
神社情報
| 神社名 | 和田神社 |
| 鎮座地 | 三重県亀山市和田町一一六八番地 |
| 御祭神 | 建速須佐之男命 配祀神 伊邪那美神、天照大神、刃具神、罔象女神、埴安毘売命 |
| 創 建 | 延暦年中(782-806年) |
| 社格等 | ー |
| 神名帳 | ー |
| 文化財 | ー |
| 例大祭 |
| 境内社 | ー |
| 参拝日:2026-01-31 |
御由緒
平安時代の延暦十五年(796年)に大和国の「紀真龍」が石ノ上布留の神(石上神宮)の信託により当地に那智山熊野権現を勧請し熊野三社として祀ったのが創建と伝えている。同年八月には空海が真龍の元を訪ね、地蔵菩薩を刻み一宇を建立したといい、これが「那智山石上寺」になります。こうした由緒があることから石上寺が別当を務めています。
時期は不明ですが、和田の地にて大火があり、火伏の神として尾張国の津島神社から牛頭天王を勧請し合祀したと社伝では伝えており、明治政府による神仏判然令によって神仏習合の神である牛頭天王は同一視された建速須佐之男命へと御祭神が代わっています。
「鈴鹿郡郷土誌」によると、明治四十一年、井田川村に鎮座していた神社は大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀されたとあり、その合祀された神社の中に和田神社の名前も記載されているので、一度は川俣神社に合祀されていますが、昭和二十六年に各地区に分祀されている事からこの時に和田神社が再建されたのであろうと思われます。
御祭神
- 建速須佐之男命
配祀神
- 伊邪那美神
- 天照大神
- 刃具神
- 罔象女神
- 埴安毘売命
刃具神という神名の神を存じ上げていないのでなんとも言えないのですが、「刃物に関連する神」なのか、もしかしたら「刃具神=火之迦具土命」の事なのでは?と想像してみたり。明治四十一年以前の川俣神社に合祀される前の神社資料があれば和田地区に鎮座していた和田神社以外の神社について調べられるんですけどね・・・。
社頭に設置してある由緒板には、御祭神が「建速須佐之男命、伊邪那美命、速玉之男大神」の三柱であると記しています。元々熊野三神を勧請し、その後牛頭天王を勧請したという由緒からなんだろうと思うのですが、三重県神社庁には「速玉之男大神」の名前が載っていません。この辺りの食い違いは、神仏判然令、神社合祀・分祀を経ていく中で記録と記憶の相違が生じてしまった結果なのかも?
参拝記
和田神社は旧東海道沿いに建っている「那智山石上寺」の北東側に鎮座しています。石上寺の東側を流れる川沿いに北に進むと和田神社の境内入り口が見えてきます。

幟立石(幟ポール併設改良型タイプ)、社号表、由緒板と少し奥に石造神明鳥居が据えられた境内入口になります。鬱蒼と茂った木々が鎮守の杜そのものって感じです。

鳥居越しに社殿方面を望みます。少し上り坂になっている参道とその先に石段が続いています。

切妻銅板葺木造四本柱タイプの手水社になります。水盤の向きから考えるとここ和田神社の手水社は珍しい妻入りタイプの様です。柱の立ち上がり部分などを見ると最近修繕が行われた様ですね。

入母屋造瓦葺平入の拝殿を有する社殿になります。亀山市内に鎮座する神社でよく見かけた拝殿とほぼ同じ造りなんですが、大きな違いは向拝の有無になるんですが、向拝がないと非常にシンプルな見た目になりますね。
和田神社参拝時にはその存在を全く知らず、且つ見たはずなのに全く気にも留めなかったのですが、ここ和田神社には明治十三年に明治天皇が大阪鎮台、名古屋鎮台兵対抗運動を天覧された事を記念して建てられた石碑が本殿脇に据えられています。この時に明治天皇が亀山市内で泊まられた建物が亀山神社の境内に移築され現在もその姿を見ることができます。

地図で鎮座地を確認
| 神社名 | 和田神社 |
| 鎮座地 | 三重県亀山市和田町一一六八番地 |
| 最寄駅 | 鉄 道:JR東海 関西本戦「井田川駅」徒歩26分 バ ス:三重交通バス「和田団地東バス停」徒歩2分 |
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