神々の伝承

大碓命(おおうすのみこと)

大碓命とは?

登場文献

  • 古事記:中つ巻「景行天皇の段」
  • 日本書紀:巻第七「景行天皇」

大碓命の伝承

 第十二代景行天皇の皇子として景行天皇十二年に生誕。母は「播磨稲日大郎姫」。

 日本書紀では、小碓命(ヤマトタケル)と双子として生まれた時、天皇が臼に向かって叫んだため大碓命、小碓命と名付けられたとしている。ただし、古事記では同母弟として小碓命、倭根子命・神櫛王の名があげられているが、大碓命と小碓命が双子だという記述はない。

 美濃国造の娘の姉妹がとても美人であると聞き、景行天皇は大碓命を遣わせて容姿を確認させる。日本書記ではこの美濃国造と密通し都に戻らなかった為、天皇は大碓命を恨んだとし、古事記では、大碓命は別の姉妹を見つけ景行天皇に献上し、自らはこの姉妹と結婚したとあり、姉の兄比売との間には「押黒之兄日子王」、妹の弟比売との間には「押黒弟日子王」をもうけたとある。

 そして、東国が不安定となった為、東征を行う事になるが、誰を派遣すればいいかと議論している時、征西から戻ってきた小碓命が「大碓命がよいでしょう。」と奏上した。この話をきいた大碓命は慄いて草の中に逃げ隠れてしまった。
 その後、天皇から呼び出され、「望まぬことを無理強いするつもりはないが、まだ見てもない賊にここまで怖れるとは。。。。」と天皇から責められ、美濃国に封じられた。

猿投神社の伝承

大碓命は美濃国封じられた後、美濃国の開拓と共に国を超えて三河国猿投の地の開拓にも携わっていたが、景行天皇五十二年に猿投山に上る途中、毒蛇に噛まれ、その傷が元で亡くなったと伝えられています。大碓命が亡くなったとする猿投山中には大碓命の墓所が築かれ、現在でも猿投神社西之宮の奥に存在しています。

大碓命の系譜

             兄比売
前皇后)播磨稲日大郎姫   ├押黒之兄日子王
    ├───────┬大碓皇子(猿投神社祭神)
    │       │ ├押黒弟日子王
    │       │弟比売
第十二代景行天皇    └小碓尊(日本武尊)─第十四代仲哀天皇
    ├───────┬第十三代成務天皇
後皇后)八坂入媛命   ├五百城入彦皇子
            ├忍之別皇子
            ├稚倭根子皇子
            ├大酢別皇子
            ├渟熨斗皇女(渟熨斗姫命)
            ├渟名城皇女
            ├五百城入姫皇女
            ├麛依姫皇女
            ├五十狭城入彦皇子
            ├吉備兄彦皇子
            ├高城入姫皇女
            └弟姫皇女

 大碓命の弟は前述の通り日本神話最大の英雄とも称される「ヤマトタケル」になります。そして、異母弟には同じ三河国の延喜式内社である「和志取神社」の御祭神である「五十狭城入彦皇子」がいます。

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

神々のデータ

神名大碓命
神祇人神
別称大碓尊
父:第十二代景行天皇
母:播磨稲日大郎姫
配偶兄比売、弟比売
押黒之兄日子王
押黒弟日子王

大碓命を祀る神社

まとめ

 ヤマトタケルとは双子として生誕したと伝えられる「大碓命」ですが、ヤマトタケルの功績に対して大碓命の記紀における内容は父である景行天皇の意向に従わず、さらに敵から逃げてしまう人物として描かれており、その代償として美濃国に封じられたとしています。ただ、まったくの役立たずであったらいくらヤマトタケルによる東征が成功したとしてもそれまではヤマト朝廷の勢力の東端近くにあたる美濃国を治めさせるわけもなく、ヤマトタケルの神格化を強める為に恣意的な印象操作が行われている可能性は比定できないかと思います。

-神々の伝承