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巻第九 神功皇后|新羅征伐

新羅征伐

 新羅征伐に向けてのヤマト朝廷の前線基地を橿日宮において、新羅征伐軍の編成が進められていきますが、少し前まではヤマト朝廷と敵対していた勢力が多く存在する九州地方では中々徴兵が進まなかった様で、神を祀り神社を建立するなど圧力をかけながらも支配を強めていき、ようやく征伐軍の編成が完了します。そして集まった兵士の前で神功皇后は征伐の誓いを立て、いよいよ出陣の時が近づいてきます。

 そして、いよいよ神功皇后は自らが征伐軍を率いて大海の向うにあるという宝の国を求めて出陣されていきます。

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冬十月己亥朔辛丑、從和珥津發之。時飛廉起風、陽侯舉浪、海中大魚、悉浮扶船。則大風順吹、帆舶隨波。不勞㯭楫、便到新羅。時隨船潮浪、遠逮國中。卽知、天神地祇悉助歟。新羅王、於是、戰々慄々厝身無所。則集諸人曰、新羅之建國以來、未嘗聞海水凌國。若天運盡之、國爲海乎。是言未訖間、船師滿海、旌旗耀日。鼓吹起聲、山川悉振。新羅王遙望以爲、非常之兵、將滅己國。讋焉失志。乃今醒之曰、吾聞、東有神國。謂日本。亦有聖王。謂天皇。必其國之神兵也。豈可舉兵以距乎、卽素旆而自服。素組以面縛。封圖籍、降於王船之前.

  • 冬十月己亥朔辛丑は仲哀天皇九年十月三日
  • 和珥津は対馬の上対馬町鰐浦
  • 飛廉とは「風神」の意
  • 陽侯とは「海神」の意
  • 鼓吹とは「鼓を打ち、笛を吹く」、または「ふるいたたせる」という意
  • 素旆而とは白旗をあげるという意
  • 図籍は地図と戸籍などの民を支配する基本となる物をさす

現代語訳

 仲哀天皇九年十月三日、(神功皇后率いる征伐軍は)和珥津わにのつから出発されました。この時、風神が風を起こし、海海が波をあげ、大きな魚が浮き上がり、船を進行を推し進めました。大風が追い風となり、帆船は波に乗り、舵や櫂を一切使用することなく新羅に到着された。この時船を載せた波は海岸線から遥遠い国の真ん中まで運んだという。この事から、いかに征伐軍が天神地祇の御加護を頂いているかがわかります。

(突如波に乗って国の真ん中に現れた征伐軍を見て)新羅王は戦慄で体が震え、何も手に着かない状態となり、家臣達を呼び寄せ、「新羅建国以来、国の真ん中迄海水が押し寄せてきた事など聞いた事がない。このまま天運が尽きてしまえば、我が国は海に飲み込まれてしまうだろう。」と言った。

(新羅王の)この言葉が言い終わらないうちに、海には艦隊が満ちあふれ、掲げられた旗が日に輝き、鼓と笛の音が鳴り響き、山川を震わせた。

 新羅王は、遥にこの艦隊を望み、非常なる兵が我が国を滅ぼさんとしていると思い、気を失ってしまいました。間もなくして目を覚ました新羅王は、「東に神の国がある時聞いた事がある。その国の名前は日本と言った。その国には聖王がいて、それを天皇と呼ぶ。あの軍勢はその国の神兵であろう。どうして我が国の兵があの神兵を抑える事ができようか。」というと、白旗をあげ、自らを白紐で縛り、地図と戸籍をひとまとめにして、皇后が乗る船の前に投降した。

まとめ

 神功皇后率いる新羅征伐軍は橿日宮の前に広がる橿日浦を出港すると、対馬の和珥津を経由して朝鮮半島に向かったことがここから読み取れます。対馬から朝鮮半島まで最短では55kmほどしか離れておらず、ここから一気に新羅国の首都に向けて出港したのでしょう。

 波がかなり陸地まで駆け上るとはまるで「津波」を想定させる記述ですが、新羅国側が想定してしていた侵攻経路とは異なり、複数の地点から征伐軍が上陸し、一気に首都を取り囲むように進撃が行われ、新羅国としては手も足も出なかったという事なのではないかと思います。これがまるで津波の様に押し寄せたみたいに書かれているのではないでしょうか。

 この波によって国の中ほどまで船が運ばれたという内容は古事記にもほぼ同じ内容の事が記載されており、いかに新羅征伐軍が圧倒的な成果を上げたのかという事を示している感じがします。

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巻第九 神功皇后|新羅王の降伏

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