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宇波西神社(福井県三方上中郡若狭町) 延喜式内社

2021年8月21日

福井県三方上中郡若狭町に鎮座する延喜式内社でる「宇波西神社」の紹介になります。御祭神は初代神武天皇の父である「鵜草葺不合尊」になります。日向国に非常に縁のある御祭神であり、三方五湖のひとつに「日向湖」がある事から、此の地と日向国を結ぶ何かしらの”縁”があったと感じさせる神社です。

神社情報

神社名宇波西神社
鎮座地福井県三方上中郡若狭町気山129-5
御祭神鵜草葺不合尊
創 建社伝:大宝元年(701年)
社格等縣社
神名帳延喜式神名帳:三方郡 宇波西神社 名神大
若狭国神名帳:従二位勲三等 淤瀬大明神
文化財宇波西神社祭礼:県無形民俗文化財、国選択無形民俗文化財[
例大祭四月八日
境内社八幡神社(御祭神:八幡大神、天照皇大神、豊受大神、伊邪那岐命、伊邪那美命、猿田彦命、豊玉姫命、大地主命、秋葉大神、愛宕大神、稲荷大神、熊野大神、大山祇大神、大山咋神、住吉大神、宗像大神、恵比寿大神、天満大神)
小美多麻社(御祭神:英霊)
URL
御朱印
参拝日:令和三年(2021年)七月二十一日

御由緒

「三方郡誌」には、三方五湖の一つ「日向浦」に垂迹し、その後気山に遷座した。又は、初め金向山麓の上野谷に鎮座し所を大同元年(806年)に現在地に遷座したと伝えられると記されています。その中の補足の中に、大寶元年(701年)三月八日の創建と敦賀の気比神宮の神官による記録が紹介されています。

 御祭神は鵜草葺不合尊であり、初代神武天皇の父として知られている神です。瓊瓊杵尊 ー 火折尊 ー 鸕鶿草葺不合尊と続く三代の神々は「日向三代」とも呼ばれ、皇室の祖が日向に居た時代となります。この鸕鶿草葺不合尊を最初祀った場所が「日向浦」周辺と云うのはなんらか日向国との関係がこの地にあった可能性を示しているのかな?

 本殿はは南北朝時代の建武年中、戦国時代の元亀年中に兵火の為に焼失しており、現在の本殿は嘉永四年(1851年)に造営されたものになります。

御祭神うがやふきあえずの命(海 漁と安産の守神)御鎮座と沿革文 武天皇の大宝元年(昭和五十一年 で千二百七十五年前)三月八日、日 向で初めておまつりしましたが程 なく今の療養所のある上野谷にお うつりになりました千余年前にで きた延喜式の神名帳によりますと 当時北陸道七ヶ国にまつられてい た三百五十二座の御祭神の中で年 に三回(祈年祭月次祭六月と十二 月新嘗祭)朝廷から幣帛を奉られ たのは此の社だけであり当時の名 神大社でありました建武元亀年間 兵火の為再度焼失天正年間今富の城 主浅野長政が社殿を造営し参道を 寄進しました国主酒井家から累代 修理改築など篤い崇敬が棒ぜられ 現在の社殿は嘉永四年の造営です 御例祭四月八日午前二時から氏子 各部落の古式豊かな献饌奉幣が相 つぎ正午からは県の無形文化財で ある王の舞、獅子舞、田楽舞、等古雅 で優美な祭礼が奉納され おわっ て子供のみこしの御渡りがあります。

宇波西神社 境内設置由緒書きより

参拝記

 宇波西神社は、JR西日本の小浜線「気山駅」の少し北側に線路をアンダーパスしている一風変わった参道が東西に設けられており、その突き当りに鎮座しています。

 参拝した当日には気付かなかったのですが、宇波西神社の参道を東に進み、JR小浜線をアンダーパスした先(たぶん国道27号線の旧道?)の交差点部分に「式内名神大月次新嘗宇波西神社」と彫られた社号標がすえられています。

 「式内名神大月次新嘗」とは、延喜式神名帳に記されている神社は、大社と小社と分かれていて、宇波西神社は名神祭が執り行われ、月次祭・新嘗祭には献幣使が贈られ幣帛の奉納が行われていた神社であることを示しています。名神祭が行われている神社はすべて大社であることから「名神大(社)」とも呼ばれています。

 この事から、平安時代の宇波西神社は若狭国三方郡だけではなく、若狭国全体としてもかなり重要視されていた神社であり、かなり繁栄していた神社であることがここから読み取る事ができるわけです。

参道

 参道の途中からJR小浜線方面を望んだ写真になります。JRをアンダーパスすると、歩道が整備され、道の両端に石灯篭が据えられた参道が宇波西神社の境内に向かって伸びています。

 そして、小川を渡河する石造の太鼓橋を渡ったら、その先に境内が見えてきます。

 ここ宇波西神社の境内は東入東向の社殿配置が特徴ですね。

境内入口

 扁額が抱えられた石造の明神鳥居が境内入口に据えられています。その手前には由緒書きが掲げられています。
 鳥居の先に、河を渡河しているわけではないのですが、石橋が据えられていますね。

 王の舞堂

 境内に入ってすぐ右手にある「王の舞堂」になります。福井県の無形民俗文化財、さらには国の選択無形民俗文化財に指定されている宇波西神社祭礼にて奉納される「王の舞」に使われる建物なんでしょうか。

 正直、王の舞がどういったものなのかは全く分からないのですが、石柱の隣に据えられているブロンズ像を見ると、どうやら天狗の様な姿に模して舞う神事なんだろうとは想像ができます。

という事で、Google先生に「王の舞 福井県」を訪ねてみると、宇波西神社の王の舞の動画がyoutubeにあったので、こちらを埋め込んでおきます。

手水舎

 木造瓦葺(入母屋造)四本柱タイプの手水舎になります。柱に転びがほとんどつけられてなく、貫の上部に欄間の様なものがつけられているのが特徴的な手水舎です。

 宇波西神社の手水舎の給水口は非常に特徴的な・・・・鳥の姿(この鳥は鵜?)の給水口が付けられていまっした。さらに近接センサーが取り付けられていて、手水舎に近づくと自動的に水が給水され、離れると止まるという近代的な手水舎になっていました。

弐の鳥居

 拝殿前には石造の扁額が掲げられた明神鳥居が据えられています。こちらが弐の鳥居になります、

社殿

 宇波西神社の社殿は、境内より石段を登った先に拝殿があり、さらに拝殿の裏側に石段があり、その石段を登った先に拝所を有する本殿が鎮座しています。このため、拝殿前で参拝ではなく、拝所で参拝する様式になっているようです。

 今回の福井県敦賀市から若狭町にかけての旅の中で、本殿の前に設けられた「拝所」が非常に新鮮で、さらに鈴紐に厄年の方達が奉納した白布を使用している点も愛知県ではまず見ない様式でした。自分が住んでいる愛知県三河地方の神社の大半は本殿を拝殿と瑞垣を用いて囲こむ形の社殿となっていて、こうした社殿様式に地域によって特色がでるのは非常に興味深いですね。、

 日光の関係で、正面側から撮影したら光の反射で全く拝殿の様子が写っていなかったので、本殿前から拝殿を撮影しました。銅板葺入母屋造平入の拝殿となるのですが、建物の周囲には降雪対策?のアルミ製のサッシで覆われていました。
 こうして拝殿を見ると、拝殿の周囲を高覧のある濡れ縁がぐるっと一周囲んでいる造りも愛知県では中々見る事がない造り(愛知県だと拝殿の正面側のみに濡れ縁が設けられている造が多いですね。)だなと思います。

 本殿と拝所も拝殿と同様に側面にアルミ製の枠にサッシや波板で覆いが設けられています。

境内社

 境内社の八幡神社になります。やはり境内社でも本殿前に拝所が設けられていますね。

 この八幡神社は拝所に掲げられている由緒によると、この地域に鎮座していた神社を宇波西神社に遷座合祀して創られたとされています。

境内地を地図で確認

神社名宇波西神社
境内地福井県三方上中郡若狭町気山129-5
最寄駅JR西日本 小浜線「気山駅」徒歩9分

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