伊邪那美神とは?
記紀での出現状況
- 古事記に出現
神世七代の第七代の陰陽神として出現- 【神世七代】
国之常立神 ー 豊雲野神 ー 宇比地邇神・須比智邇神 ー 角杙神・活杙神 ー 意富斗能地神・大斗乃弁神 ー 於母陀流神・阿夜訶志古泥神 ー伊邪那岐神・伊邪那美神
- 【神世七代】
- 日本書紀に出現
天地開闢にて七番目に始めての陰陽神として出現。- 【神世七代】
国常立尊 ー 国狭槌尊 ー 豊斟渟尊 ー 泥土煮尊・沙土煮尊 ー 大戸之道尊・大苫辺尊 ー 面足尊・惶根尊 ー 伊弉諾尊・伊弉冉尊
- 【神世七代】
伊邪那美は古事記、日本書紀共に神代七代呼ばれる世界の創成期に出現した神々の最後に登場しています。神代七代のより陰陽神が出現しており、伊邪那美神も陽神である伊邪那岐神と共に出現しています。
名義は「講合に誘い合う女性」という意。
- 「伊邪那」は、誘うという語幹
- 「美」は女性を現す語
伊邪那岐神の紹介記事の中でも述べています阿、伊邪那岐神・伊邪那美神の二神が結婚して国生み・神生みを行うことに関わるもので、男女が誘い合って交わることを意味するとする説もあります。
古事記では?
「神世七代」の第七代として、伊邪那岐神と共に化生された。そして、別天つ神からの「命もち」を伊邪那岐神と共に仰せつかり、伊邪那美"神"から伊邪那美"命"へと敬称が変わり、伊邪那岐命との結婚・国生み・神生みという「日本」の根幹を作り上げていく神となります。
順調に神生みを進めてい中、火を表像するとする「火之加具土命」を産んだ時、伊邪那美命は陰部を焼かれてしまい、苦しみながら亡くなってしまいます。それでも、伊邪那美命は絶命するまでの間も神々を産み続けていきます。
亡くなった伊邪那美神の亡骸は出雲国と伯伎国との境にある比婆の山に葬られます。しかし、伊邪那美神を失った伊邪那岐命は、どうにかして伊邪那岐神に生き返ってほしいとして、伊邪那美神がいる黄泉の国に迎えに行こうとします。そこで、自らの姿を見られたくない伊邪那美神からの「しばらく待ってほしい」という願いからしばらくは待っていた伊邪那岐ですが、はやる気持ちが抑えきれず、黄泉の国に向かってしまい、そこで朽ち始めて蛆がわいていた伊邪那美神の遺骸を見てしまいます。
伊邪那美神の姿を見て、恐れおののいた伊邪那岐命は黄泉の国から逃げようとし、自らの体を見られてしまった伊邪那美神は、辱めを受けたとして伊邪那岐命を逃すまいと予母都志許売を遣わして追いかけさせるが捕らえられないわかると、自らの体にまとわりついていた蛆から化生した雷神を黄泉の国の軍勢と共に遣わしますが、これも伊邪那岐神を捕える事ができません。最後は伊邪那美神自身が伊邪那岐神を黄泉の国と現つ国をつないでる坂の入口まで追い詰めますが、伊邪那岐は入口に巨大な岩で蓋をしてしまいます。
この塞がれた岩を挟んで伊邪那岐命と伊邪那岐神は正対し、伊邪那美神は「あなたの国に住む人を毎日千人殺してまいりましょう。」と宣言すると、伊邪那岐命は「それなら毎日千五百人産んでみせよう。」と返答し、ここで人間の寿命ができたとされています。
伊邪那美神は黄泉の国に留まった事から、「黄泉津大神」と呼ばれるようになります。
日本書紀では?
現在執筆中です。
神々のデータ
神祇 | 天津神 |
神名 | 古事記 :伊邪那美神 日本書紀:伊弉冉尊 |
神名の意味 | 講合に誘い合う女性 |
親 | ー |
子 | 天照大御神・月読命・建速須佐之男命 他 |
伊邪那美神を祀る神社
黄泉の国に留まった事から、記紀では鎮まった場所は比定されていないようです。
- 伊弉諾神宮(式内社・官幣大社)
兵庫県淡路市多賀740- 伊邪那岐神一柱を祀る神社と伝えらえてきたが、昭和初期の調査により伊邪那岐・伊邪那美の二柱が古くより祀られてきたとして、現在では御祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱となっています。
- 女體神社
愛知県田原市村松町北郷中82- 江戸時代までは「女体大明神」と呼ばれていたそうです。当時の御祭神は「白山妙理権現」であり本地仏である十一面観世音像が安置されていたと伝えられています。明治時代の神仏分離令により、白山妙理権現から伊邪那美命を御祭神とする「女体神社」となったようです。
まとめ
神世七代の第七代として出現した伊邪那美神ですが、別天津神からの命により「国産み・神産み」を行っていきますが、自らが産んだ火の神により陰部を焼かれ死亡してしまいます。「神が死ぬ」という設定、そして死後の世界と現世が繋がっていて行き来できた設定、そして死して尚自らの体から神々を産むなど、伊邪那美を通じて当時の人々の死後の世界への考えが反映されているんだと思います。
伊邪那岐神の記事の中でも述べているのですが、「天照大御神を信仰するヤマト朝廷が、伊邪那岐・伊邪那美を信仰する淡路島周辺の豪族を併合し、その中で伊邪那岐・伊邪那美と天照大御神を結びつける伝承が作られた。」とする説もあるそうです。