日子番能邇邇芸命とは?
登場文献
- 古事記ー上つ巻「天孫日子番能邇邇芸命」の段
- 天孫の誕生と降臨の神勅
- 猿田毘古神の先導
- 天孫の降臨
- 天の宇受売命と猿田毘古神
- 木花之佐久夜毘売との聖婚
- 日本書紀ー神代下
日子番能邇邇芸命の伝承
日子番能邇邇芸命は「天孫」と呼ばれています。”天”は天照大御神を指し、天照大御神の孫に当たる事から「天孫」と敬称がついています。
邇邇芸命の系譜
天照大御神 ┳ 須佐之男命 高御産巣日神
┃ ┃
天忍穂耳命 ━┳━ 萬幡豊秋津師比売命
┃
日子番能邇邇芸命
高天原の最高神(指揮官)とされる天照大御神と高御産巣日神の直系の"孫”になるのが邇邇芸命であり、血統的にはまさに高天原のサラブレッドという存在になるかと思います。
天孫降臨
邇邇芸命が高天原から豊葦原の瑞穂国に天降った伝説「天孫降臨」によって天皇家の祖神(皇祖神)がいよいよ日本の地に降り立つ訳ですが、この時の邇邇芸命のお姿が日本書紀に記されています。
于時、高皇産靈尊、以眞床追衾、覆於皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊使降之
日本書記 神代下 第九段より
眞床追衾とは?
日本書紀において天津神の直系の子孫のみが使用を許される布団(布)として登場し、書紀内では三回登場しています。
1回目は邇邇芸命の天孫降臨
2回目は山幸彦の海宮訪問
3回目は山幸彦と豊玉姫の別れ
この3回登場するすべてに天津神の直系である御子が眞床追衾を使用している事から、日本書紀の編纂において、「眞床追衾=天津神の直系の御子の物」という考えが確立している事がわかります。
天孫降臨の際、「邇邇芸命は眞床追衾に覆われて天降った」と書かれている事から、天降時の邇邇芸命は青年とかではなく、幼児・・・もしかしたら眞床追衾をおくるみとして使っていると考えたら乳児・・・であることが読み取る事ができます。
邇邇芸命の降臨は、天照大御神より後に三種の神器と呼ばれる「鏡、勾玉、剱」と従者を与えられ、高天原を出発します。出発してすぐ、一向の前を一人の国津神が出迎えます。この国津神は「猿田毘古神」といい、天孫が降臨されるという噂を聞いて「これは我が先導をかって出るしかない。」と思い、この場所までやってきたのでした。
邇邇芸命一向について
古事記において、邇邇芸命は「五伴緒」と呼ばれる五柱の神を従者としています。
五伴緒とは
天孫「日子番能邇邇芸命」に従って高天原より降ったと伝えられる神の事。
- 天兒屋命・・宮廷祭式の管掌氏族「中臣氏」の祖
- 布刀玉命・・宮廷祭式の祭具を貢納した品部の祖
- 天宇受賣命・・宮廷鎮魂祭の舞楽奉仕の女性を貢納した氏族の祖
- 伊斯許理度賣命・・呪的祭具の鏡を貢納した品部の祖
- 玉祖命・・呪的祭具の玉を貢納した品部の祖
この五柱は「祭具氏族」の祖であるとしています。
特に、宮中祭式を取り仕切り、祝詞を奏上した「中臣氏」は朝廷内において有力氏族となっていきます。
出発に際し、天照大御神から授けられた物
三種の神器と三柱の神
- 八尺の勾玉
- 鏡
- 草薙剣
勾玉と鏡は天照大御神が天石屋戸に隠れてしまった時に作成された物であり、草薙剣は八岐大蛇を退治した須佐之男命がその尾の部分から発見し、天照大御神に献上した「天叢雲剣」の別称。
天照大御神は邇邇芸命に三種の神器を授ける時に三柱の神を副えています。
- 常世思金神
- 天手力男神
- 天石門別神
この三柱の神は、邇邇芸命の従者として加わったのではなく、三種の神器の守護として、そして邇邇芸命の協力者として加わったのかなと思います。
邇邇芸命一向は、猿田毘古神の先導で筑紫国日向の高千穂の久土布流多気に降り立ちます。そしてこの地はとてもいい場所であるとして宮殿を築きて中つ国の統治へと進んでいきます。
木花之佐久夜毘売との出会いと聖婚
幼子だった邇邇芸命も成長したある日、笠沙の岬において一人の美女と出会い一目ぼれしてしまった様です。
あなたの誰の子だ? → 大山津見神の娘で神阿多都比賣(木花之佐久夜毘売)です。
あなたには兄弟はいるか? → 姉に石長比売がいます。
あなたとまぐわいたい。 → 私の一存ではきめられないので父に聞いてみます。
当時の人達はこんなにストレートだったんですかね。
この求婚?を聞いた木花之佐久夜毘売の父である大山津見神は、天孫から求婚を受けた事を非常に喜んでいます。そして、「誓約」を行った上で、木花之佐久夜毘売だけでなく、姉である石長比売も邇邇芸命の元に送りだします。しかし、邇邇芸命は姉の石長比売が醜いという理由で送り返し、木花之佐久夜毘売だけを手元に残します。
この邇邇芸命の行動に対し大山津見神は「私が娘二人を送り出した事には理由があり、石長比売を娶れば永遠の命を、木花之佐久夜毘売を娶れば繁栄を、邇邇芸命が得ることが出来るという誓約をしたからです。しかしながら、石長比売を送り返してきた事で、邇邇芸命の命は木の花(桜)が散る様に短くはかない物になるだろう。」と伝えています。
そして、木花之佐久夜毘売が臨月に入った事を邇邇芸命に伝えると、「一夜で子供を授かる訳がない。この子は国津神の子である。」と話したといいます。これに対し木花之佐久夜毘売は「国津神の子だったら死産、天津神の子だったら無事に生まれる。」と誓約をしたうえで、燃え盛る炎の中で出産を行い、無事三人に御子を出産しています。
神々のデータ
神名 | 日子番能邇邇芸命 |
神祇 | 天津神 |
別称 | 天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(古事記) 天津日高日子番能邇邇芸命(古事記) 天津彦彦火瓊瓊杵尊(日本書紀) |
親 | 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 栲幡千千姫命 |
配偶 | 木花之佐久夜毘売 |
子 | 火照命 火須勢理命 火遠理命 |
備考 | ー |
日子番能邇邇芸命を祀る神社
- 日長神社
- 愛知県岡崎市中島町新町十八番地
延喜式神名帳 三河国碧海郡 日長神社
- 愛知県岡崎市中島町新町十八番地
まとめ
天孫邇邇芸命の天降りによって日本神話の舞台が高天原から豊葦原瑞穂国(中つ国)に移動することになります。古事記にも邇邇芸命が降り立った場所が「高千穂」と書かれている事からその伝承地が九州に数多く存在しています。是非九州の記紀の舞台を巡ってみたいと思っているのですが、いついける事ができるでしょうか・・・。