
御陵情報
| 御陵名 | 狭城盾列池後陵 |
| 被葬者 | 第十三代成務天皇(宮内庁治定) |
| 古墳名 | 佐紀石塚山古墳 |
| 所在地 | 奈良県奈良市山陵町字御陵前(Googlemap) |
| 陵 形 | 前方後円墳 |
| 規 模 | 全長218.5m、後円部約132m、前方部約121m |
| 築造期 | 四世紀後半 |
| 御陵印 | 畝傍陵墓監区事務所 |
成務天皇とは
景行天皇と皇后八坂入媛命の間に第四皇子として生まれる(前皇后である播磨稲日大郎姫との間に三男生まれている為、八坂入媛命との間に生まれた皇子女の中では長子)。日本神話最大の英雄とされる「日本武尊」は異母兄にあたります。
記紀に書かれている事蹟があまりにも少ない事から非実在の可能性が非常に高い天皇だとされています。
| 景行天皇十四年 | 生誕 |
| 景行天皇五十一年 | 立太子 |
| 景行天皇五十八年 | 景行天皇が近江国「志賀高穴穂宮」に行幸 |
| 景行天皇六十年 成務天皇元年 | 景行天皇崩御 志賀高穴穂宮にて即位 |
| 成務天皇四年 | 国郡に首長を任ずる詔 |
| 成務天皇五年 | 前年の詔にそって国造・稲置を配置 |
| 成務天皇四十八年 | 足仲彦尊を立太子 |
| 成務天皇六十年 | 崩御 |
参拝記
前2回の記事で紹介した日葉酢媛命の狭木之寺間陵と称徳天皇の高野陵とまさに密接しているという表現が航空写真を見ると間違ってないと確信できるほど近接している場所に今回紹介する成務天皇陵となる狭城盾列池後陵が築かれています。この成務天皇陵の北側には日本の女帝ともいわれる神功皇后の御陵がある訳ですが、一時期、狭城盾列池後陵が神功皇后陵と考えられていたんだとか。このあたりは、成務天皇は実在性がかなり疑わしい天皇であるとも言われ、さらに神功皇后もその実在性には疑問符が投げかけられている皇后なので、宮内庁より天皇陵として治定されてはいるが、実際の埋葬者は不明であるというのが実際の所の様です。

称徳天皇陵である高野陵のまさに真北に位置する場所にあるのが今回紹介する成務天皇陵とされる「狭城盾列池後陵」になります。このあたりは奈良盆地の北部に位置しており、周辺はまさに古墳銀座と言ってもいいくらい非常に多くの古墳が築造されている場所となっています。それこそ、新しい古墳を築くために、既存の古墳を切り崩すなんて事も行われていたり、さらには平城京の建築に合わせて切り崩された古墳が見つかったという報道も最近あった記憶があります。それくらい何世代にもわたって古墳が築かれ続けた場所になり、宮内庁の治定が真実だとしたら、ヤマトタケルの兄弟であった成務天皇の御陵の正面に奈良時代の孝徳天皇の古墳が築かれた・・・成務天皇が十三代天皇で孝謙天皇が四十六代天皇ですので、三十三代越しの御陵が隣に築造されたという事になりますか。

全国で二十六位の規模となる全長218.5mの前方後円墳であり、墳丘は三段に築成され葺石が多用された古墳であることから「佐紀石塚山古墳」という古墳名が付けられている。平安時代と江戸時代に盗掘されており、それぞれ記録が残されています。

ちなみに、多くの天皇陵として治定されている御陵なんですが、その姿は江戸時代末期に行われた「文久の修陵」と呼ばれる江戸幕府による天皇陵の治定と修復が行われ、79ヵ所の天皇陵に手が加えられています。もしかしたら写真に写っている御陵も江戸時代に修陵された姿なのかも?
御陵を地図で確認
| 陵墓名 | 狭城盾列池後陵 |
| 所在地 | 奈良県奈良市山陵町字御陵前(Googlemap) |
| 最寄駅 | 鉄 道:近鉄奈良線「西大寺駅」徒歩12分 バ ス: |