酒人親王とは?
登場文献
・登場文献はありません。
酒人親王の伝承
愛知県岡崎市島坂町に鎮座する「酒人神社」の御祭神として祀られている神になります。酒人神社の社伝では、「酒人親王は百済から日本へ渡り、酒造などの技術を伝えた阿知使主の子孫と伝わる。酒人親王は、当地で清酒の醸造に成功したため、当地を美酒発祥の地とされている。」と記されています。
阿知使主とは?
大陸系渡来人と伝えられる人物になり、応神天皇の御代に日本に渡ってきたことが日本書紀に書かれています。渡来人は大陸の技術を日本にもたらしたと言われていて、その中に清酒の製造技術も含まれていたのかもしれません。
- 日本書記
- 原)「廿年秋九月。倭漢直祖阿知使主。其子都加使主。並率己之黨類十七縣而來歸焉。」
- 現)「応神天皇二十年九月、倭漢氏の祖である阿知使主、その子都加使主、並びに党類十七県の民を率いて来朝した。」
応神天皇の御代に勅命により中国の呉との間を行き来して縫工女を連れ帰ってきたとされ、その後、履中天皇の御代に朝廷内で重用され内臓の出納を司ったとされています。
酒人親王はこの阿知使主のどれくらい後裔なのかは不明です。しかし、この地に酒人親王が清酒の醸造技術をもたらして「美酒の生誕地」とされる様に、酒の醸造が行われたとされています。この事が、「酒人親王は渡来人である阿知使主の後裔である。」とする伝承に多少なり説得力を与えることになっています。
それでは、酒人親王とは一体だれだったのか。
三河国神名帳に「碧海郡従五位上小河天神」であるとする「神明社小川天神社合殿」が愛知県安城市小川町に鎮座しています。この神社の御祭神は天照大御神と小川天神であるとしています。
御祭神である「小川天神」は第二十六代継体天皇の御子莵王(菟皇子)の別称であると思われます。菟王の子孫は、酒人公の祖とされ、兎王の子孫は酒人氏と称していたようです。そして、近江国上坂郷を本貫としていたが、近江国高島郡小川を領した時にその地名から小川姓を名乗ったとされます。そして、菟王の子孫である「小川真人」がこの地に移住した事から、小川郷と呼ばれるようになったと伝えられています。
小川郷で疫病が流行った時、疫病終息の祈願をこめて「天照大御神」と共に、小川氏の祖である「菟王」を御祭神とする神社が創建されたというのが「神明社小川天神社合殿」の由緒になります。
そして、小川氏の所領であった酒人神社の鎮座地周辺で酒の醸造が行われ、その酒蔵に祀られたのが小川氏の祖である菟王だったのではないでしょうか。そしてその神名も酒にちなんで、酒人姓を称し、さらに継体天皇の皇子であったことから親王として、「酒人親王」という名称で祀った・・・・のではないかと思うのですが、この辺りは100%私の私案であって何ら確証があって述べているわけではないので、そういう意見もあるのね程度で読んでください。
神々のデータ
神名 | 酒人親王 |
神祇 | 人神 |
別称 | ー |
親 | |
配偶 | |
子 |
備考 | ー |
酒人親王を祀る神社
- 酒人神社
- 岡崎市島坂町木ノ元三二八番知
延喜式内社 碧海郡 酒人神社
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酒人神社(愛知県岡崎市島坂町)延喜式内社
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- 岡崎市島坂町木ノ元三二八番知
まとめ
延喜式内社「酒人神社」の御祭神であり、美酒の発祥地として伝承されている事から、酒の神として祀られているようです。ただ、酒人神社が江戸時代の頃には衰退してしまった事もあって詳しい伝承が残っていない為、様々な説がある神になっています。