
殉死の禁止
本文
廿八年冬十月丙寅朔庚午 天皇母弟倭彦命薨 十一月丙申朔丁酉 葬倭彦命于身狹桃花鳥坂 於是 集近習者 悉生而埋立於陵域 數日不死 晝夜泣吟 遂死而爛臰之 犬烏聚噉焉 天皇聞此泣吟之聲 心有悲傷 詔群卿曰「夫以生所愛令殉亡者 是甚傷矣 其雖古風之 非良何從 自今以後 議之止殉」
- 身狹桃花鳥坂:現在の奈良県橿原市にある築坂
登場した神々
- 倭彦命
- 古事記では「倭日子命」と表記される。
- 第十代垂仁天皇と皇后御間城姫との間に生まれた皇子。
- 墓所は奈良県橿原市鳥屋町にある「身狭桃花鳥坂墓」に治定されている。
まとめ
古代日本における「殉死」について記されている部分になります。この頃の殉死はいわば強制的な殉死であり、一人二人という規模ではないかなりな人数が殉死させられていたと読み取る事が出来ます。これで殉死が亡くなった訳ではなく、強制的な殉死は廃止となりましたが、任意的な殉死はこの後も続いていく事になります。有名なのは明治天皇が崩御された時に時の陸軍大将だった乃木希典夫妻が殉死されています。
日本書紀を読んでいくにあったって、原文は漢文で書かれているので非常に読み込むのが困難なので、現代語訳されている本が一冊あると助かるかと思います。当サイトでは、戦前から日本書記の翻訳本として有名な岩波文庫の日本書記を非常に参考にさせて頂いています。
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