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乎豆神社(浜松市浜名区細江町)延喜式内社

2025年2月9日

神社情報

神社名乎豆神社
鎮座地浜松市浜名区細江町中川四六四一番地一号(GoogleMap
御祭神天照大御神
豊受大神
天手力男命
𣑥幡千千姫命
瓊瓊杵尊
天児屋根命
天太玉命
創 建不詳
社格等郷社
神名帳延喜式神名帳 遠江国引佐郡 乎豆神社
文化財
例大祭十月十六日(現在は、この日に一番近い日曜日か?)
境内社津島神社
若宮八幡神社
諏訪神社
熊野神社
稲荷神社
春日神社
URLhttps://ozujinja.or.jp/
御朱印
参拝日:2021-12-4

御由緒

 乎豆神社の社殿は文化九年(1812年)六月五日の大洪水によって一の鳥居を残してすべて流出してしまったそうです。その為、現在ではそれ以前の歴史などはすべて不詳となっていますが、平安時代には現浜名湖周辺は伊勢神宮の御厨地だった様で、須倍神社と同様にこの地に神宮の御祭神を勧請した神明社として創建されたとしています。そして延長五年(927年)に完成した延喜式の神名帳に「乎豆神社」の名が載っている事から少なくとも平安時代には創建されている神社であると考えられています。

 社領八町五反歩を有する神社であるとも伝えられ、江戸幕府より社領十五石の朱印地を与えられています。
 明治六年に村社に列格し周辺の十一社を合祀。明治四十年に神饌幣帛料供進指定社となり、大正十一年に郷社に郷社に列格しています。

  • 創建:不詳
  • 延喜五年(928年):延喜式神名帳に社名記載
  • 江戸時代:十五石の朱印地を拝領
  • 文化九年(1812年):大洪水により社殿大半を流出
  • 明治六年:村社に列格、十一社を合祀
  • 明治四十年:神饌幣帛料供進指定社となる
  • 大正十一年:郷社に列格

三代格式」の中で唯一完全な状態で現存している「延喜式」の巻九・巻十は全国に鎮座する当時繁栄していたとされる神社を記載したという「神名帳」になっています。通称「延喜式神名帳」に記載されている神社を「式内社」と呼ぶのですが、今回紹介する「乎豆神社」は延喜式内社となっています。

延喜式内社とは?

平安時代中期頃まで日本は「律令制度」によって国家運営が行われていました。

そもそも、この律令制度とはなんぞや?

飛鳥時代から平安時代中期頃まで日本の統治体制になります。「律(現在の刑法)」と「令(現在の民法)」によって国家運営を行う制度なので「律令制度」と呼ぶわけです。こういった規則というのは時代によって変わっていくのが一般的ですが、どうやら「律」と「令」は頻繁に改正するものではないらしく、その辺から考えると現在でいう所の「日本国憲法」に相当するのかなと思います。このため、時代に即した統治をおこなう為に作らるのが、「(現在の法令)」「(施行規則)」によって構成された「格式」になる訳です。こちらは何度か改正されている様なので、現在の「法律」に相当する物だと思います。

天平宝字元年(757年)に施行された「養老律令」の改訂版施工規則として作られたのが康保四年(967年)に施行された「延喜式」になります。延喜式は全五十巻からなっていて、一巻~十巻が神祇官について、十一巻~四十巻が太政官八省関係、四十一巻~四十九巻が宮司関係、五十巻が雑則となっています。このうち、九巻と十巻が冒頭にも述べている全国の神社が記載されている「神名帳」になります。

この事から、式内社とは、「日本の政府に認められた神社」であるという事ができるかと思います。

ちなみに、太政官八省の記述よりも朝廷の祭式を司る神祇官についての記述が先に来ている所を見ると、神祇官は太政官より上位であったことが分かります。

引佐郡式内社について

 延喜式神名帳に記載されている「引佐郡」の神社は、渭伊神社、乎豆神社、三宅神社、蜂前神社、須倍神社、大セチ神社の六社になります。この六社に対し式内伝承社は、

  • 渭伊神社 浜松市浜名区引佐町井伊谷一一五〇番地
  • 乎豆神社 浜松市浜名区細江町中川四六四一番地一号
  • 二宮神社 浜松市浜名区引佐町井伊谷三〇六番地
  • 蜂前神社 浜松市浜名区細江町中川六九一五番地
  • 須倍神社 浜松市浜名区都田町六二八四番地
  • 三嶽神社 浜松市浜名区引佐町三嶽五九七番地
  • 細江神社 浜松市浜名区細江町気賀九九六番地
  • 四所神社 浜松市浜名区滝沢町一五八番地一号

の八社となっています。6番三嶽神社、7番細江神社、8番四所神社は大セチ神社の論社ですが、それ以外の式内社については論社がなく比定社が多い地域とも言えます。

御祭神

  • 内宮:天照大御神
  • 外宮:豊受大神
  • 天手力男命
  • 𣑥幡千千姫命
  • 瓊瓊杵尊
  • 天児屋根命
  • 天太玉命

合祀社
八幡神社、諏訪神社、中ノ宮、津島神社、白羽神社、水神社、日吉神社、秋葉神社、山神社、天白神社、八幡神社

参拝記

蜂前神社」を後にして再び国道362号線に戻って西を目指します。天竜浜名湖鉄道「岡地駅」近くにある静岡県立浜松みをつくし特別支援学校の敷地が見えてきたら手前の路地を右折すると今回参拝する「乎豆神社」の境内が見えてきます。公式HPを今回初めて見て知ったのですが、元々みをつくし特別支援学校の校舎が建っている場所・・・乎豆神社の南側に当たる部分は元々乎豆神社の境内地だったんですね。

境内入口

 靖国鳥居が据えられた境内入口になります。

 元々の境内入口は国道362号線に面して設けられていた様ですが、南側に県立の学校が造られた事で参道の向きを変えて東入りの境内に改められたようです。

手水舎

 木造銅板葺の支柱が設けられた二本柱タイプの手水舎になります。支柱がしっかりと設けられているからか二本柱タイプの手水舎としてはかなり大型の屋根になっているのが特徴です。

社殿

 入母屋造瓦葺平入の拝殿を有する社殿になります。

 拝殿の後方には内宮である大きめの本殿と外宮である小さめの本殿が並んで鎮座しています。

境内社

 基壇が設けられその上に六社の境内社の社が鎮座しています。境内社なのですが、静岡県神社志と式内社調査報告書にそれぞれ載っている社名と実際に鎮座している六社の社名がそれぞれ異なっていたりします。

鎮守の杜

 乎豆神社を紹介している他のサイトを見ていると非常に木々が生い茂ったまさに鎮守の杜に囲まれた神社というイメージだったのですが、自分が参拝した時は非常に開放的な境内となっていて、社殿周辺は切株があちこちにある状態でした。近々造営工事でもするのかな?と思っていたのですが、どうやら川鵜の糞害によって木々が立ち枯れしてしまい倒木防止の為に切り倒した結果だったようです。都市開発が進み、木々が繁っている場所が減ってしまい、鳥たちが一ヶ所に集中して、鳴き声・糞害で生活環境が悪化するという事例が全国的に問題になっていたりしますが、川鵜という結構大きめな鳥が集中していまうと森が消失してしまうという脅威になるんだなと実感してしまいます。

地図で鎮座地を確認

神社名乎豆神社
鎮座地浜松市浜名区細江町中川四六四一番地一号(GoogleMap
最寄駅鉄道:天竜浜名湖鉄道「岡地駅」徒歩4分

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