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聖武天皇社(三重県四日市市松原町)

2025年12月20日

神社情報

神社名聖武天皇社
鎮座地三重県四日市市松原町五番地八号
御祭神聖武天皇
創 建安貞元年(1229年)
社格等神饌幣帛料供進指定村社
神名帳
文化財四日市市指定記念物(史跡):万葉史跡と聖武天皇社
例大祭七月十六日
境内社白玉龍神社(御祭神:白玉龍神)
URLhttps://shomutennosha.com/
御朱印
参拝日:2025-5-10

御由緒

 社伝によると、「鎌倉時代である安貞元年(1227年)に聖武天皇が東国行幸の際の朝明頓宮跡地に創建された。」としていますが、それ以外の詳細については不詳のようです。

朝明頓宮とは

 天平十二年(740年)十月二十九日に平城京を出発し、伊勢国、尾張国、美濃国、近江国という都より東にある国々を巡り、最終的には聖武天皇が建造を行っていた「恭仁京」に到る巡幸の際、二日ほど滞在したと伝えられています。

十月二十九日平城京発
十一月一日伊賀国(阿保頓宮)入
十一月二日伊勢国(河口頓宮)入:神宮に勅使を派遣
十一月三日河口頓宮にて藤原広嗣逮捕の報を受ける。
十一月九日藤原広嗣処刑の報を受ける。
十一月二十一日赤坂頓宮にて文官百官に叙位を行う。
十一月二十三日朝明頓宮着、二泊される
十二月一日美濃国、不破着
十二月六日不破発、恭仁京に向かう。
十二月十五日恭仁京着

聖武天皇がなぜ東国巡幸を行ったのか、そして平城京から恭仁京、紫香楽宮、難波宮などに遷都を行ったのは何故か。現代人の思考では思いつかない色々な状況が重なって決断されたんだとは思うのですが、造営工事などに駆り出されたであろう平民にとっては「天皇の思想に翻弄される」って感じだったのではないでしょうか。

天正十二年十一月二十三日から二十五日にかけて宿泊されたのが「朝明頓宮」になります。続日本紀には「朝明郡衛」と書かれている事からこの地方を統括している庁舎を仮宮とされたと思われます。

御祭神

  • 聖武天皇

聖武天皇の経歴?などは御陵である「佐保山南陵」の紹介記事内に書いていますのでそちらを参考にして頂ければと思います。(いずれは皇統譜を作成する予定ですが・・・。)

聖武天皇から想像されるのは「東大寺の大仏」なのではないかと思います。この東大寺の大仏は最初から平城京にて建造される予定だったわけではなく、大仏も都も完成を見る事なく破棄された「紫香楽宮」にて建造される予定だったようです。当時の朝廷に「国家予算」という概念があったかどうかは不明ですが、恭仁京、紫香楽宮、難波宮と次々に宮を建造し、さらに全国に国分寺・国分尼寺の建立の詔を発するなど今でいう所の「箱物行政」の権化とも言ってしまえるだろう天皇なのですが、その建造資金はどっから出ていたのでしょうか・・・。

参拝記

国道一号線から路地に入ってすぐの場所に今回参拝する聖武天皇社は鎮座しています。JR東海:関西本線「富田駅」とイオンモール四日市北と百五銀行富田支店(旧四日市北警察署)が集中している場所になって周辺はかなり賑やかな場所になります。国道一号線からは百五銀行と郵便局の間を通る路地に入っていく事になります。この路地、元々は一方通行だったのですが銀行建設された時に相互通行になったようです。

 聖武天皇社の境内前に、広々とした松原が広がっています。この周辺一帯が四日市市指定記念物(史跡):万葉史跡と聖武天皇社に指定されているようです。この松原の所に・・

 このような四日市教育委員会が設置した「四日市市指定史跡 万葉史跡と聖武天皇社」の案内看板が設置されています。これを見ると、聖武天皇がこの地で詠んたとされる歌に登場する「吾の松原」がこの聖武天皇社の前に広がる松原だとしています。

 国道一号線に通じる路地沿いに設けられた聖武天皇社の境内入口になります。石垣で造られた瑞垣とその瑞垣上に据えられた狛犬一対と石灯籠が特徴となっており、石造神明鳥居が据えられています。

 この瑞垣上に据えられた小さな石灯籠が何基も並ぶこの光景は他の神社には無いこの聖武天皇社独特な雰囲気を出していているのではないでしょうか。

 阿吽の大きさが大きく異なってしまっていますが、基壇上に据えられた狛犬一対です。いつもなんですが、中々阿吽ほぼ同じアングルで撮影しているはずなのに・・・・なんで写る大きさが違うのか・・・

 旧社格が彫られた聖武天皇社の社号標です。Googlemapで三重県下の神社を調べていた時にふと目に入った「聖武天皇社」の文字。愛知県長久手市に鎮座する「景行天皇社」を発見参拝した時以来の天皇の名を持つ神社の発見に「これは参拝せざるをえない!」という気持ちが即座に芽生えて小雨模様の中バイクで特攻してしまいました。雨雲の元で参拝したのですが、写真を見るとなんだかいつもより露出が落ち着いたいい感じになっているので、無理して参拝したかいもあった感じです。

 入母屋瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。しっかりと水が貼った水盤とペーパータオル&アルコール&ゴミ箱が用意されています。徐々に元に戻りつつあるといってもコロナ禍以降、水盤は停止してアルコールのみという神社が多くなってしまい、こうしてしっかりと参拝前に手水ができるのは平穏の証だったんだなと感じざるを得ません。

 切妻造瓦葺平入の拝殿をゆうする社殿になります。向拝は設けられておらず、外壁が一間分内側に入り込んだどちらかというと寺院で多く見かける造りになっています。・・・こういった社寺建築を的確に説明できる様に勉強しないといけないとは思うのですが・・・

 境内社の白玉龍神社になります。朱塗りの連続鳥居を見て最初稲荷社だと思っていたんですがまさかの龍神社でした。その向かって左奥にみえる白い鳥居の奥には

 こちらが聖武天皇の詠んだ歌が刻まれた歌碑なようです。

 今ではこんな立派な歌碑が据えられていたり、名称万葉史跡 吾の松原の石碑が据えられたりしています。

地図で鎮座地を確認

神社名聖武天皇社
鎮座地三重県四日市市松原町五番地八号
最寄駅JR東海:関西本線「富田駅」徒歩4分

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