神々の伝承

天若日子(あめのわかひこ)

天若日子とは?

記紀での出現状況

  • 古事記に出現
    • 「葦原中つ国のことむけ」の段中にて登場
      三年間報告の無い「天之菩比神」に続いて葦原中つ国を服従させる為に遣わされた神
    • 神名:天若日子


  • 日本書紀に出現
    • 神代下の中の「葦原中国の平定」の段中にて登場
      「天穂日命」、その子「大背飯三熊之大人」に続いて葦原中国を服従させる為に遣わされた神
    • 神名:天稚彦

 古事記や日本書紀における「葦原中国の国譲り」に繋がる前段階となる部分に登場する神になります。記紀ともに似たような内容となっているので、大きく違う部分だけはそれぞれの内容を併記する形であらすじを紹介します。

 天照大御神が葦原の中つ国を自らの子である「正勝吾勝々速日天之忍穂耳命まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと」に統治させるべく、天之忍穂耳命を中つ国に向かわせます。しかし、葦原の中つ国は、大国主命を始めとする多くの国津神たちが天之忍穂耳命に従おうとせず、天之忍穂耳命による統治は暗礁に乗り上げてしまいます。

 高天原にいる天照大御神は天津神の神々を集め、この事態を収拾させる為の案を求めると、思金神おもいかねのかみを始めとする神々が「天之菩比神」を向かわせるのがいいでしょうと推挙した為、天照大御神は 天之菩比神を中つ国にいる国津神を説得臣従させる為に派遣しています。しかし、天之菩比神は大国主命に懐柔されてしまい3年もの期間、高天原へ報告をすることがなく、天照大御神は天之菩比神による臣従策は失敗したと判断し、さらなる案を天津神たちを集めています。

 この中で思金神は「天若日子」に向かわせるのがいいと提案、神々も同意した事から、天照大御神は天若日子に弓と矢を授けた上で中つ国に向かわせます。しかし、天若日子も中つ国に着くやいなや大国主命の娘「下照比売」を娶り、月日が流れていく中、本来の任務を忘れ自らが中つ国を治めようと考える様になっていきます。そして、8年もの期間が過ぎ、高天原の天照大御神もまったく報告がない天若日子が何を考えているのか確認する為に、思金神が提案した「雉名鳴女」を中つ国に送る事にします。

 雉名鳴女は、天若日子の邸宅の門の楓に止まり、天照大御神からの伝言を伝えますが、この雉の声を聞いた「天佐具売」が「この雉の声は不吉なので、射殺した方がよいでしょう。」と助言すると、天若日子は天照大御神から授かった弓と矢で雉を射殺してしまいます。この時、雉を射殺した矢は、雉を貫通すると天高く飛び去り、高天原にいる”古事記では天照大御神と高御産巣日神”、”日本書記では神皇産霊尊”の元に矢が飛んできます。矢を見た高御産巣日神は、「これは授けた矢に血がついている。もし、天若日子に反逆の心がなければ矢はそれ、反逆の心があれば矢が突き刺さり死んでしまえ。」と叫んで矢を投げ返した。投げ返した矢は、寝ていた天若日子の胸に突き刺さり、天若日子は死んでしまった。

 夫をなくした下照比売は泣き叫ぶとその声が高天原にまで届き、天若日子の父「天津国玉神」とその妻子は中つ国に降りたち、”古事記では中つ国に喪屋を作り”、”日本書紀では遺体を高天原に運び、高天原に喪屋を作り”遺体を安置した。鳥たちを葬儀の後取に任じて連日連夜遊んだという。そんな中、天若日子の友である阿遲志貴高日子根神あぢしきたかひこねのかみが友を弔うために訪れると、その容姿があまりにも天若日子に似ていたので、下照比売、天津国玉神は「天若日子は死んでなかった」と言い、阿遲志貴高日子根神にすがって泣いた。

 阿遲志貴高日子根神は「穢れた死人に似ているとは何事だ!」と激怒し、喪屋を切り倒し、蹴飛ばして去ってしまった。

阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦微曽也

 阿遲志貴高日子根神の妹である「下照比売」は兄である神の名を皆に知らせる為にこの歌を詠った。この歌を夷振ひなぶりという。

 天若日子・・・神の名前なのに、”神”や”命”や”尊”がついていない事に気が付きました?。これは、環矢によって”反逆の心あり”として胸に矢が突き刺さり死んでしまった事で、天若日子=反逆神と位置付けされた為、神などの敬称が付けられていないのです。

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神々のデータ

神名記:天若日子
紀:天稚彦
神祇天津神
別称
天津国玉神
配偶下照比売命
備考

天若日子を祀る神社

まとめ

 この天若日子は、前任?の天之菩比神とは異なり、天照大御神より弓と矢を授かっています。そして、大国主命を中心とした国津神が数多く住んでいたとする葦原中つ国は「古代出雲国」を指しているとされ、天照大御神を祀る「ヤマト朝廷」における出雲出兵が行われた事をここでは述べているようです。

 天之菩比神では平和的交渉にて出雲を平定しようとしたが決裂
 天若日子では武力による進行が行われたが失敗

と考える事ができるのかなと思います。

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