古事記を読む

伊邪那岐・伊邪那美|伊邪那岐、黄泉国を脱出する

2021年8月31日

伊邪那岐、黄泉国を脱出する

 愛しの「伊邪那美」を追って黄泉の国に向かった「伊邪那岐」は、その黄泉の国への入口で伊邪那美に「戻ってきてほしい。」と話しかけた。伊邪那美は黄泉の神に相談してい来るので待っていてほしいとし、その間、「けっして私を見ないでください。」と伊邪那岐に忠告します。しかし、伊邪那岐は待ちきれず、伊邪那美の忠告を無視する形で黄泉の国へ入っていき、そこで蛆がわいている伊邪那美の遺体を目にしてしまします。

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於是伊邪那岐命見畏而。逃還之時。其妹伊邪那美命。言令見辱吾。即遣豫母都志許賣〈此六字以音。〉令追。爾伊邪那岐命。取黑御鬘投棄。乃生蒲子。是摭食之間。逃行。猶追。亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而。投棄。乃生笋。是拔食之間。逃行。且後者。於其八雷神。副千五百之黃泉軍。令追。爾拔所御佩之十拳劔而於後手布伎都都。〈此四字以音。〉逃來。猶追到黃泉比良〈此二字以音。〉坂之坂本時。取在其坂本桃子三箇。待撃者。悉逃返也。爾伊邪那岐命告其桃子。汝如助吾。於葦原中國所有宇都志伎〈此四字以音。〉青人草之。落苦瀨而。患惚時。可助告。賜名號意富加牟豆美命。〈自意至美以音〉。

  • 見畏とは、古代では屍体を見ると自らも死に至ると考えられていた為、伊邪那美の屍体を見た伊邪那岐はとても「死」を恐れた。
  • 言令見辱吾とは、古代では禁忌をおかされると「恥」となった。ここでいう禁忌とは、「私を見るな」という禁忌をおかして伊邪那美の屍体を見てしまった事を指す。
  • 予母都志許売は黄泉の国の醜悪の女であるとし、黄泉の国の死の穢れの象徴。
  • 黑御鬘とは、黒い蔓草の髪飾り。長寿を願い植物の髪飾りを飾っていたという。ここでは投げつけた時山葡萄が成ったことから、山葡萄の蔓を使った髪飾りだったことがわかる。
  • 湯津津間櫛とは、しんせいな櫛という意。この櫛を投げつけた時、タケノコが成ったことから竹製の櫛であったことが分かる。古代、竹は邪気を払う力があると信じられていたという。
  • 黃泉比良坂之坂本とは、黄泉の国と現つ国との境界ある坂の麓という意。
  • 桃子三箇とは、桃も邪気を払う力があったと信じられており、三個は聖数である。
  • 葦原中國とは、高天原と黄泉の国の間にある現つ国の事。伊邪那美と伊邪那岐によって造られた国を指す。

現代語訳

(伊邪那美の遺体を見てしまった)伊邪那岐はとても恐れて黄泉の国から逃げ帰ろうとしたとき、伊邪那美は「私にとても恥をかかせましたね。」と言い、すぐさま予母都志許売よものしこめを遣わして伊邪那岐を追わせた。

 伊邪那岐は黒御鬘をとり投げつけると、その瞬間に山葡萄の実が成った。この山葡萄を予母都志許売が拾い食っている間に伊邪那岐は逃げ進んでいった。その後、すべての山葡萄を平らげたのか、再び予母都志許売が迫ってくると、右のみずらに刺していた神聖な爪型の櫛を追って投げつけた。その瞬間にタケノコが生えた。予母都志許売はこのタケノコを抜いて食べている間に伊邪那岐は逃げ進んだ。

 伊邪那美は、更に八雷神に千五百の黄泉の軍勢を与えて伊邪那岐を追わせた。伊邪那岐は腰に差していた十拳劔を抜き、後手に剣を振りながら逃げた。が、黄泉の軍勢は更に追ってくる。

 伊邪那岐が黄泉の国と現し国との境に在る坂の麓にたどり着いた時、その麓にあった桃の実を三個お取りになり、待ち構えて追ってに向かって投げつけると、追っ手は黄泉の国に戻っていった。そこで、伊邪那岐は桃の実に「汝は私を助けたように、葦原の中つ国に住んでいる人々が苦しんでいる時、困っている時に助けてほしい。」と述べ、この桃の実を意富加牟豆美命おおかむづみのみことと名付けた。

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まとめ

 見ないでとお願いしたのに自らの遺体を見られてしまった伊邪那美は辱めを受けたとして愛情より憎しみが勝り、伊邪那岐を憎むようになります。対する伊邪那岐は伊邪那美の遺体を見た事により自分もここままでは死んでしまうと恐れ、黄泉の国から逃げようとします。伊邪那岐を捕える為、伊邪那美は予母都志許売に命じて追わせます。

予母都志許売とは?

上記注釈で「黄泉の国の醜悪の女であるとし、黄泉の国の死の穢れの象徴。」と紹介しています。この注釈の中の醜悪な女とされるのは、日本書紀では「黄泉醜女」と書かれている所からだとは言われているのですが、どうも元々「醜女」の意味は「強い霊力を持つ女」という意だったそうですが、後年の死後の世界観などと融合し、いつしか「醜」が外観を指す様に変わっていったと考えられているようです。

 一飛びで千里(約4000km)を走る力を有すると言われ、神である伊邪那岐に追いつくだけの力を有しているが、伊邪那岐が化成させた山葡萄やタケノコに目がくらみ食べつくしている間に、黄泉の国と現つ国の境に在る坂の麓まで逃げられてしまうという「いじきたない」という側面を持っています。

 伊邪那美は、そのあと、自らの体から化成した八雷神に黄泉の国の軍勢を与えて伊邪那岐を追わせます。伊邪那岐は現つ国につながる坂道の麓にむかって十拳劔を後ろ手で左右に振りながら走り逃げていきます。そして坂道の麓になっていた桃の実を3つ取ると、黄泉の軍勢に向かって投げつけて退けています。この事から伊邪那美はこの桃の実を「意富加牟豆美命」と名付けています。

意富加牟豆美命とは?

 日本書紀でも古事記同様に伊邪那岐が黄泉の国の軍勢を退ける為に桃の実を投げつけている場面が登場しており、古代日本では桃は邪気を払う力がると信じられいた事がわかってきます。ただ、日本書紀では名前は記されてはいません。

 元々、中国では仙木とも呼ばれ、邪気を払う呪力があると考えられていたとされ、遣隋使・遣唐使などを通じて中国のこういった文化が日本に入ってきた影響が表れていると思われます。

意富加牟豆美命を祀る神社

伊邪那岐・伊邪那美|人間の生死の起原

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