神々の伝承

綿津見神(わたつみのかみ)

2021年9月4日

綿津見神とは?

 綿津見神は、記紀において"二度"出現している神になります。二度にわたって出現する神がほかには見当たらない事もあり、この神々が同一神なのか、別神なのか、議論が分かれる神になります。

二度の出現ポイント

  • 伊邪那岐と伊邪那美の神生みの中で「海の神」として出現
    • 古事記:大綿津見神おおわたつみのかみ
    • 日本書紀:少童命わたつみのみこと
  • 伊邪那岐の黄泉の国から帰国後の禊
    • 古事記:底津綿津見神そこつわたつみのかみ中津綿津見神なかつわたつみのかみ上津綿津見神うはつわたつみのかみ
    • 日本書紀:底津少童命そこつわたつみのみこと中津少童命なかつわたつみのみこと表津少童命うはつわたつみのみこと

 「古事記」「日本書紀」共に、禊の時に出現した三柱の綿津見神、三柱の少童命が「安曇氏」の祖神であると記されています。

古事記における綿津見神

伊邪那岐と伊邪那美の神生みにおいて八番目に「大綿津見神」の神名で登場します。

既生國竟、更生神。故、生神名、大事忍男神、次生石土毘古神 (訓石云伊波、亦毘古二字以音。下效此也) 次生石巢比賣神、次生大戸日別神、次生天之吹上男神、次生大屋毘古神、次生風木津別之忍男神 (訓風云加邪、訓木以音) 次生海神、名大綿津見神、次生水戸神、名速秋津日子神、次妹速秋津比賣神。(自大事忍男神至秋津比賣神、幷十神。)

 一番目に出現する大事忍男神はこれから神生みと言う大事が行われる事を宣言する神であると考えらえているようです。そして二番目から七番目に出現する神々を「家宅六神」とも呼び、人々が住む居宅の守護神として信仰されてきた神々になります。そして、その次に出現するのが海神である大綿津見神になる訳です。人々が住む場所の次に「海」が登場している所からも、いかに「海」という存在が重要であるかを示しているのだと思われます。
 ちなみに、大綿津見神の次に出現した神は、港の神である「速秋津日子神」と「速秋津日売神」になります。

伊邪那岐が黄泉の国から帰国後に行った禊において、「三柱の綿津見神」が出現します。

於是詔之上瀨者瀨速。下瀨者瀨弱而。初於中瀨随迦豆伎而。滌時。所成坐神名八十禍津日神。〈訓禍云摩賀。下效此。〉次大禍津日神。此二神者。所到其穢繁國之時。因汚垢而所成神之者也。次爲直其禍而所成神名神直毘神。〈毘字以音。下效此。〉次大直毘神。次伊豆能賣神〈并三神也。伊以下四字以音。〉次於水底滌時。所成神名。底津綿〈上〉津見神。次底筒之男命。於中滌時。所成神名。中津綿〈上〉津見神。次中筒之男命。於水上滌時。所成神名。上津綿〈上〉津見神。〈訓上云宇閇。〉次上筒之男命。此三柱綿津見神者。阿曇連等之祖神以伊都久神也。〈伊以下三字以音。下效此。〉故阿曇連等者。其綿津見神之子。宇都志日金拆命之子孫也。〈宇都志三字以音。〉其底筒之男命中筒之男命上筒之男命三柱神者。墨江之三前大神也。

 黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐は竺紫日向之橘小門之阿波岐原において穢れを祓う禊を行います。衣服を脱ぎ、川に入り穢れを洗い流していきます。川に潜り、川底近くで体をすすいだ時に出現した神が「底津綿津見神」、中ほどですすいだ時に出現した神が「中津綿津見神」、川の表面ですすいだときに出現したのが「上津綿津見神」になります。綿津見神と同時に住吉大社の御祭神である底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱が出現しています。綿津見神も筒之男命も共に海の神としてよく知られています。

山幸彦が竜宮を訪れた時に主として登場します。

 天孫邇邇芸命の子である「火遠理命(山幸彦)」が兄の「海幸彦」から借りた釣り針を無くしてしまった為、海の底にある竜宮にいるという綿津見大神を訪ねていき、その竜宮で井戸の近くで豊玉毘売と出会います。豊玉毘売は山幸彦を父である綿津見大神に紹介すると、「天津日高の御子」であるとして歓迎しています。その後、山幸彦が竜宮を訪ねた目的の釣り針を探すために魚たちを集め、鯛が飲み込んでいた針を見つけ出し、陸に送り返すときに、ある秘策を与えています。この綿津見大神の秘策もあり、兄である海幸彦は山幸彦に服従させています。そしてその後、海より豊玉毘売が妹である玉依毘売を連れて山幸彦の元を訪れ、産屋にて出産をしますが、本当の姿を山幸彦に見られてしまった為、子を置いて海に帰ってしまいます。

 ここで登場する「綿津見大神」は海神とも呼ばれている事から「大綿津見神」の別称なのではないかと思われます。そして、娘を山幸彦に嫁がせて子が神武天皇の父である「鸕鶿草葺不合尊」になります。さらには、玉依毘売が鸕鶿草葺不合尊に嫁ぎ、神武天皇を生んでおり、いかに「海」というものが重要であったかを示しているのではないかと思います。

日本書紀における少童命

 伊弉諾尊と伊弉冉尊の神生みにおいて、本文ではなく六番目の一書の中に登場してきます。この六番目の一書が古事記の内容に一番近い構成となっているのが特徴です。それによると、「一書曰、伊弉諾尊與伊弉冉尊、共生大八洲國。然後、伊弉諾尊曰「我所生之國、唯有朝霧而薫滿之哉。」乃吹撥之氣、化爲神、號曰級長戸邊命、亦曰級長津彥命、是風神也。又飢時生兒、號倉稻魂命。又、生海神等號少童命、・・・」と書かれています。簡単に訳すと、「伊弉諾尊と伊弉冉尊は国生みを終えると、「生まれた国はまるで朝霧がかかっているようだ。」と述べ、霧を吹きはらった。その息から化生された神を級長戸辺命しなとべのみこと(または、級長津彦命しなつひこのみこと)と呼び、風の神である、次に飢えた時に生れた神を倉稲魂命うかのみたまのみことといい、次にお生まれになった神は海の神たちを少童命わたつみのみことという。・・・」となります。
 日本書紀でもかなり早い出現となっている所から、海との関係を非常に重要視している事がここから読み取れます。

神々のデータ

神祇国津神
神名古事記 :大綿津見神
日本書紀:少童命
神名の意味海の霊格
別称綿津見大神、海神、海神豊玉彦
古事記 :伊邪那岐命・伊邪那美命
日本書記:伊弉諾尊・伊弉冉尊
豊玉毘売命、玉依毘売命

綿津見神を祀る神社

  • 赤日子神社
    • 蒲郡市神ノ郷町森五十八番地
      延喜式神名帳 三河国宝飯郡 赤日子神社

まとめ

 大綿津見神は海の神として出現しています。底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神の綿津見三神との関係性がよくわからないのですが、普通に考えれば、伊邪那岐と伊邪那美の間に生れている大綿津見神がその後、伊邪那岐の禊の中であえて三柱にわかれて出現しなおすっていうのは話が繋がらないと思うので、別神として出現したんだとは思います。同一神とするか別神とするかで、大綿津見神の子たちの関係性が変わってきてしまいます。ただ、色々資料なんかをみてると、同一神とする説のが有力な感じがするんですが、どうなんでしょうかね・・・。

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