天宇受売命とは?
登場文献
- 古事記
- 上つ巻「天照大御神の天の石屋戸ごもり」の段
- 古事記
- 上つ巻「天孫降臨」の段
「故爾天照大御神。高木神之命以。詔天宇受賣神。汝者雖有手弱女人。與伊牟迦布神。〈自伊至布以音。〉面勝神。故專汝往將問者。吾御子爲天降之道。誰如此而居。故問賜之時。答白。僕者國神。名猿田毘古神也。所以出居者。聞天神御子天降坐故仕奉御前而。參向之侍。爾天兒屋命。布刀玉命。天宇受賣命。伊斯許理度賣命。玉祖命。并五伴緒矣。支加而。天降也。於是副賜其遠岐斯〈此三字以音。〉」
- 古事記
- 上つ巻「天の宇受売命と猿田毘古神」の段
「故爾詔天宇受賣命。此立御前所仕奉。猿田毘古大神者。專所顯申之汝。送奉。亦其神御名者。汝負仕奉。是以猿女君等。負其猿田毘古之男神名而。女呼猿女君之事是也。」
- 日本書紀
天宇受売命の伝承
日本神話としても伝えられている「天の岩屋戸」の中で非常に重要な働きをした神になります。
天照大御神が岩屋戸の中に籠ってしまい、世の中が闇に閉ざされてしまった為、八百万の神々と共になんとかして天照大御神を岩屋戸から出てもらうために行った儀式の中で、神懸り舞楽を行い、八百万の神々を笑わせ、天照大御神が岩屋戸から顔をのぞかせる切っ掛けを作っています。
そして、天孫降臨において、邇邇芸命に従った五伴緒神の一柱となっており、葦原中国に向かう途中で、天孫が下ってくるという話を聞いて道案内の為に出迎えていた猿田比古神に対して「何者だ。」と問うています。そして、その後、道案内が終わったのか、猿田比古神を現在の三重県松坂の地に送っていっています。ただ、古事記では送っていった後、すぐに邇邇芸命の元に戻った記述があり、猿田比古神と結婚したとは書かれていなかったりします。
五伴緒神
- 天児屋根命 ※中臣連らの始祖
- 布刀玉命 ※忌部首らの始祖
- 天宇受売命
- 伊斯許理度売命 ※鏡作連らの始祖
- 玉祖命 ※玉祖連らの始祖
神々のデータ
神名 | 天宇受売命 |
神祇 | 天津神 |
別称 | 天鈿女命 |
親 | |
配偶 | 猿田比古神 |
子 |
備考 | 猿女君の始祖とされる。 |
天宇受売命を祀る神社
- 糟目春日神社【延喜式内社】
愛知県豊田市渡刈町北田六十二番地四
まとめ
天の岩屋戸の神話が強烈すぎるのか、天宇受売命は芸能・神楽・舞楽の神として現在でも非常に崇敬を集めています。また、夫とされる猿田比古神と共に祀られている神社が多いのも特徴といえるでしょうか。
一説では古事記の編纂に携わっている「稗田阿礼」は天宇受売命の子孫であるとしています。ただ、系譜がのこされておらず、天宇受売命と稗田阿礼がどうやって繋がるのかは不明のようです。