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阿志神社(愛知県田原市芦町鎮座)延喜式内社

2021年9月19日

神社情報

神社名阿志神社
鎮座地愛知県田原市芦町柿ノ木12
御祭神木花咲耶姫命

【合祀】大正元年十月二十八日
健御名方命
誉田別命
須佐之男命
五男三女命
菅原道真
大名持命
少名彦命
※市杵嶋姫命 昭和四年発刊「渥美郡史」には列格している。
創 建不詳
社格等郷社
神名帳延喜式神名帳:三河国 渥美郡 阿志神社
三河国神名帳:渥美郡 正三位 阿志大明神
文化財国 宝:ー
国指定:ー
県指定:ー
市指定:ー
例大祭十月四日
境内社
URL
御朱印
参拝日:2021年9月16日

御由緒

 創建年月は不詳。

 阿志神社の名が記されている一番古い資料は、元慶三年(879年)に編纂された「日本文徳天皇実録(文徳実録)」であり、それには「仁寿元年(851年)冬十月乙巳授三川国阿志神社従五位下」と記され、延喜式神名帳に「三河国 渥美郡 阿志神社」、また三河国神名帳に「渥美郡 正三位 阿志大明神」とその名が記されている古社になります。

  • 元慶元年(879年)、文徳実録に「仁寿元年(851年)冬十月乙巳授三川国阿志神社従五位下」
  • 延喜元年(905年)、延喜式神名帳に「三河国渥美郡 阿志神社」と記載。
  • 時期不詳、三河国神名帳に「碧海郡正三位 阿志大明神」と記載。
  • 寛文四年(1664年)、田原藩主「三宅康勝」が現在の境内地に遷座再興。
  • 明治四年(1871年)、郷社に列格
  • 明治十二年(1879年)、社殿を再建。この時、瓦に神代文字が使用されていることが判明
  • 大正元年(1882年)、境内社、市杵島神社、八幡社、薬師社、八柱社、諏訪社、天神社、進雄社を本社に合祀。

阿志神社の御祭神は?

阿志神社の御祭神は、

  • 木花之佐久夜毘売

であるとしています。しかし、大正十二年発刊の「渥美郡史」には創建時の御祭神は不明と記載されており、江戸時代の頃には御祭神は「木花之佐久夜毘売」が祀られていた様で、これは寛文四年、時の田原藩主「三宅康勝」によって現在の境内地に社殿を造営遷座した時に主祭神として勧請したのではないかと書かれています。

木花之佐久夜毘売

 木花之佐久夜毘売は古事記に登場する「神阿多都比売かむあたつひめ」の別称となります。日本書記で登場する神名「神吾田鹿葦津姫かむあたかあしつひめ」、別称で「木花咲耶姫命」と記されています。

 一般的には古事記の「木花之佐久夜毘売」の神名で広く知られている神であり、富士山を御神体とする「富士山本宮浅間大社」と全国約千三百社あるという浅間神社の御祭神として祀られています。

邇邇芸命とは笠沙の岬で出会い求婚される。父の大山津見神はとても喜び姉の「石長比売」と共に邇邇芸命に嫁がせようとするが、木花之佐久夜毘売とだけ結婚し、石長比売は送り返した。

 大山津見神は「石長比売を娶れば邇邇芸命は永遠の命を手に入れ、木花之佐久夜毘売を娶れば木の花(桜)が一気に咲き誇る様に繫栄するという誓約をしていたのに、邇邇芸命が木花之佐久夜毘売のみを娶ったので、邇邇芸命の御子の命は木の花(桜)が一気に舞い散る様にはかなくなるだろう。」と告げた。これが天皇は神々の子孫でありながら、神々に比べると非常に短命なのはこのためである。

邇邇芸命と木花之佐久夜毘売の間には火照命(海幸彦)、火須勢理命、火遠理命(山幸彦)を生んでいます。

また皇学館大学が編纂した『式内社調査報告』では、阿志神社の相殿に天津彦火瓊瓊杵尊・天津日高彦火火出見尊を祀るとしています。
 また、御祭神は鵜萱葺不合尊とする棟札も存在していた(現存するのかは不明)そうです。

また、社頭に据えられた由緒書では、

阿志神社の源は、大和朝廷に文化・技術をもたらした渡来人の阿智使主あちのおみを祖神とする奈良県明日香村の於美阿志神社とされている。

と記されています。阿智使主は応神天皇の御代の渡来人であるとされ、於美阿志神社は阿智使主を主祭神とする延喜式内社になります。

 また、明治期までは阿志神社の境内に数多くの境内社が鎮座していたそうで、明治維新の際の神仏分離令によって阿志神社の本殿を含めて本地仏としてそれぞれの御祭神の御神体となっていた仏像が取り去られて阿志神社の境内の一角に安置されていたといいます。この仏像がその後どうなったのかは不明・・・。

阿志神社の最古の記録は「文徳実録」 に「仁寿元年(八五一)冬十月従五位下を授く」とある。「延喜式神名帳」にも 「渥美郡一座阿志神社」とあり、郡内唯一の式内社となっている。阿志神社の源は、大和朝廷に文化・技術をもたらした 渡来人の阿智使主を祖神とする奈良県明日香村の於美阿志神社とされている。
 戦国時代から江戸時代初期にかけては荒廃していたが、寛文四年(一六六四)田原藩主となった三宅能登守康勝公によ り再興された。夢枕に立った神様からお告げがあったとされており、領内三十三ヶ村に命じて社殿を造営し、燈籠二基を 奉納した。代々の藩主も厚く崇敬し、参勤交代の際には参拝して道中の無事を祈ったと伝えられており、大草村から伊良 湖村にいたる表浜一帯が氏子であった。
 明治十二年の拝殿建て替えの際には瓦に「神代文字」が使われたが、これは全国にも例を見ないものであり、今回の建 て替えでも踏襲した。また国学者羽田野敬雄らによって「伊良湖阿志両神社道」 の道標が東海道二川宿に建てられ、現存している。

阿志神社境内由緒書より

延喜式内社巡りin三河国

 新型コロナウィルスパンデミックの早期沈静化を祈願する為に、まずは三河国内にある式内社を参拝して廻ろうかとおもっています。自分の神社巡りは、基本バイクを使って一人で巡って行くので、密にならず、ソーシャルディスタンスも確保し、さらに喋らないという感染防止策は万全の状態を維持しやすいかなと思っています。そこで、感染状況が改善しつつある時期を見極めながら参拝していき、その模様を紹介できたらと思います。

参拝記

 渥美半島の中央部分にある「芦ヶ池」の北側に鎮座する「阿志神社」になります。すぐ近くには「サンテパルクたはら (田原市芦ヶ池農業公園)」があって、休日には家族で遊びに訪れるスポットがあるので近くまで行った事がある方は案外多いのではないでしょうか。

サンテパルクたはら公式ウェブサイト

 社号標の据えられた参道入口から真っ直ぐ北に参道が伸び、阿志神社の境内に通じています。現在は境内にすぐ南側に国道259号線に通じる片側1車線の市道が参道を横切る様な形で作られていて、車で参拝する場合は、この道路の余地に車を停める形になるかと思います。

秋葉山常夜燈

 三段の基壇の上に据えられた「秋葉山常夜燈」。遠州秋葉山信仰の象徴の一つがこの秋葉山常夜燈になります。静岡県、愛知県には江戸時代から秋葉山に向かう街道を「秋葉街道」と呼び、その街道沿いには点々の常夜燈が置かれ、さらにその周辺の集落の中心にも常夜燈が置かれ、火伏の祈願を行っていた信仰の名残ですね。現在でも自分の家がある場所では集落の代表の方が秋葉山詣の代参が行われていて、御札をそれぞれの家に貼っていたりします。

鳥居

 昭和八年建立の石造神明鳥居が据えられています。

手水舎

 木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。自然石をくり抜いた水盤と、その脇に井戸穴があります。確認してないですが、まだまだ現役の井戸っぽいです。

社殿

 入母屋造瓦葺平入の拝殿を有する社殿になります。本殿は神明造となっています。ここの社殿は全国的にも非常に珍しい「神代文字」が瓦に刻まれている事で色々な方の阿志神社参拝記事を読むことができます。

 その特徴的な瓦がこちら。というか、神代文字よりまず神社の建築物で見る事のない「鬼瓦」に目が行ってしまいますね。というか・・・これ「鬼」か?・・・

 さらに拡大してみました。
 〇├ とか ∧| とか ぱっと見ではハングル文字?と思ってしまう記号の様なものが神代文字になります。

 丸瓦部分が「ア」「シ」、軒先瓦部分が「ロ」「シ」「ヤ」と読むことが出来るみたいです。神代文字の為なのか、右から左に読むので、正確には「アシヤシロ」と表記されています。  

地図で鎮座地を確認

神社名阿志神社
鎮座地愛知県田原市芦町柿ノ木12
最寄駅田原市ぐるりんバス「芦集会所バス停」徒歩2分

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