
史跡情報
| 史跡名 | 北畠具教胴塚 |
| 所在地 | 三重県多気郡大台町上三瀬一七三番地一号 |
| 文化財指定 | 三重県指定遺跡(三瀬館) |
北畠具教とは?
伊勢国司北畠家八代当主
天文二十二年(1553年)父:晴具より家督を継ぎ八代当主となる。安濃郡の長野氏、志摩国の九鬼氏を続いて攻略し、支配範囲を拡大し北畠家の最盛期を築き上げた。が、永禄十一年(1568年)より織田信長の伊勢侵攻が始まり、翌十二年の大河内城の戦いにおいて降伏し後の織田信雄となる茶筅丸を養嗣子とし迎え入れた。
元亀元年(1570年)多芸御館から三瀬谷の三瀬館に移る。その後、徐々に信長と不仲となり、信長包囲網の一角である武田信玄の西上作戦の際には使いをおくり密約を結んだとされる。しかし、この一連の動きは信長の知る所となり、天正四年(1576年)十一月二十五日、信長と信雄の命を受けた旧臣である長野左京亮、加留左京進らの襲撃を受けて二人の子と十四余名の家臣らと共に殺害された。これを「三瀬の変」と呼び、ほぼ同時に田丸城において残る北畠一門の主だった者が殺害され北畠家は織田家に乗っ取られる事になります。
胴塚
三瀬館で謀殺された北畠具教の胴体が埋葬された塚が三瀬館近くにあります。この地には具教の胴体のみが埋葬され、具教の首は家臣の芝山秀時、大宮多気丸らが奪還し、多気の菩提寺に埋葬しようとしたが織田家の追劇がは激しく、現在の松阪市飯高町の山中に埋葬されたとしています。
| 訪問日:2024-8-9 |
訪問記
「北畠神社」から北東方向に三瀬館跡があります。道中、史跡訪問者用の駐車場が用意されている様です。館近くまで車で行けそうな感じもしますが非常に道幅が狭いので無理をしない方がよさげです。

三瀬館跡とは小川?を挟んだ対岸に北畠具教の胴塚があります。館の外で首実検の為に首を切り落とした具教の胴体をこの地に埋葬したのかもしれません。

胴塚自体は石を積み重ねた形になっており、元々は土を上から被せて塚・・・墳墓の様な形状になっていたのではないかな?と思うのですが。

三瀬館跡から胴塚へは上記のような渡橋をつかって川の対岸に渡ります。最初この橋に気が付かなくて胴塚ないやん!って思って右往左往してました。

館跡には「胴塚の碑」と呼ばれる石碑が据えられています。元々は現在の境内地へ遷座前の北畠神社の境内にて祀られていたそうで、遷座を期にこの地に遷座された様です。
所在地を地図で確認
| 史跡名 | 北畠具教胴塚 |
| 所在地 | 三重県多気郡大台町上三瀬一七三番地一号 |
| 交 通 | 鉄 道:JR東海 紀勢本線「三瀬谷駅」徒歩27分 バ ス: |
