三貴子の誕生と分治
古事記を読む
於是、洗左御目時、所成神名、天照大御神。次洗右御目時、所成神名、月讀命。次洗御鼻時、所成神名、建速須佐之男命。
右件八十禍津日神以下、速須佐之男命以前、十四柱神者、因滌御身所生者也。
此時伊邪那伎命、大歡喜詔「吾者生生子而、於生終得三貴子。」卽其御頸珠之玉緖母由良邇、下效此取由良迦志而、賜天照大御神而詔之「汝命者、所知高天原矣。」事依而賜也、故其御頸珠名、謂御倉板擧之神。次詔月讀命「汝命者、所知夜之食國矣。」事依也。次詔建速須佐之男命「汝命者、所知海原矣。」事依也。
- 十四柱神者は、八十禍津日神、大禍津日神、神直毘神、大直毘神、伊豆能売、底津綿津見神、底箇之男命、中津綿津見神、中箇之男命、上津綿津見神、上箇之男命、天照大御神、月読命、建速須佐之男命
現代語訳
さらに、左目をお洗いになられた時にお成りになられた神の名は「天照大御神」。
次に、右目をお洗いになられた時にお成りになられた神の名は「月読神」。
次に、御鼻をお洗いになられた時にお成りになられた神の名は「建速須佐之男命」。
右の件、八十禍津日神より建速須佐之男命までの十四柱の神は伊邪那岐神が体を濯いだ時に生れになられた。
この時、伊邪那伎の命は大いに喜びになられ、「私は子を生み続けて、最後に三柱の貴子を得た。」と仰せになり、その御首飾りの玉が触れあいささやかな音をたてながら(御首飾りを首から)取り外し、天照大御神に授けられた。
そして授けられた時に「あなたは、高天原を納めなさい。」と命じられた。
そして、この御首にかけた珠の名を、御倉板挙の神と言います。
次に月読命には「あなたは、夜を納める国を納めなさい。」と命じられた。
次に建速須佐之男命には、「あなたは、海原を納めなさい。」と命じられた。
まとめ
黄泉の国から帰ってきた伊邪那美神が穢れを祓うために禊を阿波岐原で行った際、最後に顔を水ですすがれた時に出現なされた三柱の神を「三貴子」と呼びます。
皇室の祖(皇祖神)である「天照大御神」
天照大御神が太陽神の性格を持ち、その対となる神となる「月読命」
そして神でありながら非常に人間味あふれる「建速須佐之男命」
特に、天照大御神はヤマト朝廷にとって最高神ともいえる神であり、皇室が日本を統治する正統性を証する為には不可欠な存在の神であるともいえるかと思います。
国生み、神産みを行ってきた伊邪那岐は、生まれた三貴子に、それまで作り上げてきた国を守るために「太陽」「月」「海」をそれぞれに与えている事からも、当時の朝廷内における三貴子の特別性を感じる事ができるかと思います。
しかしそんな伊邪那岐神の思惑も、人間味あふれる建速須佐之男命には通じなかったようで・・・
伊邪那岐・伊邪那美|須佐之男命の異端性