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佐柿国吉城(福井県三方郡若狭町)続名城100選139番

城郭情報

城郭名佐柿国吉城
所在地福井県三方郡美浜町佐柿
築城主粟屋勝久
築城年弘治二年(1556年)頃
主な城主粟屋氏、木村氏、堀尾氏、江口氏、浅野氏、松原氏、多賀氏
文化財美浜町指定史跡
URLhttps://wakasa-mihama.jp/spot/佐柿国吉城/
御城印
名城100選139番 (続名城100選選出)
登城日:令和三年(2021年)七月二十一年

沿革

 若狭国と越前国の国境近くに築かれた城郭になります。
 若狭国主である武田氏の家臣「粟屋勝久」が天文弘治年中(1532-58年)に佐柿の東方の山に築城し、国吉城と称しています。この国吉城が有名になったのが、永禄六年(1563年)から朝倉氏が滅亡する天正元年(1573年)の間に幾度となく行われた朝倉軍による若狭国侵攻を撃退した籠城戦になります。第二次朝倉攻めの際、織田信長を迎え入れ、信長の宿所として使われたようです、朝倉氏滅亡後は、若狭国は丹羽長秀の所領となり、粟屋勝久も長秀の与力として仕えていく事になっていきます。

 本能寺の変後、粟屋勝久は豊臣秀吉に仕え、国替えとなり国吉城には木村重茲が入城しています。木村氏の時に城下町が整備されたと言われ、佐柿の集落が形成され江戸時代には丹後街道の宿場として栄えています。

 江戸時代になり、酒井氏の小浜藩の所領となり、一国一城令もあり、国吉城は廃城となり、その麓に佐柿町奉行所が設けられています。町奉行跡には現在若狭国吉城歴史資料館が建っています。

国吉城籠城記

 国吉城に関する戦いに参加していたとされる「田辺宗徳入道」によって一連の朝倉氏との戦いの模様が描かれた「国吉城籠城記」という軍記が記されています。ただ、朝倉氏は若狭国を侵略しようと出陣し、この朝倉軍を国吉城で撃退したという物語は、100%史実ではないとされ、そもそも朝倉氏は若狭守護職の武田氏の内部抗争により助力を求められたため若狭に出陣したとされ、この朝倉氏の影響力の増大を良しとしない国吉城の粟屋勝久ら家臣団が朝倉氏の若狭進出を阻止せんと戦ったというのが実際の所なんだとか。ただ、この戦いにより朝倉氏の勢力拡大が未遂に終わったのも事実であり、朝倉氏と対立していた粟屋勝久が織田信長を国吉城に招き入れていなければ、信長らの越前侵攻も史実通りに進められなかった公算が強いのではないでしょうか。

  • 弘治二年(1556年)頃- 粟屋勝久が国吉城を築く。
  • 永禄六年(1563年)- 朝倉氏侵攻。
  • 永禄七年(1564年)- 朝倉氏侵攻。
  • 永禄八年(1565年)- 朝倉氏侵攻。
  • 永禄九年(1566年)- 朝倉氏侵攻。
  • 永禄十年(1567年)- 朝倉氏侵攻。
  • 永禄十一年(1568年)- 若狭国守護武田元明が朝倉氏に降り、事実上朝倉氏による若狭支配となる。
  • 元亀元年(1570年)- 織田信長が越前攻めのため、国吉城に入城。
  • 天正元年(1573年)- 信長の第2回目の越前攻めに勝久が参戦。朝倉氏が滅亡。

 主家である武田氏が朝倉氏に降った後も、粟屋勝久は朝倉氏に従うことなく抵抗しており、これが後に織田信長が国吉城に入城した遠因になっていきます。しかし、永禄六年から十一年まで6年連続で朝倉氏の若狭侵攻が行われたのですね。

訪問記

国道27号線のなんという交差点名なのか標識がでていないのでわからないのですが、続日本名城100選に選定された横断幕が掲げられている交差点があるので、こちらを目印に細い佐柿の集落方面に進んでいきます。狭い路地を400mほど進んでいくと左手に国吉城の駐車場が用意されているので、こちらに車を停めて徒歩で城址に向かっていきます。

こちらが国吉城登城者用?の駐車場になります。こちらから資料館までは徒歩5分程になります。

 駐車場から資料館方面に歩いていくと、あまり聞きなれない「天狗党」関連の史跡を示す立て看板が置かれていました。幕末の動乱期に全国に〇〇党という幕府に反乱を起こした集団がいくつか発生していますが、その中の一つなのでしょうか・・・。いかんせん、まったく知識が無いのでどういった集団なのかもわかっておらず、ここでは天狗党っていうのが居たんだくらいでほぼスルーとなってしまっています。

福井県では令和三年になって天狗党についてのパンフレットを作成しているようです。立て看板もこの事業の一環で設置された物のようですね。

 資料館に向かって歩いていくと、山城である国吉城が築かれている稜線を見る事ができます。国吉城はまさに佐柿を守る詰城として築かれていて、普段城主は麓の城主館に滞在し、いざ戦となると城に登って戦ったとされています。まさに典型的な山城の戦い方の王道を行く城であると言えます。

さらに進んでいくと、元々奉行所が設けられいた跡地に作られた「若狭国吉城歴史資料館」が見えてきます。

入場料は100円

こちらの資料館にて名城100選のスタンプ、御城印を頂くことができます。

 資料館から国吉城址の方に少し歩いていくと、城主館跡が広がってるのですが、この脇に、明智光秀の幟やら立て看板が設置されていました。令和二年は大河ドラマ「麒麟がくる」と連動してこの辺りも明智光秀押しがすごかったようですね。大河ドラマも終わり、次は先に紹介した「天狗党」を押していく・・・・みたいですね。申し訳ないですが天狗党にそこまでの知名度があるとは・・・・。

 山頂まで登っていこうと思ったのですが、なにやら片道20分から30分かかるという事で、帰路につく時間を考慮すると全く時間がなく、残念ながら城郭跡を見る事ができませんでした・・。次の機会があればもっと早い時間に訪れようと思います。

 資料館前に置かれていた、若狭国吉城の石碑です。主郭跡に行けばよく見かける石柱型の城郭標があるのかな?

御城印・名城100選スタンプ

 国吉城の御城印は、自分が訪れた時は夏季限定の御城印もあったのですが、通常タイプの御城印を頂きました。300円也

所在地を地図で確認

城郭名佐柿国吉城
所在地福井県三方郡美浜町佐柿地内
最寄駅福鉄バス「佐柿口バス停」徒歩6分

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