古事記を読む

神世七代|地に生まれし七代の神々

2021年6月13日

神世七代とは?

前回紹介した「別天津神」の五柱に次いで出現した神々の七代十二神の総称となります。
また、神世七代の三代から男神・女神と性別が分かれ(一代、二代は別天津神と同様に独神)、ここから日本の神々は性別を有していく事になります。

別天津神の次に登場した神世七代と呼ばれる十二柱の神々は「古事記」ではどのように記されているのか見ていきましょう。

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次成神名。國之常立神。(訓常立亦如上。)次。豐雲(上)野神。此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。次成神名。宇比地邇(上)神。次。妹須比智邇(去)神。(此二神名以音。)次角杙神。次妹活杙神。(二柱。)次意富斗能地神。次妹大斗乃辨神。(此二神名亦以音。)次於母陀琉神。次妹阿夜(上)訶志古泥神。(此二神名皆以音。)次伊邪那岐神。次妹伊邪那美神。(此二神名亦以音如上。) 上件自國之常立神以下。伊邪那美神以前。并稱神世七代。(上二柱。獨神各云一代。次雙十神。各合二神云一代也。)

引用元:古事記上つ巻

冒頭の「次」は前回紹介している「別天津神の天之常立神に続いて出現した。」という意味になり、出現した場所は、言及されていない所から、宇摩志阿斯訶備比古遲神が出現した「国(地)」になると思います。
また、名前の初めに「妹」とついている神が四柱いますが、この妹とは「女性」を示しており、女神となり、妹がついていない神は男神となります。
また、後半のカッコ書きの中で、独神は人柱で一代、三代以降は男神・女神を一組にして一代を数える。と書かれています。

歴史的仮名つかい訳

次に、成りませる神の名は、国之常立の神くにのとこたちのかみ。次に豊雲野の神とよくもののかみ。この二柱の神も、独神と成りまして、身を隠したまひき。
次に、成りませる神の名は、宇比地邇の神うひぢにのかみ。次に、妹須比智邇の神すひちにのかみ。次に、角杙の神つのぐひのかみ。次に、妹活杙の神いくぐひのかみ。次に、意富斗能地の神おほとのぢのかみ。次に、妹大斗乃弁の神おおとのべのかみ。次に、於母陀流の神おもだるのかみ。次に、妹阿夜訶志古泥の神あやかしこねのかみ。次に、伊邪那岐の神いざなぎのかみ。次に妹伊邪那美の神いざなみのかみ
上の件の国之常立の神より下、伊邪那美の神より前を、并せて神世七代といふ。(上の二柱の独神は、おのもおのも一代をいふ。次に双へる十はしらの神は、おのもおのも二はしらの神を合わせて一代といふ。)

神々の名前が列挙されている文が大半なのもあって歴史的仮名づかいの文でもしっかりと読み取れますが、あえて現代語訳すると・・・

さらに現代語に訳すと

別天津神の五柱の次に出現したのは「国之常立神」、その次は「豊雲野神」。この二柱の神々も、独神として出現し、その後姿を見えなくされた。
この次出現した神は、「宇比地邇神」と「須比智邇神」。次に、「角杙神」と「活杙神」。次に、「意富斗能地神」と「大斗乃弁神」。次に、「於母陀流神」と「阿夜訶志古泥神」。この次に、「伊邪那岐神」と「伊邪那美神」。
国之常立神から伊邪那美神までに出現した神々を神世七代と称する。(最初の二柱の独神はそれぞれを一代とし、それ以降の一対の神々は、二柱の神を合わせて一代とします。)

ここでは、十二柱の神々の名前があげられています。

  • 国之常立の神<詳細紹介記事
    ・名義は「国土が永久に立ち続けること」。国とは国家の事ではなく、人間の住んでいる土地の事を指す。別天津神の「天之常立神」と対をなす神とされ、この両神の存在によって天と地の区別がはっきりとした。国土神として最初の神であると言われている。
  • 豊雲野の神<詳細紹介記事
    ・名義は「豊かな実りを約束する地味の肥えた、そして慈雨をもたらす雲が覆う原野」。原文にある(上)は声注(アクセント)でありこれが記される事で「豊雲、野」ではなく「豊、雲野」という意となる事を示しており、「豊かな雲」と解さず「豊かな野で雲の覆う野」と解している。国土神として出現し、神世七代の第二代である。
  • 宇比地邇の神
    ・名義は「最初の泥土」。宇比地は「初泥うひひぢ」の音約であるとする。次の「須比智邇の神(女神)」と合わせて神世七代の第三代となる。
  • 須比智邇の神
    ・名義は「砂と泥土」。須は「砂」、比智は「泥土」を指す。「宇比地邇の神」と合わせて神世七代の第三代となる。
  • 角杙の神
    名義は「角状の棒杙」。村落や家屋の境界を示す「杙」が神格化したとされる。次の「活杙の神」と合わせて神世七代の第四代となる。
  • 活杙の神
    名義は「生き生きとした棒杙」。角杙の神と同じく、境界を示す「杙」が神格化したとされる。「角杙の神」と合わせて神世七代の第四代となる。
  • 意富斗能地の神
    名義は「偉大な、門口いる父親」。意富は「大」の美称、斗は「門・戸」を示し、集落や家屋の門には守護神が居ると信じられていた事から神格化したとされる。次の「大斗乃弁の神」と合わせて神世七代の第五代となる。
  • 大斗乃弁の神
    名義は「偉大な、門口にいる女」。弁は「女」の音転。意富斗能地の神と同じく守護神がいると信じられていた門が神格化した。「意富斗能地の神」と合わせて神世七代の第五代となる。
  • 於母陀流の神
    名義は「男子の顔つきが満ち足りていること」。人体の完備を示したと言われるが、現在でも各地に伝わる「生殖器崇拝」が神格化したとも考えられる。次の「阿夜訶志古泥の神」と合わせて神世七代の第六代となる。
  • 阿夜訶志古泥の神
    名義は「まあ、畏れ多い女子よ」。阿夜は感嘆詞で「まぁ!」といった意、訶志古は「畏し」の語幹。於母陀流の神と対であることから「生殖器崇拝」が神格化したとも考えられる。「於母陀流の神」と合わせて神世七代の第六代となる。
  • 伊邪那岐の神
    名義は「媾合に誘い合う男性」。伊邪那は「誘う」の語幹。男女媾合による生産豊穣が神格化した。次の「伊邪那美の神」と合わせて神世七代の第七代となる。
  • 伊邪那美の神
    名義は「媾合に誘い合う女性」。伊邪那岐の神と同様に。男女媾合による生産豊穣が神格化した。「伊邪那岐の神」と合わせて神世七代の第七代となる。

神世七代の最後に登場する、伊邪那岐の神、伊邪那美の神の両神の名前は聞いた事のある方が大半なのではないでしょうか。この神世七代は、別天津神が見守る中、国(地)に出現し国造りに向けてその地を育てていった神々を総称しているのだと思います。その集大成として最後の代として出現した伊邪那岐の神、伊邪那美の神によって国造りが行われいくのですが、この辺りは次回紹介します。

この神世七代はその名が示すように、七代にわたって出現していった神々を示しています。そして冒頭にも述べていますが、この神世七代の三代「宇比地邇の神・須比智邇の神」から独神ではなく、男女の性を持った神々へと変わっていきます。

まとめ

神代七代の神々は、「豊かな土地を開墾し、境界を決め、屋敷を建て、男女が共に生活し、結婚し、子を産み、育てていく」という人間の生活から神格化された神々なのではないでしょうか。

いよいよ次回から、別天津神の勅を受けて伊邪那岐の命・伊邪那美の命による国づくりが始まっていきます。

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