神々の伝承

菟上足尼命(うなかみすくねのみこと)

菟上足尼命とは?

登場文献

  • 先代旧事本紀
    • 巻第十 国造本紀 穂国造の項

「穂国造

 泊瀬朝倉朝以生江臣祖葛城城襲津命四世孫菟上足尼定賜国造」

菟上足尼命の伝承

 第二十一代雄略天皇の御代に穂国造に任ぜられたのが、一説には仲哀天皇・神功皇后・応神天皇の側近として記紀に登場する「武内宿祢」の子「葛城襲津彦」の四代窓になる「菟上足尼命うなかみすくねのみこと」になります。

 先代旧事本記に記されている「泊瀬朝倉朝」とは奈良県桜井市周辺に築かれたとする泊瀬朝倉宮はつせのあさくらのみやで政治を行った二十一代雄略天皇の御代を指しています。

奈良県桜井市内の大和川沿いを走る国道165号線沿いに「泊瀬朝倉宮伝承地」が点在していますが、ピンポイントではその宮殿の場所は不明としても、少なくとも大和川沿いに宮殿が築かれたようです。

 葛城襲津彦の娘「磐之媛命」は仁徳天皇の皇后であり、十七代反正天皇、十八代履中天皇、十九代允恭天皇の母となり、 十九代允恭天皇の子が二十一代雄略天皇となります。三代にわたる天皇を生んだ皇后としてその実家である「葛城襲津彦」はかなりの権力を集めたと容易に考えられ、大和国の葛城周辺を本拠とするヤマト朝廷を支える有力な豪族だったそうで、その本拠から姓をとり「葛城氏」の祖であるとも伝えられています。

 雄略天皇より穂国の国造を任ぜられた「菟上足尼命」は海路にて穂国の「柏木浜」に上陸したと伝承されています。菟上足尼命が穂国造としてどこ辺りに屋敷を構えたり国府を据えたのかは不明なのですが、柏木浜の周辺には菟上足尼命の伝承地が点在しており、その御魂は延喜式内社の一つである「菟足神社」の御祭神として祀られています。

柏木浜(菟上足尼命上陸伝承地)

 JR東海の飯田線と名古屋鉄道の名古屋本線が分岐する事で有名?な「平井信号場」のすぐ近く(歩いて1分ほど)に柏木浜の伝承地の碑と案内看板が据えられています。もう一つ、鳥居を有する社が一社鎮座していたのですが、御祭神は不明。

八幡神社

 小坂井町誌によると、『当社は白鳳二酉年菟上足尼命を斎き鎮め奉ったが、その後白鳳十五年菟足神社を小坂井の新宮に遷し奉ったことから、時の住民等はこれを惜しみその跡に一社を建立して誉田別命を奉斎した。中古は菟足神社を菟足八幡宮と称し、平井の八幡社は下八幡宮と称し、菟足八幡宮を参拝するものは下八幡宮も参拝しないと片祈りと言って、祈願完からずとして皆下八幡宮を崇拝した。当社は往古は志賀須賀(しがすか)の渡の海浜に奉祀してあったが天文九年の洪水により社殿はもちろん古文書棟札等一切を流失してその後現在の神域に遷した。』と記されています。

 本堂脇には鞘堂が一宇建っていて、この中になにやら石像が鎮座しています。最初は役行者像なのかな?と思っていたのですが、全体のフォルムは役行者像そのものって感じなのですが、細かく見ていくと何やら別の方の像の様に感じます。色々Google先生に尋ねてみると、もしかしたら「徐福伝説」の徐福像なのではないかということでした。菟足神社の記事の中でも紹介しているのですが、この菟足神社が鎮座する愛知県豊川市から豊橋市にかけての地域には徐福伝説が伝承されているそうです。こんな豊川でキングダム古代中国の世界が身近に感じる訳ですね・・・。

善福寺

 小坂井町誌によると、「菟上足尼命が柏木浜に上陸後、仮の住まいにした所に創建されたのが善福寺である。」としています。この善福寺の境内地周辺に菟上足尼命の宮が建造され、穂の国の統治が行われた場所なのではないか伝承されているようです。この伝承に基づいてか境内の一角に「菟上足尼命御休憩舊跡」と彫られた石碑が据えられています。

菟足神社

 延喜式神名帳にその名が記されている「菟足神社」は、元々は前述した八幡神社の旧境内地に鎮座していたと伝承されています。この菟足神社から八幡神社にかけてはかつては海岸線の近くにあったと考えられ、元々はこの一帯を柏木浜と呼んでいた場所だったのでしょう。そして、元々は海岸線近くに祀られていた菟上足尼神の御魂を少し高台に位置する現在の菟足神社の境内地に遷座させ、創建したのが菟足神社の創建年ともなっています。

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神々のデータ

神名菟上足尼命
神祇人神
別称
五代祖:武内宿祢
四代祖: 葛城襲津彦
配偶
備考穂国造

菟上足尼命を祀る神社

まとめ

 穂国というのは、現在の東三河一帯の地域を指すと考えられ、宝飯郡、設楽郡、八名郡、渥美郡の地域を指しているようです。これが何時の頃からか三河国と合併され、国名は三河国、国府は旧穂国の宝飯郡に置かれる事になっていくのですが、その穂国の礎を作り上げたとする人物が「菟上足尼命」になります。その功績から亡くなり埋葬された後も地元の人々から慕われ崇敬を集め、いつしか地元の守護神の様な感じになっていた辺り、三河国造として三河国に赴任し、死後「謁播神社」の御祭神として祀られた「知波夜命」に通じるものを感じますね。

 

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