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亀山神社(三重県亀山市西丸町)

2026年1月23日

神社情報

神社名亀山神社
鎮座地三重県亀山市西丸町五七〇番地
御祭神主祭神
・源義家
・源義時
・石川義純
・石川家成

配祀神
大山津見神,保食神,宇迦之御魂神,猿田比古神,天照皇大神,大名牟遅神,品陀和氣命,伊邪那美大神,市杵島姫命,火之迦具土神,建速須佐之男命,速玉之男神,句々廼遅命,菅原道真,速山津見命,大鷦鷯命,安閑天皇,瀬織津比女命,天児屋根命,黄泉津事解之男命,大山咋神,柴垣神,天神地祇八百万神
創 建延享元年(1744年)
社格等郷社
神名帳延喜式神名帳 伊勢国鈴鹿郡 真木尾神社
延喜式神名帳 伊勢国鈴鹿郡 志婆加支神社
文化財亀山市指定文化財:宝篋印塔基礎部
亀山市指定文化財:大久保神官家棟門
亀山市指定文化財:明治天皇行在所
例大祭十月十五日
境内社天満宮
稲荷社
URL
御朱印
参拝日:2026-01-12

御由緒

延享元年(1744年)、備中松山藩より「石川総慶」が転封されてきた際、城内に祠を創建したのが始まりとされ、以降亀山城内にて「真澂神社」として奉斎されてきたという。御祭神は、石川氏の祖である「源義家」とその六男「義時」以来石川成徳に到る朝臣三十八神霊を祀るとする。

明治維新を迎え、亀山城は廃城となり真澂神社は城北の若山に遷座するが、明治九年に本丸跡に遷座し、村社に列格した。明治十四年には郷社に列格。

明治四十年から四十一年にかけて近隣の郷社一社、村社七社、無格社二十四社を合祀し、境内を現在の場所に遷座、社名を亀山神社に改称。

社名社格御祭神備考
北山神社無格社不詳
稲荷神社村社宇賀之御魂神境内社:飯成社、山神社
三池神社村社大名牟遅神
八幡神社無格社大鷦鷯命?
神明社無格社天照大御神?
山神社無格社大山祇神?
白山神社村社菊理姫命
三祇神社無格社不詳
稲荷社無格社不詳
亀山皇太神社郷社伊邪那美命境内社:稲荷社、幸神社、天神地祇社
真木尾神社村社句々廼遅命延喜式内社 眞木尾神社 論社
春日八幡神社村社天児屋根命、応神天皇境内社:若宮神社
横倉神社村社猿田彦命境内社:八幡神社
天満神社村社菅原道真境内社:神明社、熊野社、八幡社、大名牟遅社、若宮八幡社
延喜式内社 眞木尾神社 論社
志婆加支神社無格社武甕槌命延喜式内社:志婆加支神社 論社

御祭神

主祭神

  • 源義家
  • 源義時
  • 石川義純
  • 石川家成

三河石川氏

 松平家の筆頭家老格として家康の懐刀とされる”石川数正”や”石川家成”を輩出した家柄であり、安城譜代七家の一つとされる。
 永享十一年(1439年)、石川政康は下野国にて本願寺蓮如と出会い門徒となり、蓮如の三河下向に従い三河国碧海郡志貴荘村に移住し、小川城を築いたという。その後この地で勢力を強め、本願寺派の大檀那として三河地方における本願寺派の宗派勢力の拡大に寄与した。三河一向一揆における一向宗の総本山は本宗寺であり、この寺院を創建したのも石川政康であり元々は石川家一族の寺として建てたが、応仁二年に三河国に下向した蓮如に寄進し、その後は本願寺法主の一族が住持する一家衆寺院となった。その後、碧海郡に勢力を伸ばしてきた安祥城主”松平忠親”に臣従し、安祥松平家の家老格として仕えていく事になります。

石川政康が築いた「小川城」の紹介記事
当方姉妹サイトにて紹介しております

徳川家康の代になり石川数正は謎の出奔で徳川家を離れてしまいますが、数正の叔父である石川家成の系図はその後も徳川家において重臣であり江戸時代になると譜代大名として明治維新まで続いていきます。御祭神にもその名が載っている事からもわかると思いますが亀山藩に移封してきた「石川総慶」は石川家成の子孫になります。

配祀神
大山津見神,保食神,宇迦之御魂神,猿田比古神,天照皇大神,大名牟遅神,品陀和氣命,伊邪那美大神,市杵島姫命,火之迦具土神,建速須佐之男命,速玉之男神,句々廼遅命,菅原道真,速山津見命,大鷦鷯命,安閑天皇,瀬織津比女命,天児屋根命,黄泉津事解之男命,大山咋神,柴垣神,天神地祇八百万神

 延享元年(一七四四)、備中国松山(現在の岡山県高梁市)から石川総慶が亀山城に入城した際、城内に小祠を設けて神祭りをした事に始まり、それ以来、亀山城内の旧館跡に鎮座して真澂神社として崇敬してきた。
亀山城主石川氏の祖である陸奥守源義家及び六男義時以下数世の神霊を祀っていた。
明治四年に至り城北の若山の地に遷座、同九年に再び城内の本丸跡に遷座し、村社の称号を許されたが、同十四年に郷社の列に加わった。
明治四十年から四十一年にかけて西町鎮座の郷社亀山皇太神社、阿野田村鎮座の式内社真木尾神社などを合祀し、同四十一年には社殿を現在の地である西丸に新築して奉遷し、社号を亀山神社と改めて現在に至っている。

三重県神社庁

参拝記

 現在の亀山城と言えば三重県で唯一原位置に当時の建物が建つ「亀山城多聞櫓」であり、その多聞櫓が建つ天守台跡のすぐ隣に鎮座しているのが今回紹介する亀山神社になります。まさに旧亀山城の本丸部分という城の中心部分に鎮座している事になります。

 亀山城は平清盛の地をひく「関実忠」によって築城されたのが始まりとされ、関盛政の時代になると亀山、神戸、国府、鹿伏兎、峯に子供たちを配し勢力を拡大していき、亀山城は宗家の城とされ重きを置かれ拡張が続けられていった様です。

※関実忠については”関神社”の記事の中にも少し触れているので参照して頂ければと思います。

 現在の亀山城を象徴する”多聞櫓”が建つ天守台がある本丸跡の一角に亀山神社は鎮座しています。上記境内入口前には参拝者用の駐車場が用意されているので車での参拝も容易かと思います。

 境内には三対の狛犬が鎮座しています。自分の故郷の岡崎市でもたまに見かけたんですが御影石とは異なって表面がはがれる感じの風化が進んでしまっているのが残念なんですが、3番目の狛犬は岡崎型でも浪花型でもない京都系らしいのですが、自分にはその違いがよくわかりません・・・。

 明神鳥居の二の鳥居になります。この鳥居から社殿に向けて石畳の参道が設けれる様になります。

 切妻銅板葺き木造四本柱タイプの手水舎になります。水盤の横に井戸が設けられています。この井戸は未だ現役なのだろうか・・。

 入母屋造瓦葺平入の入母屋破風の向拝が設けらえた拝殿を有する社殿になります。

 境内社の天満宮になります。明治四十一年に合祀された天満神社と関係はあるのでしょうか・・・。

 連続鳥居が目を惹く境内社の稲荷社になります。

 亀山城の石垣の解体工事の際に石垣の中から発見された南北朝時代の宝篋印塔の台座になるそうです。石垣が多用されるようになってから石の切り出しだけでは足りない場合は近隣から地蔵様や墓石まで流用されているようなので、全国になる城址の石垣をすべて崩したらとんでもない貴重な石造物が出てくる!?のかもしれませんね。

 明治天皇の行在所以降となる建物が移築され保存されています。明治天皇は日本全国を回っていた様でこうして立ち寄った場所には石碑が建てられている事が多いですね。こうした明治天皇の足跡となる石碑を巡って紹介してくれているサイトもあったりして”巡る”という趣味は色々奥深いなと実感させられます。

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神社名
鎮座地
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