御陵・陵墓

息速別命:息速別命墓(西法花寺古墳)

2025年12月5日

陵墓情報

陵墓名息速別命墓
被葬者息速別命いこはやわけのみこと:宮内庁治定
古墳名西法花寺古墳
所在地三重県伊賀市阿保
陵 形方墳
規 模一辺約35m
築造期五世紀末~六世紀初頭
御陵印

息速別命とは?

第十一代垂仁天皇と丹波道主王の娘である薊瓊入媛(日本書紀)阿邪美能伊理毘売命(古事記)との間に生まれた皇子。記紀ともに事蹟についての記述はなく、その名だけが記されているが、新撰姓氏録では「息速別命が幼少時に、垂仁天皇より伊賀国阿保村に息速別命のための宮室が築かれ、同村が封邑として息速別命に授けられた。」としています。

神名古事記 :伊許婆夜和気命
日本書紀:池速別命
古事記・日本書記:第十一代垂仁天皇
古事記 :阿耶美能伊理毘売命
日本書紀:薊瓊入媛
事蹟古事記 :記述なし
日本書紀:記述なし

     第十一代垂仁天皇
       ┃ ┃ ┠──────────────┬五十瓊敷入彦命
丹波道主王┬─╂─╂─皇后:日葉酢媛命       ├大足彦忍代別尊(十二代景行天皇)
     │ ┃ ┠────────┬鐸石別命   ├大中姫命
     ├─╂─妃:渟葉田瓊入媛 └胆香足姫命  └倭姫命
     │ ┠──────┬息速別命
     └─妃:薊瓊入媛 └稚浅津姫命

 垂仁天皇の叔父にあたる彦坐王、または従兄弟にあたる丹波道主命が皇族の中で非常に有力な家になっていたのか、または王朝交代説というものがあって、九代開化天皇までと十代崇神天皇からは王朝が異なるというもので、崇神天皇の皇子である垂仁天皇は王朝の維持のために前王朝の勢力である彦坐王、丹波道主の血を求めたのでは?という考えも成り立つほど、姉妹を一度に皇后・妃に迎え入れるというのは近親婚が珍しくなかった古代ヤマト朝廷の中でも異彩を放っている感じがします。

参拝記

 聖武天皇の東国行幸の際に滞在されたという「阿保頓宮跡」のすぐ西側に今回紹介する「息速別命墓」はあります。そして、息速別命墓の北東側には息速別命の事だと伝承される大村の神を御祭神とする「大村神社」が鎮座しています。古くから伊賀盆地の開拓の中心地として栄えていた場所であり、大和国と伊勢国を結ぶ重要な拠点だったという事を感じさせる場所になります。

 ストリートビューの画面中央から息速別命墓に通じる参道が設けられています。市道からは少し奥に入った場所に陵墓があり、市道沿いには家が立ち並んでいる事から少し参道入口がわかりにくいので参拝される時は注意した方が良いかと思います。

 市道沿いに建つ家々の間を抜けると木々が生い茂っている息速別命の陵墓が視界に入ってきます。中々絵になるロケーションだと思います。

 御陵と比べると非常に質素な造りですが遥拝所がしっかりと設けられています。

御陵を地図で確認

陵墓名息速別命墓
所在地三重県伊賀市阿保地内
最寄駅鉄 道:近鉄大阪線「青山町駅」徒歩17分
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