徐々に色付き始めた境内が非常に幻想的です。寺院の境内の感じから、写真中央の基壇の辺りに元々山門が建っていたが、文明七年、天正十二年、明治九年の火災によって山門は焼失、現在は柱石が当時ここに山門が建っていた事を示しているのみです。
法堂(本堂)

入母屋造瓦葺平入の法堂(本堂)になります。山門と同様に三度の火災により焼失してしまいますが、その後再建された法堂になります。本尊は麻蒔地蔵尊であり、脇侍仏として千手観音菩薩が安置されています。
僧堂

昭和十八年に再建された僧堂です。説明板では「雲水の修行する道場」であると記されています。
雲水の修行とは、大洞院にて僧侶が修行する場所ということになるでしょうか。
真殿

開山の梅山聞本禅師、二祖恕仲天誾禅師の尊像が安置されている真殿になります。明治十四年に大上地区の麻蒔堂を移築したものだそうで、この御堂の中には「消えずの灯明」があるそうです。
鎮守堂(観音堂)

遠州観音霊場の二番札所となっている大洞院の鎮守堂になります。二祖恕仲天誾禅師が三河国の小松原観音堂に参籠した時、翁が現れ「遠州飯田が勝縁の地」であると告げ、禅師は飯田に祟信寺を建立、次いで大洞院を開山したという。この時の霊験により馬頭観世音菩薩を鎮守としているといいます。
地図で所在地を確認
寺院名 | 橘谷山大洞院 |
所在地 | 静岡県周智郡森町橘二四九番地 |
最寄駅 | 電車: バス: |