日本書紀を読む

巻第六 垂仁天皇|出雲の神宝

日本書紀とは?

 養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って書く編年体を取っていて正直呼んでも面白くは・・・・。
 同時期に編纂されたこともあり、物語の冒頭から巻末までの範囲はほぼ同じなわけで、古事記と日本書紀を読み比べていくと飛鳥時代から奈良時代にかけての日本のあり様が見えてくるのではないでしょうか。

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出雲の神宝

本文

廿六年秋八月戊寅朔庚辰 天皇勅物部十千根大連曰「屢遣使者於出雲国 雖檢校其国之神寶 無分明申言者 汝親行于出雲 宜檢校定」則十千根大連 校定神寶而分明奏言之 仍令掌神寶也

現代語訳

垂仁天皇二十六年秋八月三日

天皇は物部十千根大連もののべのとおちねのおおむらじに対して「出雲国に使いを出し神宝を検閲したいと伝えたのだが返答がないので、お前が出雲国に直接出向いて検閲してほしい。」と述べた。

すぐに十千根大連は神宝を調べ天皇に奏上し、神宝を手に入れた。

登場した人々

  • 物部十千根
    • 「先皇の功績」でも登場した垂仁天皇の側近で五大夫の一人に数えられる
    • 饒速日命を祖先とし、大和国山辺郡・河内国渋川郡あたりを本拠地とした豪族
    • 神武天皇の御代より大王家に仕え、主に朝廷の軍事を管掌したという

まとめ

 一時期はヤマト朝廷と並び立っていた出雲国ですが、崇神天皇または垂仁天皇の御代にヤマト朝廷に屈した様で、この時期に出雲国の神宝がヤマト朝廷に献上されています。ここでいう神宝が何を指しているのかはよく分かりませんが、なんとなく国を統治するのに必要だった物だと思います。そう考えると、国の運営の根幹に関係する・・・・という事で、出雲国の神々が大和国に遷座したということかもしれません。

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 日本書紀を読んでいくにあったって、原文は漢文で書かれているので非常に読み込むのが困難なので、現代語訳されている本が一冊あると助かるかと思います。当サイトでは、戦前から日本書記の翻訳本として有名な岩波文庫の日本書記を非常に参考にさせて頂いています。

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