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巻第九 神功皇后|新羅征伐の詔の発する

新羅征伐の詔を発する。

 仲哀天皇に新羅征伐の神託を与えた神の霊験を改めて感じ取った神功皇后は、この神々を始めとする天神地祇を祀る為、神田を新たに開墾する為に、日本最古の農業用水と言われる「裂田溝さくだのうなで」を掘削しています。

 橿日宮に戻った神功皇后は、いよいよ海を渡り朝鮮半島の新羅国に攻め入る為に、再び誓約を行った後に新羅に向けて出陣を行う詔を発する為に臣下を集めます。

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皇后還詣橿日浦、解髮臨海曰、吾被神祗之教、頼皇祖之靈、浮渉滄海、躬欲西征。是以、令頭滌海水。若有驗者、髮自分爲兩。卽入海洗之、髮自分也。皇后便結分髮、而爲髻。因以、謂群臣曰、夫興師動衆、國之大事。安危成敗、必在於斯。今有所征伐。以事付群臣。若事不成者、罪有於群臣。是甚傷焉。吾婦女之、加以不肖。然暫假男貌、强起雄略。上蒙神祗之靈、下藉群臣之助、振兵甲而度嶮浪、整艫船以求財土。若事就者、群臣共有功。事不就者、吾獨有罪。既有此意。其共議之。群臣皆曰、皇后爲天下、計所以安宗廟社稷。且罪不及于臣下。頓首奉詔。

  • 滄海とは大海という意でありここでは東シナ海をさす。
  • みずらとは、古代日本の男子の髪型。左右に分けた髪の先を耳の辺りで輪にして留めたもの。
  • 兵甲とは兵士、武器などを指す
  • 宗廟社稷とは国家、朝廷などの意

現代語訳

 神功皇后は橿日宮に帰還された後に橿日浦かしいのうらに出向き、髪を解き海に臨み見てながら、

「我は天神地祇の神託を受け、皇祖の霊を頼り、滄海を渡り、我自らその先にあるという西の国を征伐しようと欲している。そこで、我の頭を海水で洗い、もし霊験あらたかであるのならば、髪は自然に両側に分かれるであろう。」

と仰せになり、海に入り海水で髪を洗うと、自然に髪が分かれた。皇后は分かれた髪をみずらに結ばれた。そして群臣達を前にして

「戦をする為に軍を起こし動員するのは、国の大事である。国の安危成敗はここで決まると言ってもいい。今、征伐が成功すれば、その成果は群臣である皆のものになるだろう。しかし、仮に征伐が失敗すれば、その罪は群臣でる皆のものになってしまうのは、とても心苦しい。
 我は女性であり、不肖の身でもあるが、暫くの間、男の姿となり、強く雄々しく謀略を起こし、軍を率いよう。
 上は天神地祇の神威を頂き、下は群臣の助けを借り、征伐軍を興し、荒海を渡り、船団を進めて宝の国を求めよう。事が成就すれば、その功は群臣である皆の物となり、事が成就せず失敗すれば、軍を率いた我一人に罪がある事になる。

 我の決意を知った上で、軍議を進めるがよい。」

と申された。

群臣達は皆

「皇后は、国家安定の為の計略をお示しになられ、更に、罪があればそれは家臣には及ばないと示された。我らは額づいて、西の国の征伐の詔を承ります。」

と申し上げた。

まとめ

 九州北部の平定を完了させた神功皇后は、ヤマト朝廷の九州支配の本拠地である橿日宮に帰還します。そして、橿日宮から西に少し進んだ橿日浦において、再び誓約を行っています。

 この誓約を行ったという橿日浦は、橿日宮から西に1km程の場所に広がる海岸線で、その沖合500m程の岩礁の上には橿日宮の跡地に建立されたという「香椎宮」の境外社である「御島神社みしまじんじゃ」が鎮座しています。

 この橿日浦一帯は1930年代前後より埋め立て工事が行われていて、現在ではその当時を想像する事も非常に難しいくらい景色は一変しています。

 この橿日浦一帯には、神功皇后の遺構とされる場所が数多くあるみたいで、御島神社の遥拝所であったという「浜男神社」、浜で誓約を終えた後に休憩され鎧を付けたという「鎧坂」、さらに、新羅征伐に向う時、皇后が冑を付け、無事帰還出来た時に冑を納めたとされる「冑塚」などがあげられています。

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巻第九 神功皇后|新羅征伐軍を興す

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