
神社情報
| 神社名 | 彌牟居神社 |
| 鎮座地 | 三重県亀山町両尾町三四一四番地 |
| 御祭神 | 建速須佐之男命 配祀神 伊邪那岐大神,保食神,大事忍男神,火之夜芸速男命,八重事代主神,大名牟遅神,菅原道真,水波之女神,大山津見神,息長帯比売命,御食津神,天菩日命,天照大御神,帯中津日子命,和久産巣日神,天児屋命,木花佐久夜比売命,品陀和気命,宇迦之御魂神,大雀命,火之迦具土神,速玉之男命,久久理比売命,大山咋神 |
| 創 建 | 不詳 |
| 社格等 | 村社 |
| 神名帳 | 延喜式神名帳 伊勢国鈴鹿郡 彌牟居神社 |
| 文化財 | ー |
| 例大祭 | 十月十日 |
| 境内社 |
| URL | ー |
| 御朱印 | ー |
| 参拝日:2026-01-31 |
御由緒
創建、由緒などは不詳となっています。
「亀城兎園記(元禄二年に書かれた亀山城下の様子や神社をまとめたもの)」平尾村を記した項目に「神明・天王 七十間ニ三十間 社領附 村ノ東」と書かれており、江戸時代には天王社または牛頭天王社などの名前で呼ばれていたようです。明治政府による神仏判然令によって牛頭天王を祀っていた神社は御祭神を建速須佐之男命に代える所が大半であり、当該天王社もこれに倣い、主祭神を建速須佐之男命としています。
明治十二年に村社に列格。
明治四十一年、近隣に鎮座する神社(村社八社、無格社六十一社)を合祀し、社名を彌牟居神社と改称した。※合祀された神社については色々資料を探しているのですが今の所見つからず不明です。)
古くは延喜式神名帳にその名が見られ、読み方にはミムケとかイヤムコとか諸説あったが、ミは水の事をいいムケは「深」即ちフケでありミブケと称していたのがいつの間にかミムコとなった。この神社は安楽郷を代表する総社として原尾 安楽 池上 坂本の集落とともにあった。最も古いもので貞享4年の古文書にすでに式内社として彌牟居神社の名があった。明治になって村社に列せられた。その際、さらに多くの小さな村社をここに合祀し、改めて式内彌牟居神社と称されるようになった。境内は三千七百余坪の広大な敷地に間口二間半奥行一間半の神明造の本殿に自然に囲まれた緑あふれる境内が広がる佇まいである。
三重県神社庁HP
参拝記
新名神高速道路と東名阪・伊勢自動車道を結ぶ連絡道の亀山JCTからほど近い場所に鎮座しています。境内のすぐ近くは”フラワーロード”と呼ばれる広域農道が走っているそんな場所になります。彌牟居神社の東側には空海が伊勢神宮への参籠の途中に不動明王を刻み寺名を付けたとする”青龍山不動院辺法寺”があります。そしてこの地に住んでいたと伝えられている”藤原(平)景清”が不動明王を信仰していたとも。

県道302号線と県道とフラワーロードを結ぶ接続道の交差点の所に彌牟居神社の境内入口があります。延喜式内が合わせて彫られた社号標と石造灯篭一対、昔ながらの幟立石一対が据えられ、境内に向かって中々急な石段が続いています。県道と右に写っている道路を敷設する為に境内の一部が削られて今の姿になったはずですが、元々はもう少しなだらかな石段が続いていたんでしょうね。

やっぱりこう見てもなかなかな階段だと思います。

石段を登り切った先に、扁額の無い石造明神鳥居が据えられています。

こちらの手水舎は中々見ない様式で、妻入瓦葺”鉄製”四本柱タイプになります。屋根部分は木造なのでハイブリッド工法とも言えるかもしれません。その先には明神鳥居の二の鳥居が見切れています。

二の鳥居の先はこんな感じで境内が広がっています。社殿は更に石段を登った先に鎮座しているようです。一対の杉の木は意図的に植えられたのでしょうかね。根の張り方とかまさに”対”といった感じになっています。

石造狛犬一対になります。姉妹サイトの方でも述べてはいるのですが、自分的にはこの狛犬くらいの造形が好みだったりします。

子狛犬のこの踏ん張ってる感がたまりません。

こちらもなかなか急な石段が続いています。

切妻造瓦葺平入の切妻破風の向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。本殿は神明造となっています。

参道の石段を登りきった所からは中々の眺望が広がっています。
地図で鎮座地を確認
| 神社名 | 彌牟居神社 |
| 鎮座地 | 三重県亀山町両尾町三四一四番地 |
| 最寄駅 | 鉄 道: バ ス:亀山市コミュニティーバス「平尾バス停」徒歩9分 |
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