
神社情報
| 神社名 | 春日神社 |
| 鎮座地 | 三重県伊賀市川東六一三番地 |
| 御祭神 | 武甕槌命 経津主命 天児屋根命 姫大神 天押雲根命 |
| 創 建 | 神護景雲三年(769年) |
| 社格等 | 郷社 |
| 神名帳 | ー |
| 文化財 | 拝殿:三重県指定有形文化財(建造物) 大絵馬附相撲板番付:三重県指定有形民俗文化財 古文書十五点:伊賀市指定有形文化財(古文書) 獅子神楽:伊賀市指定無形民俗文化財 社叢:伊賀市指定天然記念物 |
| 例大祭 | 四月十六日 |
| 境内社 | 壬生神社(御祭神:市杵島比売神、大山祇命、武内宿禰、火能迦具土命、彌都波能売命、應神天皇、建速須佐之男命、宇加能御魂命、大物主命、五男三女命) |
| URL | ー |
| 御朱印 | 〇 |
| 参拝日:2024-2-1 |
御由緒
奈良時代の天平文化華やかなりし時である神護景雲三年(769年)に奈良市の三笠山に鎮座する「春日大社」より勧請創建された神社になります。この地に春日神社を勧請する切っ掛けとなったのが、「中臣氏・藤原氏の氏神である「武甕槌命」を鹿島神宮よりを平城京にお迎えする際にその旅路の途中に宿泊されたのが壬生野の地であった事」によるそうです。
この神護景雲三年に勧請されたのは武甕槌命、経津主命、天児屋根命、姫大神の四柱になります。この四柱は春日神とも呼ばれ、中臣氏・藤原氏の氏神と祖神であると伝えられています。
この約180年後となる天暦四年に天児屋根命の御子神である「天押雲根命」が勧請されています。「天押雲根命」は「若宮」とも称されており、春日大社では本殿と同格とされる「別殿」として若宮神社の御祭神として祀られています。
織田信長による伊賀侵攻である「天正伊賀の乱」において伊賀の地の神社仏閣などはかなりの兵火によって灰燼に帰してしまっているのですが、ここ春日神社は信長軍の武将「滝川一益」によって本殿、拝殿は被害を逃れるできたと伝えられており、そして江戸時代になるとこの地を治める事になった藤堂家より例祭の際は馬を貸し与えられ幣帛料を賜ったといいます。
| 神護景雲三年(769年) | 社伝:創建 |
| 天正九年(1581年) | 天正伊賀の乱において「宝庫二、長屋座、斎宮座、富永座、御供座、美濃座、永座、甘酒座等七ヵ所の籠所」が消失 |
| 明治十七年 | 郷社に列格 |
| 明治四十一年 | 村社:登牟神社を始めとする近隣二十八社を合祀 |
御祭神
- 武甕槌命:第一殿
- 経津主命:第二殿
- 天児屋根命:第三殿
- 姫大神:第四殿
- 天押雲根命:第五殿
第四殿に祀られる「姫大神」は特定の神の名前という訳ではなく、その神社の関係が深い女神であるとされ、春日四神では天児屋根命の妻となる「天美津玉照比売命」であるとする所が多いのですが、ここ春日神社では姫大神を「天照大御神」であるとしています。ちなみに、八幡社でも「姫大神」が祀られる事があるのですが、八幡社では「宗像三女神」の事であると言われています。
當神社は人皇四十八代称徳天皇の御代神護景雲三年、奈良春日社より勧請せり。
武甕槌命は神護景雲元年六月二十一日常州鹿島を出達、和州三笠山に宮居を定められる御途中、伊賀地に入られ、壬生野の庄(現在の春日神社社地)に御駐伯されたるを以て、その三年を経て勧請す。
御駐泊の御出立の時に残されたる神歌に
「奈良河内吉田の杜に移るとも壬生野の里の在明けの月」
此勧請御鎮座には、春日大社宮司時風来たりて祭主となり崇厳なる祭典を奉、氏子は長屋座、斎宮座、永座、富永座、御供座、美濃座、台所座の七座に分って奉仕し、9月17日に斎行せり。明治41年、西之澤村社登牟神社を合祀、社殿は現在の境内社壬生神社として鎮座す。
拝殿は単層入母屋造割拝殿にして鎌倉時代の遺構なり。境内「春日神社由緒紀」
参拝記
名阪国道「壬生野IC」から県道679号線を大山田方面に進んでいき、県道2号線との川東交差点を超えて道なりに進むと大きく右に曲がり「宮川」に架かる橋を渡るのですが、その橋の手前を真っ直ぐ県道からそれる感じで進んでいくと今回参拝する「春日神社」の境内入口が見えてきます。車の場合だと宮川を渡って少し車を走らせると日本遺産のサイン看板が見えてくるのでそれを目印に進むといいかと思います。

車両が鳥居の下を潜られないように整備されている境内入口になります。旧社格が彫られた社号標、石灯籠一対、掲示板、神明鳥居が据えられています。ここから南側に参拝者用の駐車場が整備されているのが非常に助かります。

駐車場はかなり広く用意されているので普段は困ることは無いかと。そして駐車場から境内を望むと隣地に寺院がある事に気が付きます。この立地から見ても江戸時代まで春日神社の別当だった寺院ではないかなと想像されます。
現在も朱印帳が用意され活動が行われている伊賀四国八十八ヶ所の第一番札所になっている春日寺は遍路されるかたは必ず立ち寄り参拝されているはずなので、春日神社と春日寺が並び立つ風景を眺めた事のある方は多いのでは。

後から紹介しますが春日神社の社殿から真っ直ぐ南に進んだ場所に二の鳥居が据えられていてその先に春日寺の境内入口があります。両社寺の位置関係からみても非常に係わりの深い事がみてとれます。

南無大師遍照金剛の幟と寺院の境内社ではない神社の石灯籠や鳥居が同じアングルに収まるっていうのは神社仏閣を巡っている自分にとっては別に違和感とか感じなくなってしまっていますがよくよく考えてみると実は珍しいアングルなんじゃないのか?とふと思ってしまいました。

入母屋造銅板葺木造四本柱タイプの手水舎になります。水盤をみてもらっても分かりますが中々な規模を誇る手水舎かと。

春日神社の拝殿は唐破風が設けられた入母屋造平入銅板葺きの造りとなっていて、さらに半割拝殿と言えそうな独特な構造が特徴となっています。

神社の拝殿に土間敷きって珍しいんですよ。さらにこの造りだと拝殿を閉める扉が無い感じなので二十四時間開放されているっぽいのですが、これも神社としてはかなり珍しいのではないかと。もしかしたら嵌め扉みたいなものがあるのかもしれませんが・・・。

拝殿裏には石垣によって高台となっている基壇が組まれており、春日造の本殿が五基ならんで鎮座しています。第一殿から第五殿までどういった並びで鎮座しているのかはここからではわかりませんが、神道での上位下位の並び方だとしたら⑤③①②④の順番かと思うのですがどうですかね。

このアングルだと本殿が鎮座する基壇上に登れそうですが、さすがにそこまで自重しました。

なかなか凛々しいお顔の狛犬一対が本殿が鎮座する基壇を守護していました。

少し戻って、手水舎脇に鞘堂が設けられた境内社の壬生神社が鎮座しています。社名の由来は分かりませんが、壬生地域に鎮座していた神々を祀っているという事から付けられたんだと勝手に思っています。

春日神社といえば「鹿」という事で鹿のブロンズ像がありました。

春日神社の境内の一角に日本遺産構成地のサインボードが設置されています。伊賀や甲賀を巡っているとよく出会うこのサインボード。最初はただたんに手の込んだ観光案内看板だと思っていたのですが、色々調べていく内に日本遺産に関連する案内看板だと知ってもっと日本遺産登録を前面に出したほうがいいんじゃないかなあって思うのですが・・・。
地図で鎮座地を確認
| 神社名 | 春日神社 |
| 鎮座地 | 三重県伊賀市川東六一三番地 |
| 最寄駅 | 鉄道:JR西日本 関西本線「新堂駅」徒歩42分 バス:伊賀市代行バス柘植線「川東バス停」徒歩5分 |
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