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北畠神社(三重県多気郡大台町)

2026年1月2日

神社情報

神社名北畠神社
鎮座地三重県多気郡大台町上三瀬九九二番地
御祭神北畠具教
応仁天皇
金山彦命
素戔嗚尊
保食神
稲倉魂命
大山祇命
神名不詳三座
創 建慶長元年(1596年)
社格等不明
神名帳
文化財
例大祭三月第四日曜日
境内社
URLhttp://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%e5%8c%97%e7%95%a0%e7%a5%9e%e7%a4%be/
御朱印
参拝日:2024-8-9

御由緒

天正四年(1576年)十一月二十五日、元伊勢国司であった「北畠具教」は三瀬御所において織田信長によって謀殺されてしまいます。この地域の人達は北畠具教の死後二十年が経過した慶長元年(1596年)、三瀬御所跡近くに「国司堂」を建立し具教を祀ったと伝えられています。
 明治七年、国司堂を村内の八幡神社境内に奉遷し、国司堂から国司神社と改称。明治二十七年に北畠神社と改称し八幡神社境外に遷座し、明治三十九年、村内六社の神社を合祀した。

三瀬の変

天正四年(1576年)十一月二十五日、織田信長・信雄の命を受けた元々は北畠家家臣だった長野左京進、軽野左京進、そして北畠家一門である柘植保重らが北畠具教が住む三瀬御所を取り囲み、さらに織田側に内通していた佐々木四郎左衛門が開門し御所内にいた北畠具教、四男・徳松丸、五男・亀松丸など十名以上が殺害されています。具教の胴体は三瀬館近くに埋葬(北畠具教堂塚)され、首は松阪市飯高町内の山中に埋葬(北畠具教首塚)されています。

ほぼ同時刻には織田信雄は田丸城に北畠一門衆、家臣を集め北畠一門を根絶やしにすべく一斉に殺害されています。

この一連の動きを「三瀬の変」と呼び、伊勢国司を務めていた北畠宗家は伊勢から駆逐され織田信長による伊勢支配が完成する事になっていきます。

御祭神

  • 北畠具教

配祀神

  • 応仁天皇
  • 金山彦命
  • 素戔嗚尊
  • 保食神
  • 稲倉魂命
  • 大山祇命
  • 神名不詳三座

当神社は天正元年11月25日伊勢国司滅亡と共に同年同月同日三瀬御所に在りし元国司北畠具教卿をも殺害せられたるにつき慶長元年11月25日字大殿地と申す處へ国司堂を建て百姓一同拝礼して祭る。明治7年8月25日八幡神社境内へ奉遷して国司神社と尊称し古例に依り毎年2回の祭典を挙げ明治28年5月27日北畠神社と改称し、且つ国司家累代の霊及び一族殉難の士をも合祀。明治30年12月19日遷宮執行せり

参拝記

 今回紹介する北畠神社は非常にわかりにくい場所に鎮座しています。車で向かう際は三瀬御所散策用に用意されている駐車場を使用して歩いて向かった方が確実かと思います。自分はバイクで移動しているので何とかなりましたが、車だったらたどり着けなかったかも?

 ストリートビューの撮影場所から更に先に進むと北畠神社の境内が見えてきます。同じ社名ですが別格官幣社になっていた美杉の北畠神社とうって変わって非常にひっそりと鎮座している神社という印象です。

境内周囲に瑞垣や鳥居などは設けられていない、まさに山中の神社そのものといった感じです。

 銅板葺木造二本柱タイプの手水舎になります。非常にコンパクトながら二本柱タイプでよく感じる不安定感も感じさせない絶妙な手水舎かと思います。

 拝殿前に神明鳥居が設けられています。こういった山中の神社の雰囲気が個人的にはたまらなく好きだったりします。ここ北畠神社は振り返ると切り開かれた盆地?が目の前に迫ってきて別段山中に鎮座しておらず非常にアクセスも良好ながらこの雰囲気を感じられるのは自分の中でめっちゃ高得点の神社です。

 木造切妻銅板葺平入の割拝殿を有する社殿になります。拝殿というより遥拝所といった雰囲気。

本殿と囲む瑞垣は伊勢地方でよく見かける神社様式となっています。伊勢地方でよく見かけるというか(伊勢)神宮の神社様式を模しているんだと思います。

地図で鎮座地を確認

神社名北畠神社
鎮座地三重県多気郡大台町上三瀬九九二番地
最寄駅鉄 道:JR東海 紀勢本線「三瀬谷駅」徒歩25分
バ ス:

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