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若一大神社(三重県亀山市井田川町)

神社情報

神社名若一大神社
鎮座地三重県亀山市井田川町六九九番地三号
御祭神正哉吾勝勝速日天忍穂耳命

配祀神
八衢比古神、大若子神、乙若子神、木花咲耶比売命、建速須佐之男命
創 建昭和二十六年
社格等
神名帳
文化財
例大祭不明
境内社
URL
御朱印
参拝日:2026-01-31

御由緒

明治四十一年に、鈴鹿郡井田川村大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀された。太平洋戦争終戦によりそれまでの国による神社管理(国家神道)が終結し、氏子の熱意が大きかったのか昭和二十三年十一月二十一日に現在の境内地に分祀奉斎されています。川俣神社の境外社として奉斎されてきたが昭和二十六年三月十五日、神社本庁所属神社として独立承認を受け、同年三月三十一日に宗教法人登録が完了した。

井田川村

 明治二十二年に海善寺村、川合村、小田村、西富田村、中富田村、和泉村、和田村・井尻村の大部分が合併して”井田川村”が発足し、若一大神社が鎮座する場所は旧海善寺村に位置しています。そして、明治四十一年、井田川村各地に鎮座していた神社を大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀しています。

 昭和二十九年十月一日、井田川村、亀山町、昼生村、川崎村、野登村が合併し亀山市が発足しますが、同年十二月一日、井田川村を構成していた旧小田村、和泉村、西富田町、中富田町の区域が鈴鹿市に編入されています。

 旧井田川村は現在の亀山市と鈴鹿市に分割されている為、旧村内の神社の合祀、分祀を調べていくと両市に跨って調べていく必要があるので注意が必要かもしれません。

 大正四年に発刊された「鈴鹿郡郷土史」には、大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀された三十三の神社の社名と御祭神が記されています。そこには「若一神社、大字海善寺に在りて、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祭りしものなり。」と記されています。

御祭神

  • 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命

配祀神

  • 八衢比古神
  • 大若子神
  • 乙若子神
  • 木花咲耶比売命
  • 建速須佐之男命

五柱の配祀神は、旧海善寺村内に鎮座していた神社の御祭神になります。八衢比古神は山神社、大若子神・乙若子神は梅田社、建速須佐之男命は津島社の御祭神になります。木花咲耶比売命は不明ですが、多分無格社か石塔の”富士社”の御祭神だったのだろうと考えています。

参拝記

 国道1号線と国道25号線の併用区間を四日市方面から走っていくと、まさに鈴鹿市と亀山市の市境に位置する場所に鎮座しているのが今回紹介する若一大神社になります。公民館と敷地を共有している形になっているので、自家用車で参拝に向かう際は、公民館の敷地に車を停める形になるかと思います。神社への参道?も公民館側からのみとなっているので少しわかりにくいので注意してください。

若一大神社の境内正面側から社殿を望みます。境内へは正面から入ることができず、社殿の裏側(北側)にある公民館側から向かうことになるので、小回りのきくバイクで回っているのにも関わらずどこから神社に向かうんだと少し迷ってしまいました。

 子のり玉のりの狛犬一対になります。全体の造形から平成期の生まれかなとは思うのですが、それよりも阿吽が左右反対に据えられています。これ・・・配置が左右逆なのは当然ながら向きが90度ずれているんじゃないのかなと。狛犬の大半は社殿に対して横向きで顔を参拝者側に向くように据えられていますが、ここの狛犬の首の向きから考えると体は参拝者側を向き、正中側に顔を向けて据えるのが王道のような気がします。

 若一大神社の社殿は拝殿がなく本殿と鞘堂(覆殿)という作りになっています。明治四十一年に合祀された時に社殿や構造物などは全て撤去したと考えられるので、一から造営したんだろうと思います。

 境内の隅には町内に置かれていたであろう庚申塚などが据えられていました。ちなみにこの後ろに写っているのが国道1号線になります。

地図で鎮座地を確認

神社名若一大神社
鎮座地三重県亀山市井田川町六九九番地三号
最寄駅鉄 道:JR東海 関西本線「井田川駅」徒歩5分
バ ス:

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