日本書紀とは?
養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って書く編年体を取っていて正直呼んでも面白くは・・・・。
同時期に編纂されたこともあり、物語の冒頭から巻末までの範囲はほぼ同じなわけで、古事記と日本書紀を読み比べていくと飛鳥時代から奈良時代にかけての日本のあり様が見えてくるのではないでしょうか。
そこで、やおよろずラボ「日本書記を読む」では、古事記との対比をしながら日本書記を見ていこうと思います。
天地開闢
「古事記」と同様に天と地が生まれ、そこに神々が出現する場面から日本書記も始まります。記紀ともほぼ同様の書き出しで始まっているという所から、当時の人達は、「混沌から天と地が生まれそこから神が出現した。」と認識していたと考えてもいいのではないかなと思います。
それでは、いよいよ日本書記を読んでいく事にしましょう。
本文を読む
古天地未剖 陰陽不分 渾沌如鶏子 溟涬而含牙 及其淸陽者薄靡而爲天 重濁者淹滯而爲地 精妙之合搏易 重濁之凝竭難 故天先成而地後定 然後神聖生其中焉
- 陰陽不分は「男女の性別」としています。
- 混沌如鶏子の「鶏子は鶏卵」とし、天地、陰陽が鶏卵の様に混ざり合って一所に固まっている様。
- 溟涬而含牙の「溟涬は自然の気」とし、天地、陰陽が分かれる兆しがあるという意。
現代語訳
天と地がまだ別れておらず、陰陽の両性も分かれていなかったときは、例えるならば鶏卵の様に混沌としたものであった。しかし、やがて天地となり陰陽となるべき兆がこの内側に含まれていた。その内の清み陽な物は高くたなびいて天となり、重く濁った物はよどんで沈んで地となった。精妙なものが集まった物は昇り易く、重く濁ったものは凝り固まりにくい事から、天が先にでき、地が後に定まる事になったのである。そしてその後、その中に神がお生まれになった。
故曰 開闢之初 洲壞浮漂 譬猶游魚之浮水上也 于時天地之中生一物 狀如葦牙 便化爲神 號國常立尊 <至貴曰尊 自餘曰命 並訓美舉等也 下皆效此> 次國狹槌尊 次豐斟渟尊 凡三神矣 乾道獨化 所以成此純男
- 故曰は「古くからの言い伝え、伝承」
- 洲壞浮漂は「洲壞」が「地」を表し、地が浮いて漂っている様を述べている。
- 狀如葦牙は萱の芽が牙の様に萌え出る様であり、神の原子であると言える。
- 乾道獨化の「乾道」とは天の道、男の道、君主の道という意で、八掛(中国の易)で「乾」は一番強い陽性を表す。
現代語訳
古くからの言い伝えに、天地開闢の初めは、国土がまだ固まりきらなかったので、まるで魚が水の中に浮かんでいるように浮き漂っていたが、この時、一つの物が天地の間に現れ、その形が葦の芽のようであったのが、やがて神とおなりになったのが国常立尊である。(大変尊い神、天皇には「尊」を使用し、その他の神には「命」をあて、共に読みは「みこと」と読む。以下これに従う。)次に国狭槌尊、次に豊斟渟尊と全部で三柱の神が出現しました。この三柱の神は陽気だけを受けて現れ、純粋な男性神であった。
本文では、天と地の間から萱の芽のように萌え出てきた神は、国常立尊、そして国挟槌尊、豊斟渟尊の三神であるとしています。古事記と出現した神が異なる点も相違なのですが、一番の違いは何といっても出現した三神すべて「男神」としている点です。古事記では男女の性別を持たない独神であるとしています。
天地開闢について日本書記では、六つの別伝を合わせて記しています。本文と別伝はあくまでも対等な関係で記されている様で、当時ヤマト朝廷の勢力下で伝えられていた伝承を集めて載せたんだと思います。それでは別伝を見ていきましょう。
別伝を読む
第一別伝
一書曰、天地初判、一物在於虛中、狀貌難言。其中自有化生之神、號國常立尊、亦曰國底立尊。次國狹槌尊、亦曰國狹立尊。次豐國主尊、亦曰豐組野尊、亦曰豐香節野尊、亦曰浮經野豐買尊、亦曰豐國野尊、亦曰豐囓野尊、亦曰葉木國野尊、亦曰見野尊。
- 虚中とは大空の意
- 狀貌難言とは「何とも言いようがない形」の意
現代語訳
ほかの伝承では、天地初めて別れる時、一つの物が大空に現れた。それは何とも形容しがたい姿をしていた。その中に自ら化成する神がいた。
その神の名は国常立尊という。またの名を国底立尊という。
次に化成した神の名を国狭槌尊という。またの名を国狭立尊という。
その次に化成した神の名を豊国主尊という。またの名を豊組野尊とも、豊香節野尊とも、浮経野豊買尊とも、豊国野尊とも、豊齧野尊とも、葉木国野尊とも、見野尊という。
第二別伝
一書曰、古、國稚地稚之時、譬猶浮膏而漂蕩。于時、國中生物、狀如葦牙之抽出也。因此有化生之神、號可美葦牙彥舅尊。次國常立尊。次國狹槌尊。葉木國、此云播舉矩爾。可美、此云于麻時。
現代語訳
ほかの伝承では、昔、国も地も若かった時は、まるで水に浮かぶ油のように漂っていた。その時、ただよう国の中からある物がうまれた。それはまるで葦の芽が萌えいずる時の様な形状をしており、ここから神がお生まれになった。
その神の名は可美葦牙彦舅尊という。
次に生まれた神の名は国常立尊という。
次に生まれた神の名は国狭槌尊という。
可美を「うまし」とよむ。
第三別伝
一書曰、天地混成之時、始有神人焉、號可美葦牙彥舅尊。次國底立尊。彥舅、此云比古尼。
- 神人とは「神」の意であり、神のような人という意ではない。あえて言うなら「人のかたちをした神」
現代語訳
ほかの伝承では、天と地がまだ混ざり合ったような混沌としていた時に、初めて神がお生まれになった。
可美葦牙彦舅尊という。
次にうまれた神の名は国底立尊という。
彦舅を「ひこじ」とよむ。
第四別伝
一書曰、天地初判、始有倶生之神、號國常立尊、次國狹槌尊。又曰、高天原所生神名、曰天御中主尊、次高皇産靈尊、次神皇産靈尊。皇産靈、此云美武須毗。
現代語訳
ほかの伝承では、天地が初めて別れる時に共にお生まれになった神がいらっしゃった。その神の名は国常立尊といい、次にお生まれになったの神の名は国狭槌尊といった。
また、高天原にてお生まれになった神の名を天御中主尊という。次にお生まれになった神の名を神皇産霊尊という。次にお生まれになった神の名を神皇産霊尊という。
皇産霊は「みむすび」と読む。
第五別伝
一書曰、天地未生之時、譬猶海上浮雲無所根係。其中生一物、如葦牙之初生埿中也、便化爲人、號國常立尊。
- 埿は「浸土」の約で水に浸る土・・・泥の事をさす。
- 便化爲人は本文中の「便化爲神」と同じ意になる。人は神と読むことでき、前述の神人の略だと思われる。
現代語訳
ほかの伝承では、天地がまだ生まれる前、例えば海上にうかぶ雲に根がない様に漂っていた中に一つの物が生まれた。葦の芽が初めて泥の中から生えてきた様に。人の形をされた神がお生まれになり、名を国常立尊といった。
第六別伝
一書曰、天地初判、有物、若葦牙、生於空中。因此化神、號天常立尊、次可美葦牙彥舅尊。又有物、若浮膏、生於空中。因此化神、號國常立尊。
現代語訳
ほかの伝承では、天地が初めて別れた時、葦の芽の様な一つの物がその空間に現れた。この物からお生まれになった神を天常立尊という。
その次にお生まれになった神の名を可美葦牙彦舅尊という。
また、浮かんだ油のようあるものがで空間に現れた。その物からお生まれになった神の名を国常立尊という。
本文と別伝を合わせて7つの伝承が紹介されています。伝承ごとに生れる神が異なっている辺りが日本っぽく感じてしまう訳ですが。
古事記と合わせて8つの伝承で生まれる神々を一覧にしてみました。
伝承 | 一代 | 二代 | 三代 | 四代 | 五代 |
---|---|---|---|---|---|
古事記 | 天之御中主神 | 高御産巣日神 | 神産巣日神 | 宇摩志訶備比古遲神 | 天之常立神 |
日本書紀本文 | 国常立尊 | 国狭槌尊 | 豊斟渟尊 | ||
日本書紀別一 | 国常立尊 | 国狭槌尊 | 豊国主尊 | ||
日本書紀別二 | 可美葦牙彦舅尊 | 国常立尊 | 国狭槌尊 | ||
日本書記別三 | 可美葦牙彦舅尊 | 国常立尊 | |||
日本書記別四 | 国常立尊 天御中主尊 | 国狭槌尊 神皇産霊尊 | 神皇産霊尊 | ||
日本書記別五 | 国常立尊 | ||||
日本書記別六 | 天常立尊 国常立尊 | 可美葦牙彦舅尊 |
古事記では別天津神の次に出現したとする国常立神なんですが、日本書紀では一番最初に出現した神としています。実は日本書記では高天原に出現した神についての記述があるのは第四別伝だけで、それ以外は「地」または「天と地の間」に出現した神のみを記しています。この事から、日本書紀では基本「神代七代」から始まったというスタンスで書かれている形になります。
まとめ
古事記と異なり日本書紀では基本的に別天津神は登場せず、神代七代の第一代である国常立尊から神々が生まれたとしているのですが、これは何度も述べていますが古事記と日本書記の立ち位置の違いによって生じた違いなのではないかと思っています。国内向けにヤマト朝廷の正統性をアピールする為に作成されたとする古事記では天津神と国津神の位置付をはっきりとさせる為に別天津神を登場させているのではと思っています。(天津神やヤマト朝廷で信仰されていた神々であり、国津神はヤマト朝廷が征服していった場所で信仰されていた神々ではないかとも言われています。)
耦生の八神|神代七代の神々の化成