日本書紀を読む

巻第六 垂仁天皇|鳥取造

2025年5月30日

日本書紀とは?

 養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って書く編年体を取っていて正直呼んでも面白くは・・・・。
 同時期に編纂されたこともあり、物語の冒頭から巻末までの範囲はほぼ同じなわけで、古事記と日本書紀を読み比べていくと飛鳥時代から奈良時代にかけての日本のあり様が見えてくるのではないでしょうか。

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本文

廿三年秋九月丙寅朔丁卯 詔群卿曰「譽津別王 是生年既卅 髯鬚八掬 猶泣如兒 常不言 何由矣」因有司而議之 冬十月乙丑朔壬申 天皇立於大殿前 譽津別皇子侍之 時有鳴鵠 度大虛 皇子仰觀鵠曰「是何物耶」天皇則知皇子見鵠得言而喜之 詔左右曰「誰能捕是鳥獻之」於是 鳥取造祖天湯河板舉奏言「臣必捕而獻」卽天皇勅湯河板舉(板舉 此云拕儺)曰「汝獻是鳥 必敦賞矣」時湯河板舉 遠望鵠飛之方 追尋詣出雲而捕獲 或曰 得于但馬国

十一月甲午朔乙未 湯河板舉 獻鵠也 譽津別命 弄是鵠 遂得言語 由是 以敦賞湯河板舉 則賜姓而曰鳥取造 因亦定鳥取部、鳥養部、譽津部

  • 鵠・・・白鳥の事
  • 左右・・天皇のそばに控える側近の事

現代語訳

垂仁天皇二十三年、秋九月二日、群臣を招集し、「誉津別命ほむつわけのみことは三十歳になり、長い顎鬚が胸まで伸びるまでになったが、今尚赤子のように泣き、言葉を発する事ができないのは何故か。」と申され、話し合いが行われた。

冬十月八日、天皇は宮殿の前にお立ちになり、誉津別命もその脇に従っていました。その時、白鳥が大空を飛んでおり、皇子は空を見て「あれは何」と言われた。天皇は皇子が白鳥を見て言葉を発した事を大変喜び、側近の者に「誰かこの鳥を捕えてみせよ。」を申された。そこで、鳥取造ととりのみやつこの祖である天湯河板挙あめのゆかわたなが「私が必ずや捕まえてまいりましょう。」といった。(板挙はタナと読む)天皇は「お前があの鳥を捕まえたら、必ずや十分な褒賞を与えよう。」を申された。湯河板挙は白鳥が飛んでいく方向を追い、出雲にてついに捕まえた。ある人は「但馬国で捕まえた。」という人も。

十一月二日、湯河板挙は白鳥を献上した。誉津別命はこの白鳥を飼い、遂に話せるようになった。そこで、湯河板挙は褒賞を与えられ、鳥取造の姓を与えられた。また、鳥取部、鳥養部、誉津部を定めた。

登場した人々

古事記での本牟智和気命

沙本毘売命の兄である沙本毘古が垂仁天皇に対し反乱を起こした際、籠っていた稲城が火攻めにあったのは日本書記と同様なのですが、古事記では本牟智和気命は燃え盛る稲城の中で産まれたとし、その名も火の中で産まれたことに起因している。

白鳥は紀伊・播磨・因幡・丹波・但馬・近江・美濃・尾張・信濃・越を飛んだ末に捕らえられたと記されていますが白鳥を見ただけでは話す事ができず、天皇の夢に登場した神が「社を建て直したら皇子は話す事ができるだろう。」とし、出雲大神の祟りの為に話す事が出来ない事が分った為、出雲国に皇子と共に曙立王・菟上王を向わせ社を建て直しています。すると皇子は話す事ができるようになり、天皇は鳥取部・鳥甘部・品遅部・大湯坐・若湯坐を設けたとしています。

まとめ

鳥取造は朝廷の求めに応じて鳥類を捕獲する「鳥取部」、鳥取部が捕獲した鳥類を飼育する「鳥養部」を管掌していました。この鳥取造の祖とされるのが天湯河板挙であり、その子孫は天武天皇十二年に連の姓を授けられています。古事記にもほぼ同様の物語があるのですが、こちらでは山辺大鶙が白鳥を求めて各地を追いかけています。又、白鳥を捕まえて献上しただけでは誉津別命は話す事が出来ず、出雲国で色々苦労をするなど日本書記に比べて詳細に描かれているのが違いとなっています。

もう一つの伝説として、釈日本紀では皇子が話せないのは阿麻乃彌加都比女の祟りであるとしています。この神は自分を祀ってくれる神社がなく、奉斎してくれたら皇子は話す事ができると皇后の夢で語った事から日置部らの祖・建岡君を遣わし、神のいる場所を占わせ、尾張国丹羽郡の阿豆良に社を建てたとしてます。
この阿豆良に建てられた社が式内社である「阿豆良神社」になります。

愛知県一宮市の阿豆良神社

愛知県一宮市あずら一丁目七番地十九に鎮座する延喜式内社であり旧社格が「郷社」になります。神社の詳細については姉妹サイトである「あいちを巡る生活って」内の阿豆良神社紹介記事を是非参照して頂ければと思うのですが、創建は垂仁天皇五十七年と日本書紀とは少し年代がずれていますが、誉津別命が言葉を発したエピソードに類似している年代の創建になります。

阿豆良神社(愛知県一宮市あずら)延喜式内社

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 日本書紀を読んでいくにあったって、原文は漢文で書かれているので非常に読み込むのが困難なので、現代語訳されている本が一冊あると助かるかと思います。当サイトでは、戦前から日本書記の翻訳本として有名な岩波文庫の日本書記を非常に参考にさせて頂いています。

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