御陵・陵墓

日葉酢媛命:狭木之寺間陵(佐紀陵山古墳)

2025年8月17日

御陵情報

御陵名狭木之寺間陵
被葬者日葉酢媛命
古墳名佐紀陵山古墳
所在地奈良県奈良市山陵町御陵前
陵 形前方後円墳
規 模全長207m、後円部経131m、後方部幅87m、標高89m
築造期四世紀後半
御陵印

日葉酢媛命とは

第十一代垂仁天皇の二番目の皇后であり、垂仁天皇との間に第十二代景行天皇、神宮の初代斎宮とも言われる倭姫命など三皇子・二皇女を産む。先の皇后である「狭穂姫命」の推挙によって垂仁天皇十五年二月十日に後宮に向か入れられた「丹波道主命」の娘の一人である。日本書記では垂仁天皇三十二年に崩御され、野見宿禰によって初めて陵墓には人身御供ではなく埴輪を用いられたと記載されています。

    開化天皇┳━━━━崇神天皇
        ┃      ┣━━垂仁天皇  ┏五十瓊敷入彦命
        ┃    御間城姫   ┃   ┣大足彦尊(景行天皇)
        ┃           ┣━━━╋大中姫命
        ┗彦坐王━丹波道主王  ┃   ┣倭姫命
               ┣━━日葉酢媛命 ┗稚城瓊入彦命
             丹波之河上之麻須郎女

垂仁天皇、日葉酢媛命共に開化天皇を祖にもつ皇族であることが見て取れるかと思います。では同じ一族同士だったのかというと、初代神武天皇から開化天皇までの王朝と崇神天皇からの王朝があって、王朝交代が起こっているという説があったりします。この王朝交代説から考えると、新王朝の垂仁天皇と旧王朝の日葉酢媛命が結ばれる事で王朝交代に正統性を持たせていたのではないかと考える事も出来そうです。あ、因みに垂仁天皇前皇后である狭穂姫命も父親は彦坐王なので、垂仁天皇としてもいまだ勢力を持っていた前王朝側の取り込みをもくろんでいたのでは?と思ってしまいます。

参拝記

 グーグルマップなどを見ていると奈良市に広がる平城宮跡歴史公園の北側に水を湛えた周濠を有する前方後円墳が何基も存在している事がわかるかと思います。令和7年でも平城宮を築くにあたって前方後円墳が壊された跡があったという報道があったのは記憶に新しい所です。この辺りに点在する古墳群を「佐紀盾列古墳群」と言い、ヤマト政権の王墓を多く含む古墳群というのが特徴になります。

 日葉酢媛陵のすぐ北西側にはまるで陵墓に食い込まれるような形で築かれた成務天皇陵があり、その南隣には通常の陵墓とは向きが異なって西向きとなっている称徳天皇陵があるなど陵墓の密集地帯となっています。

水を湛えた周濠を中心に写真の右側に日葉酢媛陵、周濠のすぐ外側となる写真左側にみえる丘陵が称徳天皇陵、写真中央部分の丘陵が成務天皇陵というここに建つだけで三基の陵墓を一度に見る事ができる中々のロケーションかと思います。

 木々が生い茂っている日葉酢媛陵なんですが、大正四年(1915年)に大規模な盗掘があったそうで遺物が持ち出されてしまったんだとか。その後犯人は検挙されて遺物は回収されたとされていますが、すべてが戻ったのかは不明・・・。遺物は石室の復旧工事の際に埋め戻されたんだとか。

 前方部に正対するような形で日葉酢媛陵の遥拝所になります。

御陵を地図で確認

陵墓名狭木之寺間陵
所在地奈良県奈良市山陵町御陵前
最寄駅鉄 道:近鉄京都線「平城駅」徒歩7分
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