
野見宿禰とは?
第十一代垂仁天皇によって出雲国より呼び寄せられ、そのまま京に滞在する事になったという人物になります。呼び出される切っ掛けとなった「当麻蹶速」との力比べになる訳ですが、この力比べが相撲の原点であるとして相撲の神として知られています。しかし、日本書紀で書かれている内容は、相撲というよりキックボクシングの様な感じで双方蹴りあい、最終的に野見宿禰は当麻蹶速の脇骨を折り、また腰を折って殺してしまっています。これが相撲の発祥とすると、元々相撲というのは「蹴り」もありだったのでしょうか。
野見宿禰は、力比べにより当麻蹶速の領地をそのまま与えられ、都周辺に居を構えたとされ、垂仁天皇32年に再び日本書紀に登場します。この時は、有力者が亡くなった時の殉死をどうするかという内容でした。
当時は時の権力者が亡くなった時、殉死した家臣などを同時に埋葬する風習があったとされます。この殉死について、強制的なのか自発的なのかで意味合いがかなりかわってきそうですが、「殉死を禁止した」という文言が垂仁天皇の代で登場してい来ることか、強制的な殉死(要は殺害した)は禁止したということなのでしょう。卑弥呼の埋葬の時は、100人以上を殉死(殺すというより生き埋めか?)させたと言われていますね。
野見宿禰は自らの一族の拠点である出雲国に使いを送り、「埴輪」を造り垂仁天皇に献上したと記されています。この埴輪を殉死の代わりにしたとして、垂仁天皇から「土師職」を賜り、本姓を改めて土師臣としたとしています。これにより、天皇の埋葬は土師連が取り仕切った由縁になっています。ただ、葬儀の際火葬が一般化してくると、土師氏の権力も衰退していったようです。
神々のデータ
神祇 | 人神 |
神名 | 日本書紀:野見宿禰 |
役職 | 土師職 |
先祖 | 天穂日命 |
子 | 土師阿多勝 子孫は、後に大江氏、菅原氏、秋篠氏を称する。 特に、菅原氏からは菅原道真を輩出する。 |
系図 | 天穂日命 ┃ 建比良鳥命 ┃ (略) ┃ 甘美乾飯根命 ┃ 野見宿祢 |
野見宿禰を祀る神社
- 野見神社(式内社・郷社)
愛知県豊田市野見山町4-21
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野見神社(愛知県豊田市野見山町)延喜式内社
加茂郡に鎮座する延喜式内社「野見神社」の論社の一社になる豊田市野見町鎮座の「野見神社」になります。矢作川のすぐ近くにある能見山の山頂に鎮座し、御祭神は相撲と土器の神であるとする「野見宿禰」になります。境内からの景観がとても素晴らしい神社になります。
- 豊田市中心部を流れる矢作川の左岸沿いにある野見山の山頂に鎮座する神社。境内には相撲の神である野見宿禰を祀る神社らしく「土俵」が設置されています。
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