神社情報
神社名 | 女體神社 |
鎮座地 | 愛知県田原市村松町北郷中82 |
御祭神 | 伊弉冉尊 |
創 建 | 不明 |
社格等 | 村社 |
神名帳 | ー |
文化財 | |
例大祭 | 十月二十三日 |
境内社 | 詳細不明 |
URL | ー |
御朱印 | ー |
参拝日:2021年9月16日 |
御由緒
創建時期を含め詳細は不詳な神社になります。
何か資料はないかと探していたら、尾三郷土史料叢書に「女体大明神」の名で紹介されていました。この資料によると・・・
- 渥美郡村松村の産土神である。
- 村松、八王子、馬伏、醉馬、宇津江、伊川津、石神、高木の八ヶ村の総社
- 例祭は当時は九月十三日
- 神主は河合氏
- 御祭神は
- 女形本地十一面(観音像)
- 日本開闢神「伊弉冉尊」(白山大妙理権現御影)
さらに、なにやら漢文が記されているのですが、所々意味が分からない個所があるので、読める範囲で紹介すると・・・
相応和尚は横坂村にて御影と対面し、社を建立し、天安二年(858年)五月十八日に遷宮した。・・・後略・・・
と記されています。どうやら、滋賀県に鎮座する日吉神社の摂社である「白山媛神社」の事を指しているようです。日吉神社の境内に鎮座する「白山姫神社は天安2年(858)に比叡山延暦寺の僧、相応和尚の感得によって勧請されたと伝わっています。」とされています。
白山信仰では、白山媛命(菊理媛神)を主祭神として、伊弉冉尊・伊弉諾尊を祀っている神社が多いのが特徴です。この白山信仰は、日吉神社・比叡山延暦寺(天台宗)との結びつきが非常に強かったとされ、先に出てきた「相応和尚」は建立大師と呼ばれる高僧であり千日回峰行の祖とも呼ばれています。
こうした経緯から、「女體神社は、白山媛神社の御祭神である伊弉冉尊を勧請、創建された神社である。」とすることが出来るかと思います。国産み・神生みの伊弉冉尊を子宝・安産の神として崇敬していたのがいつしか「女体大明神」と呼ばれる様になっていたんだろうと思われます。
参拝記
ポイント
渥美半島の中間部分にある村松地区に鎮座している「女体神社」になります。女体神社の境内の目の前には三河湾に流れ込む川が流れています。(河名は不明・・・)
境内入口

幟立ポール、社号標、石灯篭と少し奥に石鳥居が据えられている境内入口になります。
社号標

戦前までの社格制度の「村社」が合わせて彫られた「女體神社」の社号標になります。「にょたい」を漢字で書くと「女体」でして「體」の字はもうほぼ使わないですね。その為、この神社を紹介するとき「女体神社」と記されている方多いんじゃないか?と感じています。
鳥居

扁額の掲げられた明神鳥居になります。
手水舎

瓦葺四本脚タイプの手水舎になります。手水舎の横には井戸が掘られています。手水舎の四本ある柱の内1本の基礎部分が他の三本とは異なり最近補修されたようです。根元が腐食しちゃったのかな?
社殿

入母屋造瓦葺平入の高覧のある濡れ縁が設けられた拝殿を有する社殿になります。社殿の前には、多くの石灯篭と狛犬が据えられています。
まとめ
伊邪那美命を主祭神としている神社はどこかにないかな?と思いながら地図と愛知県神社名鑑を読みながら探していたら、今回参拝紹介した「女體神社」を見つけた訳です。正直「女體」ってすごい社名だなと思いながら向かった訳ですが、神社自体は参拝記を見て頂いても分かる様に、いたって”普通”の神社でした。
参拝してから色々由緒などを調べてみると、白山神社または日吉神社から勧請された神社なんだろうと思われる神社であることがわかりました。戦後、その響きから「女体神社」から社名を変える神社があるそうですが、逆を考えれば江戸時代までは全国に「女体神社」という社名の神社が鎮座していた証左にもなります。
ちなみに、愛知県にはもう一社「女体神社」が鎮座していたそうですが近年合祀されてしまったそうです。この女体神社が鎮座していた場所は愛知県東海市になります。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 女體神社 |
鎮座地 | 愛知県田原市村松町北郷中82 |
最寄駅 | 豊鉄バス「新江比間バス停」徒歩16分 |
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