
神社情報
| 神社名 | 北畠神社 |
| 鎮座地 | 三重県津市美杉町上多気一一四八番地 |
| 御祭神 | 北畠顕能 北畠親房 北畠顕家 |
| 創 建 | 寛永二十年(1643年) |
| 社格等 | 別格官幣社 |
| 神名帳 | ー |
| 文化財 | 国指定史跡名勝天然記念物:「多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡」 |
| 例大祭 | 十月十三日 |
| 境内社 | 多芸神社(明治四十年に合祀した各神社の祭神) 留魂社(御祭神:北畠具行、北畠満雅、北畠具教 北畠一族並に家臣、郎党、農民の戦死者) |
| 参拝日:2023-6-9 |
御由緒
寛永二十年(1643年)、北畠氏の一族である坂内兵庫守具政の後裔「鈴木孫兵衛家次」によって創建されたと伝えられています。創建当初は八幡神を勧請し北畠八幡宮と称していたそうです。
多気史積(大正十一年発刊)には
北畠氏の末葉「坂内兵庫守具房」鈴木某女に落胤の息あり。幼にして母に誘われ天正の乱(天正四年北畠氏滅亡)を奥州に避け其地に成長して一子を挙げ此に卒す。其子賢にして父の遺訓を忘れず長じて伊勢国一志郡多藝に帰住し鈴木孫兵衛と呼ぶ。長く祖先の霊を安んせん事を欲し寛永二十年の春一社を建立して北畠八幡宮と云う。
| 寛永二十年(1643年) | 創建 |
| 明治十四年(1881年) | 北畠神社に改称 |
| 明治四十年(1907年) | 近隣十六社を合祀 |
| 昭和三年(1928年) | 別格官幣社に列格 |
御祭神
- 北畠顕能
配祀神
- 北畠親房(顕能の父)
- 北畠顕家(顕能の兄)
王政復古を錦に武家政権である江戸幕府を打倒した明治政府としては国民に対しその正統性を訴えるために鎌倉幕府を打倒した後醍醐天皇が行った「建武の新政」の正統性を訴える事が急務で南朝を正当な皇統とする一方で後醍醐天皇・皇族を官幣社、忠臣を別格官幣社の御祭神として神格化を図っています。この時整備された神社を「建武中興十五社」と呼ばれており、鎮座地は御祭神となった方の縁地に建立されています。
参拝記
国道368号線沿いにある「道の駅美杉」近くの上多気交差点を北に県道30号線を進んでいくと北畠神社の朱色の鳥居が見えてきます。地図を見てもらってわかるかと思いますが、北畠神社が鎮座している場所はかなりの山中になります。元々北畠家の伊勢国司としての居城は「田丸城」であり、北朝方との戦いの中で落城していく中でこの場所を本拠としていった歴史もある事から農耕に適した場所より対北朝戦の中で防御しやすい場所を選んだんだと思います。それでも南朝方の主力として活躍していた訳ですから北畠家の底力はすごいものがあったんでしょう。

別格官幣社と合わせ彫られた社号標と朱塗りの鳥居が据えられている境内入口になります。その奥に朱の欄干が設けられた太鼓橋も見えていますね。

切妻銅板葺き四本柱タイプの手水舎になります。北畠神社は建築物の多くが朱色となっているのが特徴ですね。

二の鳥居は石造神明鳥居になっています。ふと気づいたら、この鳥居は朱色じゃないですね。

昭和期前中期生まれと思われる岡崎型と呼ばれる狛犬一対になります。

切妻銅板葺妻入の拝殿を有する社殿になります。拝殿になにか気になるものが掲げられています。

なぜに「天狗」?

拝殿の前には「後醍醐天皇と忠臣を祀る神社」として建武中興十五社会による案内板が掲げられています。こちらも時間はかかりますが巡っていきたい所です。

明治四十年に合祀された神社の御祭神が祀られている多芸神社です。

そしてこちらが北畠具行、北畠満雅、北畠具教 北畠一族並に家臣、郎党、農民の戦死者を祀っている留魂社になります。御祭神となっている名前を調べてみると北畠の隆興から滅亡までの間に北畠家に関わった人々を祀っていると思えばいいのかな。
地図で鎮座地を確認
| 神社名 | 北畠神社 |
| 鎮座地 | 三重県津市美杉町上多気一一四八番地 |
| 最寄駅 | 鉄 道: バ ス:津市コミュニティーバス「北畠神社前バス停」徒歩1分 |
伊勢神宮、氏神の神社、そして皆様が崇敬している神社の御神札をご自宅にお祀りされていますか?
現在ではアパートなどの賃貸住宅でも気軽に御神札を祀る事ができる神棚が登場しています。今まで賃貸住宅で神棚が置けないと御神札をお祀りできなかった方も、こうした神棚をご用意されてお祀りされてみてはいかがでしょうか?