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忍山神社(三重県亀山市野村)延喜式内社

2026年1月30日

神社情報

神社名忍山神社
鎮座地三重県亀山市野村四丁目四番地六十五号
御祭神主祭神
・猿田彦命
・天照大御神
配祀神
天児屋根命,天布刃玉命,倭姫命,天照大御神荒御魂,大比古命,大若子命,乙若子命,天宇受売命,大山津見命,豊宇賀乃売命,木花佐久夜姫命、饒速日命,大水口宿禰穂積命,忍山宿禰,建速須佐之男命,大名牟遅命,伊邪那岐大神,伊邪那美大神,市杵島姫命,火産霊神,菅原道真公,保食神,伊香我子雄命
創 建伝:崇神天皇七年
社格等村社
神名帳延喜式神名帳 伊勢国鈴鹿郡 忍山神社
延喜式神名帳 伊勢国鈴鹿郡 布気神社(論社)
文化財
例大祭十月十四日
境内社
URLhttps://oshiyamazinja2.jimdofree.com/
御朱印
参拝日:2025-01-13

御由緒

 社伝によると「垂仁天皇七年に物部氏の祖である”伊香我色雄命”が勅命により猿田彦命を奉斎したのが創建と伝え、天照大御神を奉斎する場所を求めて各地を巡っていた”倭姫命”がこの地に半年ほど滞在し天照大御神を祀った「奈其波志忍山宮」(元伊勢)の跡地であるとし、後にその跡に天照大御神を祀る神社が創建された。」としています。

 奈良時代になると聖武天皇の御代に真宮寺である慈恩寺が行基によって創建されます。

 時代は下り、室町時代末期の戦国時代に兵火によって焼失し、布気神社の境内に仮宮を建て遷座し、いつしか社名も布気神社から押山神社へと変わっていったという。

 明治初年、村社に列格。

 明治四十一年、境内社ならびに周辺の神社を合祀

忍山神明社忍山神社境内社天照大御神
天児屋命
布刀玉命
荒祭社 忍山神社境内社天照大御神荒魂
大倉社忍山神社境内社大比古命
大若子命
乙若子命
建日方命
伊爾方命
於須女社忍山神社境内社天宇受女命
能牟良神社鈴鹿郡野村字忍山建速須佐之男命
大名牟遅神
穂積社鈴鹿郡野村字忍山神吾鹿葦津比売命
豊宇賀売命
大山津見神
登利乃井社鈴鹿郡野村字野村大山津見神
山神社鈴鹿郡野村字上野垣内大山津見神
山神社鈴鹿郡野村字下野垣内菅原道真
天満社鈴鹿郡野村字守口伊邪那美大神
冨士社鈴鹿郡野村字清谷小花佐久夜姫神
伊都伎嶌社鈴鹿郡野村字清谷市木島姫命
愛宕神社鈴鹿郡亀山町大字野村字岩谷火産霊神
和賀神社鈴鹿郡野村字和賀建速須佐之男命
大名牟遅命
 ・石上社
 ・稲荷社
 ・山神社 
和賀神社境内社大山津見神
保食神
大山津見神

猿田彦命と天照大御神の関係

延喜式内社を調べた資料などを読んでいると、「忍山神社」と比較的近い場所に鎮座している式内社:布気神社の論社である「布気皇舘太神社」、さらには倭姫命が天照大御神を半年ほど奉斎したという「奈其波志忍山宮」が色々と絡み合って複雑な関係になっている感じです。

  • 現在の忍山神社の境内地には元々「布気神社」が鎮座しており元々はこの地に居した人々が猿田彦の一族であり、祖神である猿田彦命を奉斎したのが始まり、白鬚大明神と呼ばれるようになったという。
  • 現在の忍山神社の北東に位置する場所に浄土宗の「亀鶴山慈恩寺」があります。この寺院は聖武天皇の勅願によって神亀五年(728年)、忍山神社の神宮寺として行基によって創建された。この場所は、倭姫命の奈其波志忍山宮跡であろうとされ、天照大御神を奉斎した忍山神社もこの地に鎮座していたと言われている。
  • 忍山神社は文明年中の兵火、織田信長の伊勢侵攻時の兵火で立て続けに消失した為、布気神社の境内に仮宮を営み奉斎したという。
  • 本来は本宮:猿田彦命、別宮:天照大御神を奉斎する神社名を「布気神社」にするべきところをいつしか「忍山神社」となり、布気神社の社名は隠れてしまった。
  • 現在の布気皇舘太神社の境内地には元々「皇館社」が鎮座しており、ここは「雄略天皇の頃、皇受大神宮が伊勢国に遷座した際、鈴鹿郡で一宿した行宮の旧跡」だという。いつしかこの皇館社に布気神社が遷座したとされ布気皇舘大神社と称するようになった。

上記を考慮すると、

  • 延喜式内社 忍山神社:天照大御神
  • 延喜式内社 布気神社:猿田彦命

だったはずが、

  • 忍山神社:猿田彦命(本宮)、天照大御神(別宮)
  • 布気神社:皇館社に合祀

布気皇舘太神社の御祭神に猿田彦命の名が無い事から、布気神社はいつしか忍山神社と入れ替わって天照大御神を奉斎する神社となってた可能性が高いかと思います。

奈其波志忍山宮

「倭姫命世紀」の中に

次に川俣の県造である祖大比古命が参上した。「汝の国の名は何ぞ。」と問うと「味酒鈴鹿の国の奈具波志忍山です。」と答えた。そして神宮を造営し行幸なさった。また、神田と神戸を寄進した。

大比古命が忍山に神宮を創建し倭姫命とこの地で天照大御神を奉斎し滞在し、更に神田と神戸を寄進したと書かれています。「大比古命」とは第八代孝元天皇の第一皇子であり、第十代崇神天皇の御代に大和朝廷の勢力拡大のために各地に送られた「四道将軍」に名を連ね、北陸方面に遣わされた後、川俣(伊賀・亀山周辺か?)の県造となったとされる人物になり、当サイトで紹介している加太の川俣神社の御祭神でもあります。

弟橘媛の出身地?

日本神話における最大のヒーローとされる「日本武尊」の妃で東征の際に暴風雨に遭い、その暴風雨を起こす神の怒りを鎮めるために人柱として海に飛び込み暴風雨を鎮めたという「弟橘媛」は忍山神社神官「忍山宿禰」の娘であると伝えられています。
この地に猿田彦命を祀ったという「伊香我色雄命」の子である大水口宿禰の子孫が忍山神社の神官を明治時代まで勤めていたという。

伊香我色雄命 ─ 大水口宿禰 ─ 建忍山宿禰 ┬ 大木別宿禰
                       ├ 弟橘媛(日本武尊妃)
                       └ 弟財郎女(成務天皇妃)

御祭神

主祭神

  • 猿田彦命
  • 天照大御神

配祀神

天児屋根命,天布刃玉命,倭姫命,天照大御神荒御魂,大比古命,大若子命,乙若子命,天宇受売命,大山津見命,豊宇賀乃売命,木花佐久夜姫命、饒速日命,大水口宿禰穂積命,忍山宿禰,建速須佐之男命,大名牟遅命,伊邪那岐大神,伊邪那美大神,市杵島姫命,火産霊神,菅原道真公,保食神,伊香我子雄命

参拝記

2014年に開通した亀山環状線の一部を形成する「忍山大橋」から忍山神社の鎮守の杜を望んだストリートビューになります。由緒の所でこの鎮守の杜には元々「布気神社」が鎮座していたと紹介しています。長い年月の中で忘れ去られていく神社も少なくない中、兵火で消失してもなお忍山神社の社名を残し仮宮を営みつつ、いつしか庇を貸して母屋を取られるではないですが布気神社から忍山神社に社名が変えてしまうというあたりから”強さ”を感じざるを得ません。

 社号標と神明鳥居が据えられた境内入口になります。かなり木々が繁ったまさに社号の杜がその奥に広がっています。

延喜式内社を示す「式内」が合わせて彫られた社号標になります。

 鳥居を潜り参道を進むと二の鳥居の先に社殿が見えてきます。

鳥居の手前には切妻銅板葺木造四本柱タイプの井戸と水盤が並んだ様式の手水舎が据えられています。

 扁額が掲げらえた明神鳥居の二の鳥居になります。

 大正期の生まれと思われる狛犬一対になります。

 入母屋造瓦葺平入の切妻破風の向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。以前紹介した「亀山神社」と同様の様式の拝殿になるかと思います。

 村内から集められたと思われる山神塚、庚申塚、弁才天塚等々。

地図で鎮座地を確認

神社名忍山神社
鎮座地三重県亀山市野村四丁目四番地六十五号
最寄駅鉄 道:JR西日本/東海 関西本線「亀山駅」徒歩25分
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