
神社情報
| 神社名 | 伊賀留賀神社 |
| 鎮座地 | 三重県四日市市羽津戊五二三番地 |
| 御祭神 | 天照大御神荒魂 大年神 大山祇神 天武天皇 祭神不詳 |
| 創 建 | 不詳 |
| 社格等 | 郷社 |
| 神名帳 | 延喜式神名帳:伊勢国朝明郡 伊賀留我神社 |
| 文化財 | ー |
| 例大祭 | 十月十六日 |
| 境内社 |
| URL | http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%e4%bc%8a%e8%b3%80%e7%95%99%e6%88%91%e7%a5%9e%e7%a4%be/ |
| 御朱印 | ー |
| 参拝日:2025-5-10 |
御由緒
創建は不詳
前回紹介した四日市市茂福甲に鎮座する「伊賀留我神社」の記事内でも記していますが、社名の「伊賀留我」は村名だった「鵤村」が由来とされ、この地は往古は「鵤ノ御厨」と呼ばれており、聖徳太子の御料地であり、大和国の「斑鳩」との関係性があったのでは?という言い伝えも残っているようです。
額田部の子孫がかつて垂仁天皇の皇女である倭姫命が垂仁天皇十八年に天照大御神を奉斎して巡幸していた時、桑名野代宮から鈴鹿忍山宮への遷幸の途次、この地に駐留したとき天照大御神の荒御魂を祀ったものであると伝えている。
また、天武天皇が壬申の乱の際この地で神宮を遥拝した地にも因むとしています。
上記のような伝承がある為、寛永年中に鵤村が南北に分かれた時、南鵤村は忍藩領となり伊賀留我神社斎宮大明神として祀られたという。
こちらの伊賀留我神社には別当寺である「斑鳩山大善寺」があったと伝えられており、元々は天台宗の寺院だったが後に浄土真宗に改宗したが、織田信長と一向宗との戦いの中、兵火によって烏有に帰してしまい、社歴を記した古記類などすべて焼失してしまったという。
| 不詳 | 創建 |
| 平安時代 | 斑鳩山大善寺が別当寺となる |
| 寛永年中 | 鵤村が南北に分かれ、南鵤村に伊賀留我神社斎宮大明神として奉斎される。 |
| 明治六年 | 村社に列格 |
| 明治三十五年 | 郷社に列格 |
| 明治四十一年 | 境内社である 斎宮大明神社(御祭神:大年神) 山神社(御祭神:大山祇神) 邪軍神社(御祭神:不詳) 天武天皇社(御祭神:天武天皇) の四社を本殿に合祀する |
御祭神
- 天照大御神荒魂
配祀神
- 大年神
- 大山祇神
- 天武天皇
- 祭神不詳
垂仁天皇十八年、皇女倭姫命が天照大神の大宮処を求めて桑名野代宮より鈴鹿忍山宮へ御遷幸の途次、当地に御駐輿された跡へ額田部の子孫天津彦根命の孫、意富伊我都命の遠孫が天照大御神荒魂を奉斎したと伝える。また、大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子との間に起った皇位継承の争い、壬申の乱(672年)の時、大海人皇子は白鳳元年に当地、朝明郡迹太川より神宮を御遥拝戦勝祈願された故事により、約230年後、天武天皇の事跡を偲んで額突山の麓に天武天皇社が創建され、山頂には「天武天皇神宮御遥拝所」と刻まれた石碑が残っている。『神鳳鈔』には「鵤ノ御厨三丁」とあり神宮と関わりの深かったことが知られる。天延二年(974年)、叡山の僧良源が船木良見に聘され下向、鵤村に安居し後 帰山するが、弟子の覚鎮はこの地に留まり斑鳩山大膳寺を開創し、当神社の別当寺となったと伝える。五世空源の代に、信長の兵災に罹り、伽藍、神社の古文書等を悉く焼失。明治四十年、天武天皇社(天武天皇)、ほか五社を合祀した。
参拝記
東名阪道の四日市東ICから四日市港に真っ直ぐはしる県道64号線の伊賀留我神社前交差点の辻の所に伊賀留我神社の社号標が建っていますがこちらは同じ社名ですが四日市市茂福甲に鎮座する伊賀留我神社の社号標になり、今回紹介している四日市市羽津戊に鎮座する伊賀留我神社へはこの交差点から南側(辻の社号標とは反対方向)に進んでいくと道路沿いに神社が見えてきます。両社の境内地は非常に近い所にあり、由緒でも述べていますが村が分かれた為、神社も両村に鎮座する様に分社された様なものなので互いの境内地が近い場所に鎮座しているのもさもありなんっていう感じでしょうか。

社号標自体は茂福甲に鎮座する伊賀留我神社の記事で紹介した社号標とおぼ同一の様式となっていますが、唯一違うのは旧社格が彫られているであろう場所になにやら神紋?が刻まれた板で覆っている点でしょうか。

南北に走る道路によりそっているような神社配置となっています。幟立石一対、石造灯篭一対、神明鳥居が据えられている境内入口になります。

鎮守の杜に囲まれた伊賀留我神社の境内は、非常に落ち着いた雰囲気となっています。

切妻瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。

全体の造形から昭和期後半生まれだと思われる狛犬一対になります。

切妻瓦葺平入の半間ほど庇が伸ばされ拝所が設けられている拝殿を有する社殿になります。茂福甲に鎮座する伊賀留我神社の拝殿とはすこし規模が異なりますがほぼ同様の建築様式となっています。

境内の一角に旧日本陸軍の榴弾砲に使われたと思われる砲弾が奉納されていました。戦前この村から出征された方々による奉納品なんだろうと思います。
地図で鎮座地を確認
| 神社名 | 伊賀留我神社 |
| 鎮座地 | 三重県四日市市羽津戊五二三番地 |
| 最寄駅 | 鉄 道: バ ス:四日市市コミュニティーバス「スーパーサンシバス停」徒歩9分 |
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