日本書紀を読む

巻第六 垂仁天皇|殉死の禁止

2025年8月6日

日本書紀とは?

 養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って書く編年体を取っていて正直呼んでも面白くは・・・・。
 同時期に編纂されたこともあり、物語の冒頭から巻末までの範囲はほぼ同じなわけで、古事記と日本書紀を読み比べていくと飛鳥時代から奈良時代にかけての日本のあり様が見えてくるのではないでしょうか。

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殉死の禁止

本文

廿八年冬十月丙寅朔庚午 天皇母弟倭彦命薨 十一月丙申朔丁酉 葬倭彦命于身狹桃花鳥坂 於是 集近習者 悉生而埋立於陵域 數日不死 晝夜泣吟 遂死而爛臰之 犬烏聚噉焉 天皇聞此泣吟之聲 心有悲傷 詔群卿曰「夫以生所愛令殉亡者 是甚傷矣 其雖古風之 非良何從 自今以後 議之止殉」

  • 身狹桃花鳥坂:現在の奈良県橿原市にある築坂

現代語訳

垂仁天皇二十八年の冬十月五日、(垂仁)天皇の同母弟である倭彦命やまとひこのみことが亡くなった。十一月二日、倭彦命の亡骸を身狹桃花鳥坂に葬った。この時、倭彦命の側近として仕えていた者達を集め、生きたまま墓の周りに埋めたが、日が経っても死なずに昼夜泣き呻いていた。ついに死んで腐っていく中、犬や烏が集まり食べていった。天皇はこの泣き呻く声を聴いて非常に心を痛められた。

そこで天皇は郡卿に「生きている時に仕えていた者達を亡くなった時に殉死させてしまうのは非常に痛々しい事ではないか。古の風であるといってもよくない事には従う必要なないだろう。これからはよく話し合って殉死はやめていこう。」と言われた。

登場した神々

  • 倭彦命
    • 古事記では「倭日子命」と表記される。
    • 第十代垂仁天皇と皇后御間城姫との間に生まれた皇子。
    • 墓所は奈良県橿原市鳥屋町にある「身狭桃花鳥坂墓」に治定されている。

まとめ

 古代日本における「殉死」について記されている部分になります。この頃の殉死はいわば強制的な殉死であり、一人二人という規模ではないかなりな人数が殉死させられていたと読み取る事が出来ます。これで殉死が亡くなった訳ではなく、強制的な殉死は廃止となりましたが、任意的な殉死はこの後も続いていく事になります。有名なのは明治天皇が崩御された時に時の陸軍大将だった乃木希典夫妻が殉死されています。

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 日本書紀を読んでいくにあったって、原文は漢文で書かれているので非常に読み込むのが困難なので、現代語訳されている本が一冊あると助かるかと思います。当サイトでは、戦前から日本書記の翻訳本として有名な岩波文庫の日本書記を非常に参考にさせて頂いています。

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