日本書紀を読む

巻第六 垂仁天皇|五十瓊敷命と大足彦尊

日本書紀とは?

 養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って書く編年体を取っていて正直呼んでも面白くは・・・・。
 同時期に編纂されたこともあり、物語の冒頭から巻末までの範囲はほぼ同じなわけで、古事記と日本書紀を読み比べていくと飛鳥時代から奈良時代にかけての日本のあり様が見えてくるのではないでしょうか。

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五十瓊敷命と大足彦尊

本文

卅年春正月己未朔甲子 天皇詔五十瓊敷命・大足彦尊曰「汝等 各言情願之物也」兄王諮「欲得弓矢」弟王諮「欲得皇位」於是、天皇詔之曰「各宜隨情」則弓矢賜五十瓊敷命 仍詔大足彦尊曰「汝必繼朕位」

    現代語訳

    垂仁天皇三十年春一月六日、(垂仁)天皇は五十瓊敷命いにしきのみこと大足彦尊おおたらしひこのみことを詔し、「お前たちの欲するものをそれぞれ言ってみよ。」と言われた。兄王は「弓矢が欲しい」といい、弟王は「皇位が欲しい」と言った。これを聞いた天皇は「それぞれ思う様にするとしよう」と言い、五十瓊敷命には弓矢を与え、大足彦尊には「汝は必ず我が皇位を継げ」と言った。

    登場した神々

    • 五十瓊敷命
      • 垂仁天皇と後皇后である日葉酢姫命ひばすひめのみことの間に生まれた皇子。
        記紀では、大足彦尊、大中姫命、倭姫命、稚城瓊入彦命の同母弟妹が記載されている。
      • 墓所は大阪府泉南郡岬町淡輪の「宇度墓(前方後円墳)」に治定されている。
      • 垂仁天皇三十五年:河内国に遣わされ、高石池、茅渟池を造営。
        垂仁天皇三十九年:菟砥川上宮にて剣一千口作成し石上神宮に奉納、石上神宮の神宝を管掌した。
        垂仁天皇八十七年:石上神宮の神宝管掌を妹である大中姫命に託す。
    • 大足彦尊
      • 垂仁天皇と後皇后である日葉酢姫命ひばすひめのみことの間に生まれた皇子であり垂仁天皇の皇位を継いで第十二代景行天皇となる。
      • 記紀では、五十瓊敷命、大中姫命、倭姫命、稚城瓊入彦命の同母兄妹が記載されている。
      • 日本神話最大の英雄ともいえる「日本武尊」の父。

    まとめ

     後の景行天皇となる大足彦命がどういった理由で皇太子となったのかを記している部分になります。古代日本は兄ではなく弟が家督相続をする「末子相続」という考えが一般的?だった様ですが、古事記や日本書紀が編纂された時代には末子相続から兄弟相続へと移行していた事から、なぜ弟が相続するのかという理由付けの為にこういった逸話を織り込んでいるのではないでしょうか。

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     日本書紀を読んでいくにあったって、原文は漢文で書かれているので非常に読み込むのが困難なので、現代語訳されている本が一冊あると助かるかと思います。当サイトでは、戦前から日本書記の翻訳本として有名な岩波文庫の日本書記を非常に参考にさせて頂いています。

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