日本書紀を読む

巻第九 気長足姫尊<神功皇后>|皇統譜

2021年7月5日

 仲哀天皇が熊襲攻めに失敗した後、原因不明の痛身となり崩御なされた時、神功皇后は仲哀天皇の死を公にすると民の動揺が大きいのではと考え、当面の間仲哀天皇の崩御を隠匿する事にした。次の皇位には、神託によってまだ神功皇后の胎内にいる皇子が付く事になっているので、出産し、皇太子となり、そして即位するまでは皇子の為に母である神功皇后が国政を取り仕切っていく事になるのですが・・・・。

皇統譜<皇后>

 日本書紀は古事記と異なり、仲哀天皇が崩御した後、応神天皇が即位するまでの間、摂政として国政を取り仕切った「神功皇后」を独立した巻でまとめています。およそ60年間の摂政政治が行われておりその間の皇位は空位であった特殊な政治体制となっており、神功皇后が皇位についていたのではと明治時代以前は考えられていた様です。ただ、日本書紀では先ほども述べたように他の歴代天皇に並ぶ様に独立した巻でまとめられている事から、皇位に準じた扱いをしている事から、神功皇后を特別視している事は間違いない点であるといえます。

 日本神話の女帝とも言われる神功皇后はどういった出自だと伝えられているのか、日本書紀の冒頭に記載されているので、この部分を「皇統譜」として見ていこうと思います。

日本書記を読む

氣長足姬尊、稚日本根子彦大日々天皇之曾孫、氣長宿禰王之女也。母曰葛城高顙媛。足仲彦天皇二年、立爲皇后。幼而聰明叡智。貌容壯麗。父王異焉。

  • 稚日本根子彦大日々天皇わかやまとねこひこおおひひのすめらみこととは第九代「開化天皇」の諱になります。
  • 聡明叡知とは聖人のもつ四つの徳を意味し、生まれつき才能があり、賢くて先々まで見通せるという意
    • 「聡」はすべてを聞き分けること。
    • 「明」はすべてを見分けること。
    • 「叡」はすべてに通ずること。
    • 「知」はすべてを知っていること。

現代語訳

気長足姫尊おきながたらしひめのみことは、開化天皇の曾孫である気長宿禰王おきながのすくねのおほきみの娘で、母は葛城高顙媛かづらぎのたかぬかひめになります。

仲哀天皇二年に皇后となられました。

生まれつき才能に溢れ、容姿端麗であった事から、父親である気長宿禰王も驚くほどであった。

神功皇后の家系図

                    天之日矛
                     ┃
                  多遲摩母呂須玖
開化天皇              (但馬諸助)
  ┣━━━━━┓            ┃
崇神天皇   彦座王         多遅摩斐泥※古事記のみ登場
        ┃            ┃
    山代之大筒木真若王     多遲摩比那良岐
        ┃         (但馬日楢杵)
        ┃            ┃
      迦邇米雷王        多遅摩比多訶
        ┃            ┃
      息長宿禰王 ━━┳━━ 葛城之高額比売
     (気長宿禰王)  ┃   (葛城高顙媛)
            気長足姫尊

  • 先祖である、開化天皇、天之日矛に繋がる系図が記されているのは古事記のみの為、基本は古事記での名称として、日本書紀での名称はカッコ書きで記しています。
  • 開化天皇→息長宿禰王は古事記中つ巻「開化天皇」の段にて記載。
  • 天之日矛→葛城高顙媛は古事記中つ巻「応神天皇」の段にて記載。
  • 天之日矛は新羅からの渡来人と言われている人物とされ、神功皇后は新羅の民の末裔とも言う事ができるのですが、この事が新羅征伐で大きな意味を持っていく事になります。

神功皇后|神託の神の名

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