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普光山青蓮寺(福井県三方郡若狭町)

寺院情報

寺院名普光山青蓮寺
所在地福井県三方郡美浜町佐柿26−5
宗 派真言宗大覚寺派
創 建霊亀二年(716年)
御本尊聖観世音像
開 山泰澄大師
文化財木造観音菩薩立像:国重要文化財
五百体愛染明王像図:福井県指定文化財
浮牡丹皿:若狭町指定文化財
十六善神像図:若狭町指定文化財
不動明王像図:若狭町指定文化財
涅槃図:若狭町指定文化財
大井町:若狭町天然記念物
霊 場
URL
御朱印
参拝日:令和三年(2021年)七月二十一日

御由緒

社頭に設置されている由緒書きによると、

 「普光山記」によれば、三方郡最古の古刹で、その由緒は霊亀二年(716年)丙辰五月の創立で、開山は勅賜禅師神融泰澄大師といい、大師自作の不道明王の木像があったとある。その後、貞観十八年(876年)山城国嵯峨野大覚寺草創ののち、末寺になったとある。
 元の青蓮寺は、国吉山麓の「青蓮寺谷」と称する谷間にあったが、寛永十二年(1635年)に小浜藩主酒井忠勝が佐柿町町奉行(御茶屋屋敷)を建築する折に、現在地へ移転した。

 国吉城主粟屋勝久は、織田信長に加勢して、越前国一乗谷の朝倉氏を攻めた時に持ち帰った「五百体愛染明王図(伝弘法大師)」と青磁浮牡丹皿を寄進しており、この他に平安時代から鎌倉時代にかけて創作された涅槃図、不動明王図、聖観音図などの仏画や、正観音立像(国重要文化財)が伝わってる。また境内の北隅にそびえ立つ大銀杏(若狭町天然記念物)は、小浜藩二代酒井忠直の手植えと伝えられている。

 元々は、国吉城がある国吉山麓あった町奉行跡・・・現在の「若狭国吉城歴史資料館」が建っている場所に青蓮寺の境内地があったとされています。江戸時代になり国吉城が廃城となり、城主館があった周辺を小浜藩の佐柿統治の本拠とするべく整備していくなか現在の境内地に遷座されています。

 国吉城のすぐ近くに境内地があった所からも粟屋勝久の深い帰依を受けていた寺院であることは間違いないでしょうね。

参拝記

若狭国吉城歴史資料館から徒歩5分程で青蓮寺の境内に着くことができます。ただ、現在青蓮寺は無住の寺院になっている事もあり、本堂以外の寺院の建築物が殆ど存在していない為、由緒板が設置されていなかったら思いっきり通り過ぎていたと思います。

 寄棟造瓦葺妻入りの庇と向拝が一体となった非常に特徴的な屋根を有する本堂になります。

 さすがに無住の寺院の本堂に国の重要文化財に指定された正観音菩薩像を初めとする寺宝をそのまま本堂で保管する事は防犯上無理があるので、福井県の美術館などに委託管理されていて青蓮寺には現在実物は置かれていない様ですね。

 本堂の中を眺めていて、観音像の写真が多く飾られているなあとおもっていたんですが、国の重要文化財に選ばれた記念で掲げられている写真もありそうですね。

地図で所在地を確認

寺院名普光山青蓮寺
所在地福井県三方郡美浜町佐柿26−5
最寄駅福鉄バス「佐柿口バス停」徒歩6分

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