
仲哀天皇の崩御とその後の神託とは?
仲哀天皇の皇后である神功皇后は、仲哀天皇の「熊襲攻め」に同行し、筑紫橿日宮において神懸りとなり神託を告げるが、仲哀天皇はその神託を受け入れる事は出来なかった。すると、「そなたの治める国はここには在らず。このまま真っ直ぐに黄泉国に向かうがいい。」との神罰を受けてしまいます。
実は、この段には、現在でも六月晦日と十二月大晦日に宮中三殿を始めとして全国の神社で催行されている「大祓」についての記述があります。少なくとも、古事記が編纂された和銅五年(712年)以前より「大祓」の神事が執り行われていた証左になっています。大祓を行う場面とはどんな場面なのか、古事記の内容を見ていきましょう。
古事記を読む
於是建内宿禰大臣白。恐我天皇。猶阿蘇婆勢其大御琴。〈自阿至勢以音。〉爾稍取依其御琴而。那摩那摩邇〈此五字以音。控坐。故未幾久而。不聞御琴之音。即擧火見者。既崩訖。
爾驚懼而。坐殯宮。更取國之大奴佐而。〈奴佐二字以音。〉種種求。生剥。逆剥。阿離。溝埋。屎戸。上通下通婚。馬婚。牛婚。鷄婚。犬婚之罪類。爲國之大祓而。亦建内宿禰居於沙庭。請神之命。於是教覺之状。具如先日。凡此國者。坐汝命御腹之御子。所知國者也。
爾建内宿禰。白恐。我大神。坐其神腹之御子。何子歟。答詔。男子也。爾具請之。今如此言教之大神者。欲知其御名。即答詔。是天照大神之御心者。亦底筒男。中筒男。上筒男。三柱大神者也。〈此時其三柱大神之御名者顯也。〉今寔思求其國者。於天神地祇。亦山神及河海之諸神。悉奉幣帛。我之御魂。坐于船上而。眞木灰納瓠。亦箸及比羅傳〈此三字以音。〉〉多作。皆皆散浮大海以可度。
- 建内宿禰:景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五帝に仕えた伝説の忠臣
- 天津罪・国津罪:祓うべき罪とするもの
- 生剥:獣の皮を生きながらに剝ぐ
- 逆剥:獣の皮を異常なかたちで剝ぐ
- 阿離:田の畔(あぜ)を壊す
- 溝埋:田畑に水を引いている溝(用水路)を埋める
- 屎戸:祭場に大便をする
- 上通下通婚:親子の姦淫
- 馬婚・牛婚・鷄婚・犬婚:獣姦
- 底筒の神。中筒の神、上筒の神の三柱は「住吉三神」とも呼ばれ、住吉大社の御祭神でもある。
神託を受け入れなかった仲哀天皇は、神罰を受け、崩御されてしまいます。ここの記述により、いくら天皇であろうと神託を受け入れなかった場合は必ず神罰を受けるという事を示しています。ヤマト朝廷の元首たる仲哀天皇が神罰によって崩御してしまった為、この「罰」を祓い国並びに民を綺麗にするために行われるのが「大祓」になり、この時、様々な罪(天津罪、国津罪ともいう。)も併せて払う事で国中の大祓をおこなっています。
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神託で「日本の国土は神功皇后の胎内にいる御子が統治すべし」と告げられ、御子が生誕し、天皇に即位するまでの間は皇位は空位であったとされ、神功皇后が摂政となっています。
そして、神託により、東シナ海を渡り、朝鮮半島の新羅国への親征へと繋がっていきます。
まとめ
仲哀天皇は神功皇后の神懸りによる神託を受け入れなかった為、「治める国はここにあらず、黄泉国にむかうがいい。」という神罰により崩御してしまいます。いくら天照大御神の直系といえども、神託に逆らう事は許されないという事でしょうか。そして、その後の大祓に繋がっていくあたりに当時の罪というものをどう考えていたのかという事が分かる場面でもあるかと思います。

当サイトでは、古事記の現代語訳を行うにあたって、「新潮日本古典集成 古事記 西宮一民校注」を非常に参考させて頂いています。原文は載っていないのですが、歴史的仮名遣いに翻訳されている訳文とさらに色々な注釈が載っていて、古事記を読み進めるにあたって非常に参考になる一冊だと思います。