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片山神社(三重県亀山市関町)延喜式内社 論社

2026年1月11日

神社情報

神社名片山神社
鎮座地三重県亀山市関町坂下六三六番地
御祭神倭比売命
瀬織津比売神
気吹戸主神
速佐須良比売神
坂上田村麿
天照大神
速須佐之男命
市杵島姫命
大山津見神
創 建不詳
社格等村社
神名帳延喜式神名帳 伊勢国鈴鹿郡 片山神社
文化財
例大祭四月十二日
境内社愛宕社、稲荷社
URL
御朱印
参拝日:2025-12-30

御由緒

創建は不詳だが、縁起によると元々は三子山中央の峯に瀬織津姫命伊吹戸主命速佐須良姫命の祓戸三神を奉祀していたという。しかし、火災により「鈴鹿頓宮古宮」に遷座したが、仁和二年(886年)に頓宮の火災により再び三子山に奉遷したが、永仁二年(1294年)に野火により類焼した為、現在の地となる鈴鹿獄の麓多津加美坂を宮地を定めて社殿造営、倭姫命を併祀して鈴鹿大明神の号を奉った。

 斎王の郡行が鈴鹿峠を超える際に作られのが「鈴鹿頓宮」であり、伊勢国に入ったこの地で「禊」を行う場所として聖地となっていった。そしてこの鈴鹿頓宮跡にに伝説的斎王である倭姫命を御祭神とする鈴鹿社が建立されたとされ、この地に祓戸三神が遷座してきた時に鈴鹿社と合わせて四神一社となったと考えられます。

 東海道が整備されると鈴鹿峠は旅人が行き交う場所となっていくが、東海道でも指折りの交通の難所でもあった事から旅人からの安全祈願のために篤い崇敬を集める神社となっていき、当地を治めていた亀山藩の歴代藩主より崇敬を集め、沓掛八石が寄進されています。

明治四年七月には村社に列格し、明治四十年からは神社合祀令の元、近隣の神社を合祀いていきます。明治四十年、田村神社、山神社を合祀、明治四十一年、境内社(大山祇社・翁社)、沓掛神明社(神名祠・山祇社)、市瀬市之瀬社(牛頭天王祠・厳島社・山神社)を合祀しています。

年代不詳創建
年代不詳火災により鈴鹿頓宮故宮に遷座
仁和二年(886年)火災により三子山に遷座
永仁二年(1294年)野火により現在の境内地に遷座
明治四年村社に列格
明治四十年田村神社・山神社を合祀
明治四十一年大山祇社・翁社・神明祠・山祇社・牛頭天王祠・厳島社・山神社を合祀

御祭神

  • 倭比売命
  • 瀬織津比売神
  • 気吹戸主神
  • 速佐須良比売神
  • 坂上田村麿
  • 天照大神
  • 速須佐之男命
  • 市杵島姫命
  • 大山津見神

祓戸神とは?

  • 瀬織津比売神(瀬織津姫命)
  • 速開都比売神(速秋津姫命)
  • 気吹戸主神(伊吹戸主命)
  • 速佐須良比売神(速佐須良姫命)

大祓詞の中に罪穢れを祓い清める神々として登場しています。この四柱の神々を「祓戸四神」と称しています。・・・そもそも「祓戸」って何?と疑問を持たれる方も多いかと思います。祓戸・・簡単に説明すると「祭式を行う前に神職だけではなく参列される方達の「罪穢れ」を祓いながす神事(修祓)が行われる場所」が祓戸になります。まぁ、正直な所「神道」に興味がある方以外中々触れる事のない場所な訳ですが。

 神道というのは人々が日々生活していく中で「罪穢れ」を積み重ねていき不浄な状態になっていくという考えがあって、この不浄を祓い流す目的で「祓い」が行われる訳です。神社では六月晦日と十二月晦日に半年間の間積み重なった罪穢れを祓う「大祓い」という神事を執り行っています。

「茅の輪くぐり」も大祓いの神事の一つになり、六月末から七月上旬くらいに神社に茅の輪が置かれている所を見た事のある方も多いのではないかと思います。

参拝記

 鈴鹿峠には現在国道一号線が東海道をトレースするような形で通っているのですが、坂下神社へ向かう事ができる旧東海道に通じる場所は上下線が分かれている場所になっていて、三重県側から坂下神社に向おうとすると一度坂下神社附近と通り過ぎて上下線を接続しているUターン道を使って戻ってくる形になります。戻ってきても片山神社を示すものはほぼ皆無なのでナビ頼みか上記ストリートビューの場所を覚えていく必要があるかと思います。

 上記の脇道入口から明らかに車は殆ど通らないだろうと思われるまるで林道の様な旧東海道を進んでいくと、片山神社の社号標が現れます。ここから狭い道を突き進むことになります。対向車はまず来ないとは思いますが、気を付けて進んでください。

 まるで突き当りの様な形で片山神社の境内が見えてきます。石垣が高く積まれた特異的な境内と鬱蒼と茂った鈴鹿峠の雰囲気が相まってとても非日常的な何とも言えない不思議な気持ちになります。この片山神社から先の旧東海道は正直整備されずに往時の峠越けの雰囲気を現代に伝えてくれている場所になるかと思います。

 歩く人が減って徐々に森に飲み込まれて行っている為、絶対に当時より歩きにくくなっているであろう旧東海道。関宿からここまでも中々の上り坂が続いているのにここからの峠越えはまさに過酷の一言ですね。ふと思ったのですが、明治天皇が京都から東京に向かった「東京行幸」をされた時は当然鉄道網は構築されておらず、陸路または海路で向かう事になるのですが、wikiによると陸路で向かったとあるのでそうなると明治天皇もこの峠を越えた(まあ・・・輿などに乗っていたと思うので自力で越えてはないと思いますが。)んでしょうね。これを示す様に明治元年九月二十三日に明治天皇の勅使植松権少将が代参し祝詞奏上奉幣を行っています。

延喜式内社を示す「延喜式内」が合わせて彫られた社号標と木製の神明鳥居が据えられた境内入口になります。鳥居にかぶって見えにくいですが鳥居のすぐ後ろには永代常夜燈が奉納されています。

 この石造と木造のハイブリッド常夜燈はやはり趣きがあっていいですね。ただ、どうしても木造部分のが朽ちるのが早いので竿石以下の石造部分だけが残っている所をよく見かけるので維持管理は大変そうです。

 参道には神門が設けられていて元々本殿が鎮座していた場所まで石段が伸びていっています。このアングルからの写真だけ見たら神社というより城址の様な雰囲気ですね。

 神門を潜った先に石造の社が鎮座していました。この社が現在の本殿になります。ここ片山神社の社殿は平成十一年に放火により焼失してしまい、長い間再建が行われなかった様ですが、この先火災にも耐える事が出来るようにと石造で本殿を造営されたそうです。

 本殿を参拝した後、さらに石段を登っていきます。鉄道網、道路網が整備される前の鈴鹿峠を超える多くの旅人の参拝があった時代の片山神社の境内を見てみたいと思わせてくれるこの石段と石垣。そして何やら建物が建っていたであろう場所。こうして徐々に朽ちていっている所を見るにつれ鈴鹿峠周辺の過疎化も重なって正直神社の維持運営も大変なんだと思わずにはいられません。

 石段を登りきると、そこには本殿を含む社殿が鎮座していたであろう空間が広がっていました。社殿がどの方向に向いて鎮座していたのかは全く分からないのですが、中央に写っている岩肌とか何とも言えない雰囲気が漂っています。

 すこし撮影方向を変えてみました。この岩肌周辺にはたぶん社殿が燃えてしまった時に類焼したであろう燃えた木々の後などが今も見る事ができます。しかしその木々の間から新しい植物が生えていて自然は生きているんだなと改めて実感しました。

 境内社の稲荷社の鞘堂になります。屋根のゆがむなど老朽化が進んでいます。石が黒くなっているのは家事の影響なんでしょうかね。

 色々ネットで探しているのですが、火事で消失してしまう以前の片山神社の社殿の写真がまったく見つかりません・・。平成11年まではここに鎮座していた訳で写真は絶対にあると思うのですけどね・・・。

地図で鎮座地を確認

神社名片山神社
鎮座地三重県亀山市関町坂下六三六番地
最寄駅亀山市コミュニティーバス西部コース「伊勢坂下バス停」徒歩28分

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